燕たちの戦い ⑪〈同族の眼〉

 水メタノールの搭載量は限られている。緊急出力の持続時間は約5分。だが、800mの距離を詰めるにはそれで十分だった。


 座席に押し付けられる猛烈な加速度を全身に感じながら、アイリーンはキャノピーに顔をり付けるように前後左右、全周を見渡す。

 攻撃する直前こそ、パイロットにとって最も危険な瞬間である――叩き込まれた空戦の鉄則を、彼女は忘れてはいない。


 頭上を見上げると、降り注ぐ陽光の中に連続してひらめく機影があった。数にして10機分。太陽を背に降下して来る第一中隊だった。重戦闘機が分散したタイミングを狙って、攻撃態勢に入ったらしい。

 更に上空には第二中隊の群れ。空域に新たな敵が現れないか警戒しているのだろう。訓練通りの動きだった。


 よし、周辺に問題はない。下方を通過した敵が後ろに回り込むには、まだ時間がある。注視すべき敵は正面だけだ。


 再び前方に向き直り、振動に揺れるコックピットの中で計器に目を走らせる。50発あった30mm砲弾の残弾は42発、8mm機銃は1000発中、残り920発。油温の上昇は正常範囲内。緊急出力を出しているため機内の振動は激しいが、戦闘に支障はない――。

 確認を終え、旋回中の重戦闘機を照準器に捉える。

 

 敵機を見たアイリーンは顔をしかめた。酷い機動だった。双発機の持ち味である直線飛行による高い速力を活かすこともなく、上昇気味の右旋回を行っている。

 離脱するか、味方機を援護すべきか迷っているのか――いずれにせよ、速度が失われているのは明らかだった。彼女の目には、まるで離陸したばかりの輸送機のように映る。


 東ヴォルフ自治区のパイロットは練度が低い。

 基地で耳にした噂を思い起しつつ、アイリーンは座席から身体を強引に引きはがし、照準器に顔を近づけた。


 〈Typ-109〉は急激に速度を増し続け、時速350kmから数秒で時速520kmに到達。エンジンの脈動に共振するオレンジ色の照準環レティクルの中、右旋回を続ける重戦闘機の姿が急激に拡大していく。


 敵機の大きなキャノピーが光を反射してぎらりとひらめいた。複座特有の縦に長い操縦席の中に動く二つの影。その特徴的な輪郭は、彼女と同じ種族である事を示していた。


 アイリーンは眉根を寄せた。彼らと目が合った気がしたのだ。これから殺す事になるであろう、かつて同じ国に住んでいた同郷の民——ヴォルフ人の眼。

  

 敵はバンク角を更に強め、翼をほぼ垂直に立てて右に急旋回。回避行動に入ったらしい。重戦闘機の動きに合わせ、彼女は軌道を修正して標的の未来位右上置に狙点を定めた。

 旋回追尾を行い、重戦闘機の姿が乗機の機首に隠れて見えなくなった次の瞬間――左手が引き金を絞った。

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