バッシュは浮浪児で


 バッシュはもともと戦災孤児だ。


 2歳のとき、魔族に焼かれた村で泣いていたところを、後の養い親に保護された。その養い親も、5年が過ぎたところで蒸発してしまう。


 教団の救護院がバッシュを見つけ、保護してくれていたら、バッシュの人生はまったく違うものになっていただろう。


 だが、現実は違う。バッシュは誰にも見つけてもらえないまま、ひと月路上をさまよった後で、騎士寮のエウク小屋に住み着いた。家畜の体温や息遣いさえ恋しかったのだと、本人は言ったそうだ。


 野良ベオル、あるいは野良トルトのように迷い込んだ子供に対し、当時の寮長は同情的だった。彼のはからいで、バッシュは小姓見習いとなり、騎士寮で暮らすようになった。


 このままここで使用人として働き、いずれ誰かの従騎士にでもなれたら――などとぼんやり思っていた矢先、王女アイと運命的な出逢いを果たす。


 宮廷に居場所がなかった姫君と、路地に居場所のなかった浮浪児。


 出発点は天と地ほども違う。しかし今、同じ場所に行きついた二人には、壁らしい壁は存在しない。むしろ、年の離れた騎士たちより、よほど気安い。同じ年頃の二人は、すぐに仲良くなった。


 どちらにとっても、それは初めての友だった。


「バッシュも騎士になろうよ! わたしと一緒に!」


 ある日、アイにそう言われ、幼いバッシュは驚いた。


 そんなことが可能なのかと、初めは疑った。だが、確かに騎士は建前上、万人に門戸が開かれている。


 アフランサの兵制では、騎士と兵士は明確に区別される。募兵に応じさえすれば、兵士というのは誰でもなれる。必要な訓練も採用されてから行う。


 それに対し、騎士は前もって教練を受け、資質を認められなければ叙任されない。その代わり、刑事事件の捜査など、兵士にはない強制力を行使できる。


 基本は平民身分だが、謁見が許される目見得騎士――これをスオドと言う――以上になれば、準貴族的な扱いが期待でき、宮廷武官に出世する道もあった。


 バッシュにとっては、あまりに遠い夢だ。

 到底、叶うとは思えないような……。


 半信半疑のバッシュを、アイは構わず、どこまでも引っ張って行った。


 剣、槍、弓に組み打ち術。騎士寮の教練場では、いつも何かしらの講座が開かれている。小姓仕事の合間に顔を出し、教えを請うてあれこれ学ぶ。面白がった騎士たちが入れ替わり立ち代わり指南役を買って出て――気が付けば、バッシュもアイと一緒に、騎士課程を修めてしまっていた。


 そうして、7年。バッシュは従騎士どころか正式な騎士となり――

 その2年後には、王女アイつきの近衛という、望外の誉れまで賜った。


 まさに立身出世の浪漫譚。しかし、その喜びも束の間、よりにもよって近衛就任式の晴れ舞台で、バッシュに〈勇気の聖痕〉が発現する。


 勇者の宿業を背負わされたバッシュは、時の天魔王アズモウド征討を命じられ、〈大いなる探索〉に旅立つこととなったのだ――


    ◇


 ともあれ、バッシュとアイは7と3年つるんだ幼なじみであり、騎士とその主たる王女であり、〈大いなる探索〉をともに歩んだ仲間だ。


 彼女を誰よりも理解しているつもりだった。だというのに……。


 先ほど耳にかかった、熱い吐息を思い出し、バッシュは赤面した。

 アイが自分にああまで激しい感情を抱いていたとは、正直、意外だった。


「身分違いにも……ほどがあるでしょうよ……!」


 勇者ともてはやされてはいても、バッシュは出自不明の浮浪児で、アイは王女。到底、吊り合いは取れない。王侯貴族は基本、血統というものに非常に敏感……なはずである。


「まあ……アイはそんなこと気にしないか。それに――」


 それを言ったら、レェンはどうなる。魔界の頂点に君臨する、敵方の女王だ。


 いずれにしても、きちんとアイに向き合って、話し合うしかない。


 もとを正せば、これはバッシュの過ちだ。あの夜アイにも指摘されたが、魔王と婚約するにあたり、事前に仲間たちと相談しておかなかったのが悪い。


「俺、ちゃんと謝るから……! 早まったことしないでよ、アイ……!」


 込み上げる不安を抑え込み、バッシュは一路、心当たりの場所に急いだ。

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