ぽんこつパイロットが空に軌跡を残すまで――

防衛太郎

プロローグ ① 操縦は難しい!

 眼前に広がるのは一面の青であった。


 その色は晴れた日に海が見せる蒼を思わせたが、陽光に輝く水面みなもも、踊り立つ波間も存在しない。


 だが、視界のすべてが青に染まろうとする世界に、もう一つの色がった。


 どこまでも続く白い波濤はとう

 雲海。



 青と、白の空間。


 ――――ここは、空の世界。


◇  ◇  ◇


 高度5000m。

 雲海の上を滑るように飛ぶ、幾つもの航空機が在った。


 鋭い矢じりの形をして飛ぶさまは、高空こうくうを飛ぶ渡鳥にも見える。

 V字陣形、そう呼ばれる編隊は二つ。


 先陣はつばめのように鋭利な外見を持つ戦闘機で構成され、右翼と左翼にそれぞれ4機をつらねる。

 その後方、やや低い位置を飛ぶのは爆撃機の群れだ。エンジン一つで飛ぶ姿は戦闘機に酷似こくじしているが、爆弾を抱いた武骨なおもむきは、先の燕たちと明らかに異なる。


 8機の戦闘機と27機の爆撃機は、空中という不安定な空間にあっても、互いの距離と高度を保った緊密な飛行隊形を作り上げていた。


 しかし、一糸乱れぬ編隊にただ一つ、のように揺れる機体が見える。


 爆撃機隊の最右翼に位置し、不安定な飛行を続けているそのパイロットは、緊張と焦燥しょうそう只中ただなかにあった――。



「お願い! 真っ直ぐ飛んで……!」


 絞り出したような叫びは、口をおおう酸素マスクを通り抜け、エンジン音が渦巻うずまくコックピットの中に消えていく。


 鮮やかな茶色タンニンに染まるなめし革の飛行帽をすっぽりとかぶり、ひたいに乗せたゴーグルの下からのぞかせる毛髪は、つややかな銀髪であった。視線をさえぎらない程度に切り詰めた前髪の下、青い双眸そうぼうまたたく。


 身を包むカーキ色の飛行服はサイズがまるで合っておらず、明らかに大きい。兵站へいたん科の手配違いかと思われても致し方のない様相ようそうにあって、シートベルトに緊縛きんばくされた身体に浮かび上がる曲線は、女性特有の柔らかさをたたえている。


 青空にかせて輝く硝子ガラス玉のような瞳は今、苦渋の色をにじませていた。


 その理由は、操縦席の煩雑はんざつさにある。


 まず、彼女の目に入るのはびっしりと並んだ計器とスイッチだ。数にして計器18個、トグルスイッチ12個、レバー3個。両膝の真ん中には操縦かんが延び、足元には方向舵ラダーペダルが設置されている。

 細かい部分を省略してもでこの有り様で、左にはスロットル、フラップ、ダイブブレーキの操作レバーが占めていた。


 彼女にとって此処ここは操縦席というより、無数の歯車と複雑怪奇ふくざつかいきな部品が詰め込まれた、懐中かいちゅう時計の中も同然だった。


 もう一つ、彼女の焦燥をあおり立てるものがある。

 それは、プロペラ機の宿命とも言えるが起因していた。

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