燕たちの戦い ⑦〈ツバメ04〉

 戦闘は双方が向かい合う「反航戦ヘッドオン」の形で開始された。


 相対速度は時速750kmに及び、ツバメ04が乗り込む〈Typ-109〉と、双発の重戦闘機〈Yak-2F〉は、毎秒200mの速さで距離をせばめていく。 


 戦隊長の予想通り、ツバメ04はラダーペダルを左に踏み込み、機体を『横滑りスリップ(※)』させた状態で突撃に入っていた。

 30度ほどする姿は、ドリフト走行を行う車の挙動によく似ている。


 特異な機動で突き進む彼女と対峙する重戦闘機は、5機編成の単縦陣トレイルを組んで接近。先頭を飛ぶ重戦闘機の機影が小指の先1cmほどに拡大し、目測訓練を受けたツバメ04は、相対距離が1000mを切った事を理解していた。


(攻撃は500m付近で開始されるはず――)


 そう考えながらエンジンの鼓動に震える照準器に顔を寄せ、機銃の安全装置を解除。スロットルレバーと一体になった引き金に指を添え、意識のすべてを集めていく。


 周囲の音が急速に遠ざかる。時間が引き伸ばされていく感覚の中、脳裏をよぎったのは彼女の長機――ツバメ03の最期だった。

 

 尾翼を失い、炎と黒煙を吐き出す変わり果てた機体。砕け散ったキャノピーの破片が陽光の中で輝きを放ち、敬愛していた彼の残滓ざんしが空にき散らされていく光景。


 さっきまで生きていたのに、今までそばに居てくれたのに――。彼女は血の味がするほど唇を嚙み締めていた。


 唖然あぜんとするほど無情な現実。不条理で情け容赦のない一瞬の死が、在るべき人生を無造作に破壊していく。

 だが、そうした悲劇は彼だけに起きているはずもない。


 視界の中に屹立きつりつする数多あまたもの黒煙と爆炎。それら全てが、今日まで生きてきた人々の終着点だと言うのか――。

 ツバメ04は言いようのない怒りと虚脱感を覚えた。


 彼女にとって、上官という立場以上ので在り続けたツバメ03。その男の魂も肉体も、今や戦場に漂う煤煙と炎の一つに過ぎない。


 悔しい。


 彼を奪った敵が、心の底から憎い。


「許さない――」


 眼前に迫りつつある敵機に向けたささやき。抑揚を欠いたその声には、明確な憎悪が込められている。


 全身の毛が逆立つ程の激情。怒りのままに操縦桿を強く握った次の瞬間――前方から迫る重戦闘機が閃光器フラッシュのようにまたたいた。

 1インチ25.4mm機関砲4門と50口径12.7mm機銃6門による一斉射である。

 

 真っ赤に燃える曳光弾が空間を切り裂き、白い燃焼煙の尾を曳きながら殺到。重戦闘機の名にたがわぬ凄まじい量の火線かせんが視界いっぱいに広がる。


 だが、ツバメ04は片時も眼を閉じなかった。恐怖の声もあげなかった。


 かわりに、手の届かない場所へ逝ってしまった男のために、憎むべき仇をに出来ますように、と何かに祈った。


 音の速さ秒速340mを遥かに超えて迫りくる弾丸は、彼女が乗る〈Typ-109〉の鼻先――プロペラ・スピナーに喰らい付く直前にあった。


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(※) 横滑りスリップ機動

 垂直尾翼のラダー方向舵の操作によって起きる飛行動作。

 単にラダーを踏み込むものと、操縦桿の操作を加えたサイドスリップ(別名:フォワードスリップ)と呼ばれる2種類の横滑りスリップが存在する。(似た機動である〈スキッド〉については割愛)


 いずれも機首の向きを左右に偏向へんこうさせる事が出来る。これらは、横風を受けながら着陸する際に用いられるテクニックの一つで、今日に至る現代でも頻繁に使用されている。

 

 意外なようだが、垂直尾翼のラダー方向舵を操作しても、機体が左右に水平移動スライドするような動きは起こらない。変わるのは『機首の向きだけ』である。


 このように〈機首が左右どちらかに向いているのに、機体は真っ直ぐに飛ぶ〉という特異性を活かして、「どの向きに飛んでいるのか」という判断を狂わせる目的で、空戦に使用されてきた過去がある。


 横滑りは一見すると地味な動きだが、敵から受ける射撃をかわす方法として有力な空中戦闘機動コンバット・マニューバの一つ。


 双方が激しく動き回る空中戦において、攻撃を命中させる際に重要となるのが、『敵の未来位置を撃つ』という技術。これらは「偏差へんさ射撃」または『見越し射撃』と呼ばれ、撃つ前に「目標がどちらに向かって移動しているのか」を正確に把握する事が必須である。


 横滑りスリップは、この「どちらに向かって飛んでいるのか」という判断を誤らせる効果が期待でき、かの有名な零戦パイロット坂井 三郎氏や岩本 徹三氏も多用したとされる。

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