急に不穏で


    2


「……言えないよ」


 今日に限って、アイは強情だった。


「だって、言ったら……バッシュはわたしが嫌いになる……もん」

「は? なるわけないだろ」

「は? なんで言い切れるの?」


 にらみ合う。

 早くもケンカ腰だが、先ほどとは違い、これは昔からの二人のノリだ。


 アイはふいっと顔を背け、まくし立てた。


「わたしがどんな汚い人間で、どんな歪んだ――間違った考えに取りつかれてるか、知らないくせに。だから、そんな無責任なこと言えるんだよ」

「君がどういう人間かなんて、とっくにわかってるよ。俺たち、7と3年も一緒にいるんだよ? 今さら隠し事とか無理でしょうよ?」

「どんなに仲が良くたって、家族にだって、言えないことはあるでしょ!」

「そりゃ、まあ……あるだろうけど」

「バッシュだって、婚約のこと黙ってたくせに!」


 致命の一撃。それを言われると、ぐうの音も出ない。

 引け目と負い目に責め立てられて、バッシュはしどろもどろになった。


「いや、そうなんだけど……そういうことじゃなくて――ほら! 俺たち、とても他人様に言えないようなやらかしだって、お互い把握してるじゃないか! 俺の死ぬほど恥ずかしいアレも君に見られたし、その晩、君が部屋で」

「わー! わー!」


 アイが突然声をあげ、バッシュの言葉をさえぎった。


 こぶしをわななかせ、真っ赤になってバッシュをにらむアイ。羞恥心が限界を超えたらしく、目尻に涙がにじんでいる。


「その件には二度と触れないって……約束したよね……!?」

「ごめん……! 今のは俺が悪かった……!」


 ぶたれた頬を抑え、バッシュは素直に謝罪した。


「とにかくさ!」


 上手く表現できる自信がない。だが、言わなければ伝わらない。


 うまく伝わって欲しいと願いながら、言うべき言葉を必死に探す。


「君と俺は……もう好きとか嫌いとかじゃない……と思う」

「――どういう意味?」

「駄目なところも、恥ずかしい過去も、わかった上でこうしてる。君はもう半分くらい俺なんだ。自分のことが嫌いでも、簡単には捨てられない。だから、君が何を考えていても――危険思想に染まっていたって、俺が君を見損なうとか、幻滅するなんてことはないよ。よっぽどひどい場合は、連れ戻そうとするけどね」


 最後のひと言は、笑って言えた。

 何があっても君の味方でいたい――その願いを込めたつもりだ。


 バッシュの言葉は、果たしてアイに届いたのか。

 それはわからなかったが、少なくとも、心境の変化はもたらしたようだ。


 アイは迷うように、視線を右へ、次いで左へ。

 そうしてさんざんためらってから、意を決したように、話し出した。


「……わたしね、どうしても気になってることがあって」

「うん。何?」

「魔王さんとは、もう……した?」

「うん――はい?」


 静寂。意味を理解するのに、数秒を要する。

 理解した途端、バッシュはぎょっとなった。


「何の話!?」

「おおお男と女の話でしょ! はぐらかさないで!」


 アイの眼は真剣だ。ごまかせる雰囲気ではない。

 顔面が熱くなるのを自覚しつつ、バッシュは正直に言った。


「……こないだのあれが、実質的な求婚だったんだよ? あれから君たちに詰められて、アフランサに強制送還されて――結局、レェンとはゆっくり話もできてない。こんな状況で、何ができるって言うのさ?」


 アイは目をまんまるにして、拍子抜けしたようにつぶやいた。


「そう……なんだ」

「そうだよ」

「じゃあバッシュ、まだ〈聖職者〉なの?」

「その言い方やめなさい! まあ、そう……ですが何か?」


 ぷふ! とアイが吹き出した。


 緊張から解放されたように、扉にもたれて笑い出す。


「そうなんだ! あはは!」

「笑うとこ!? くそっ、馬鹿にして――」


 刹那、がちゃりと金具が鳴った。


「……えっ?」


 という間の抜けた声は、バッシュ自身が発したものだ。

 理解が追いつかない。一体、何をされたのか――いや、それはわかっている。


 アイが後ろ手で、入り口の錠を下ろしたのだ。


 だが――何のために?

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