目覚めたら君がいて


    1


「バ~ッシュ♡」


 寝床でまどろむバッシュの耳に、遠くから甘ったるい声が聞こえた。

 気配は少しずつ近くなり、不意に耳元まで寄る。


「おはよ♪」

「――おフッ!?」


 オスタ牛のくしゃみみたいな奇声を発し、バッシュは一気に覚醒した。

 すぐ目の前に、仲間の一人――姫騎士アイの笑顔がある。


 勇者の〈大いなる探索〉が終わって、早ひと月。

 1か月は7週間。1週は7日であるから、7の7倍の朝と夜が訪れたことになる。


 勇者の気が緩むには、少し早い。が、こうして故郷アフランサ王国に戻り、我が家同然の騎士寮に寝泊まりするうち、眠りが深くなっていた。


 結果、私室への侵入を許したばかりか、寝床に上がられるまで気付かなかった。


「えっと……ここ、俺の部屋だよね?」

「そうだね。バッシュの寝台だね」

「だね、じゃなくて疑問に思って! 王女様が何してんの!?」


 アイはここアフランサ王国の姫だ。こんな現場を誰かに見られでもしたら、醜聞どころの騒ぎではない。ましてバッシュは魔界の女王と婚約した身である。


 バッシュの抗議などどこ吹く風で、アイはころころと笑っている。


「え~今さら? いつもこうやって起こしてるじゃない?」

「――え?」

「あ、普段はこうだっけ?」


 ひょいと素早く身を起こし、阿呆面のバッシュにまたがる。


 完全なエウク乗り。組み打ち術なら抑え込み一本。

 エウクの騎乗は騎士教練の必修課目であり、バッシュにとってもなじみ深い体勢なのだが、それは自分がまたがる側の場合だ。


 屈辱――以前に動揺を感じ、バッシュは呆然とアイを見上げた。


「いや……そんなの昔の話でしょ? 7年くらい……?」


 確かに、そんな思い出も無いではない。二人はこの騎士寮でともに学び、ともに騎士を目指した幼なじみだ。バッシュがうっかり寝坊をすると、こんなふうにアイが起こしにくる――という一幕があった。


 アイは跳ね馬に乗っているかのように、バッシュの上で上下に揺れた。


「どうどう! バッシュは暴れ馬♡」

「やめなさい! 妙齢のお姫様が!」

「何よ! 昔はそんな言い方しなかった!」


 アイは不満げに頬を膨らませ、ぽふっと寝台に倒れ込んだ。

 むすっとして黙り込む。どうやら、ふてくされたらしい。


 バッシュは言葉を失い、しばし呆然とアイを眺めた。

 ――あまりに子どもじみている。こんなふざけ方、旅のあいだはしなかった。


「アイ……今朝の君、ちょっと……おかしくない?」

「……おかしいのはバッシュでしょ」

「え?」


 思わず確かめてしまう。底冷えのするようなつぶやきは、果たして聞き間違いだったのか。


「んーん、何でもないよ♡」


 ふざけるのを再開し、小さな尻でぐいぐいとバッシュの腰を押す。

 バッシュも健康的な男子であるので、さすがにそれは許せなかった。


 まして、アイはひどい薄着だ。上は袖がなく、へそ丸出しの短い衣。下は下で脚の付け根から下がなく――要するに下着同然である。


 そんな格好でゴロゴロされては、目のやり場に困ってしまう。

 貴人が半裸で野郎の寝床にいるの、バッシュよくないと思います。


「起きて、アイ。俺も起きるから」

「え~、二度寝しようよ。旅のあいだは、できなかったでしょ?」

「君が出て行ったらね……てか、その格好で寮まで来たの?」


 言いながら身を起こし、アイのしなやかな肢体を視界の外に追いやる。

 バッシュの耳が赤くなっているのに気付き、アイは急に蠱惑的な顔をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る