当然の反応


「ば、莫迦! バッシュ! 勝手を言うな!」


 と真っ先に文句を言ったのは、意外にも魔王の方だった。


「そんな約束、私はしてない!」

「ええっ!? で、でもほら、俺が天魔宮に出頭したら……っ」

「外交交渉に応じると言ったんだ! け、結婚するとかしないとかは、おまえがひとりで勝手に……その、明確に否定しなかった私にも、落ち度はあるが……」


 うにゃうにゃと言いよどむ。灰色の頬がロギア花みたいに赤くなった。彼女がバッシュを憎からず想っていることは、もはや誰の目にも明らかだった。


 それはバッシュにも伝わったようだ。付き合いたての恋人みたいな、甘酸っぱい沈黙が訪れる。対して、それ以外の者が醸す沈黙は重く、硬く、冷たかった。


 勇者の仲間が受けた衝撃は、大きい。

 魔族の側も、そのはずだ。相変わらず姿は見えないものの、周辺に動揺が満ちている。成り行きを見守っているだろう魔界の貴族たちは、この事態をどう思っただろう?


「……襲ってくるまで手を出すなって……そういうこと」


 抑揚の消えた声音で、アイがつぶやいた。


「……馬鹿にしないで!」


 感情が破裂したような、鋭い叫び。


 一瞬後、バッシュを見上げたアイは、目に一杯、涙を溜めていた。

 裏切られたような顔をしている。これにはバッシュも狼狽した。


「魔族と講和するなら、それでもいいよ……! だけど――そんな大事なこと、バッシュはひとりで決めちゃったの?」

「それは……」

「わたしたちの知らないところで? 仲間にひと言の相談もなく?」


 いかにもばつが悪そうに、バッシュは目をそらした。


「……レェンと二人で決めました」

「バカタレなの!? もっとひどいでしょバッシュの馬鹿! あんぽんたん!」


 わーん! と泣き出すアイを、マウサがそっと胸に抱いた。


「見損なったわよ、バッシュ」


 流し目気味の半眼で、刺すような視線を寄越す。


「一緒に旅した私たちを捨てて、魔族の側につくなんて」

「そうじゃない! これは世界のために必要なことなんだ!」

「聞く耳持たないわ。――貴女も何か言ってやりなさい、エルト」


 おし黙ったままの聖女を振り向き、うながす。


「我慢することないわ。魔族は神の敵――大地を穢し、天理を歪め、聖地を狙う侵略者。魔族との講和なんて、そんな馬鹿げた背信を、教団は赦さないわよね?」


 エルトはぎゅっと、神官服の布地を握った。

 肩を小刻みに震わせ、あふれそうな激情を抑圧しながら、丁寧に言葉をつむぐ。


「バッシュ様のおっしゃることは……わかりました。主は魔族をお赦しにはなりませんが、彼らがもし邪教の思想を捨て、主の教えに帰依すると言うなら……講和はあり得るかもしれません……ですけれど!」


 きつく閉じたまぶたから、涙の粒が幾つも飛び散る。


「かと言って、結婚はおかしいです!!」


 育ちがよく、穏やかで、終始にこにこしているような聖女が、こんなふうに声を荒らげたのは、これが初めてのことだった。


 我慢の子が爆発するのが一番怖い。その迫力にバッシュはたじろぎ、アイとマウサは力を得て勢いづいた。


「そうだよ! 色々すっ飛ばしすぎ!」

「停戦が目的なら、同盟でも不戦条約でもいいはずよ!」


 ぎゃんぎゃんと攻め立てられ、バッシュは鼻白んだ。敵の本拠地で何をやっているのかという話だが、当人たちは至って真剣である。


 実際、これは人類の行く末を左右する、歴史上最も重要な痴話喧嘩だった。

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