番犬

深川夏眠

番犬


 また郵便受けにが入っていた。は当マンション住民に大変不評である。とうとう理事会で議題に上がった。

「投函口に掲示しますか、ポスティングお断りって」

「いや、普通のチラシはいいんですよ。三十枚に一枚くらいは役に立つ可能性もあるから」

「問題は。だってホラ、は分類上、磁石ですもの」

 そう、私たちが忌み嫌うのは、いわゆるマグネットステッカーである。同じものはいくつも要らない。いや、一枚あったって利用する機会が訪れるとは限らない。端的に言って邪魔だ。しかも、我が自治体では磁石は処分時、有料のゴミとなる。プラスチック、缶、瓶、ペットボトル、ダンボール、その他紙類などと違ってリサイクルに適さないため、タダでは回収されないのだ。好んで買った品物が使えなくなって廃棄したくなったときに料金が発生するのは致し方ない。しかし、頼みもしないのに無理矢理押しつけられた物品を、受け取らされた側がカネを払って始末しなければならないとは納得がいかない。承服できない。

「こうなったら契約しますか、

「ああ、ですか」

「あの、すいませんが、とは?」

「〈けるべろすす〉」

 私以外の出席者が粗茶を啜りながら頷き合っている。四〇三号室のお父さんに連れられて端っこに座り、おとなしくお絵描きをしていた三歳のまでもが顔を上げ、

「しらないの、〈けるべろすす〉」

「ごめん、わからない。〈けるべろすす〉って?」

 すると、二〇一号室の奥さんが、

「番犬の一種ですかね。リース式の。ほら、団地とかで、敷地の雑草を食べてもらおうってヤギを飼ってるところがあるでしょ。あんな感じで」

 彼女の説明によると、〈けるべろすす〉は見た目はブルドッグに似ているが、それはプログラムのなせるわざで、本来は不定形の粘液状で可塑性と展延性にに富むという。運用前に郵便局員や宅配便の不在票を入れようとするドライバーさんの外貌、つまりユニフォームを認識させておけば、彼らを襲う心配はないとか。

「ポストの前で磁力が発生したらって設定すればいいんじゃないですか?」

 これは五〇六号室の息子さん。俺に任せろと言いたげな面持ち。

「できたー。かけたよ〈けるべろすす〉ー」

 ミミたんが、おえかき帳を誇らしげに掲げた。なるほど。おぞましいの一語に尽きる。どこがブルドッグだ、断じてそんな可愛らしいもんじゃないぞ。つのが生えているし、左右の耳の距離感が異様だし、眼球が飛び出して零れ落ちそうになっているし、そこかしこ青筋が立っているし、何やら食い散らかして血まみれだし……。

「それ最終形態だね、ミミたん」

「うん。ってなった」

 四〇三号室の親御さんはどういう情操教育をしているのだろう。ちょっと覗いてみたくなった。


                   *


 親戚に不幸があって帰省した。出発直前に〈けるべろすす〉試用会の通知が来たが、委任状を出してノータッチを決め込んだ。戻る道々、嫌な予感がムクムク膨らんだ。直覚したとおり、マンションの玄関前を奇怪で巨大なオブジェが塞いでいた。

「さかぐちさん、おかえりなさーい」

 眉をひそめて通り過ぎる住人をよそに、ミミたんはご機嫌だった。きっと五階の浪人生がに違いない。

「どうしちゃったの?」

「うんっと、が、さんかいくらいあって、もりやまさんのおにいちゃんががんばったんだけど……」

「コントロールできなかったんだね」

「そゆこと」

 ミミたんパパの補足によれば、不審者をよせつけない威嚇の効果は充分発揮しているけれども、配達やゴミ収集の人など、悪意なき面々の心臓を一々刺激してしまい、苦情が舞い込んでいるよし

「ただね、例のマグネット広告のたぐい貪って、ひと塊にしてどこかへ吐き出しているみたいだから、まあいいか……って」

 よくないぞ。ゴミの不法投棄じゃないか。

「〈けるべろすす〉ねんどもたべるよー。ひょいパク」

「こら、やめなさいミミ」

 の頭は遙か上方にあるのだが、三歳児の手が届く位置の皮膚がグローリー・ホール状に開き、彼女の差し出す餌を呑み込んで閉じた。咀嚼と呼ぶにはあまりに粘着質な音と振動。最後に聞こえた「ゴキュッ」というのが物質転送の瞬間を表していたのだろうか。

 だが、問題はサイズも当然ながら、形状である。関係者一同、失念していたが、ケルベロスには頭が三つあるのだった。

「あっ、きょうだいげんか!」

「ゲエッ」



                  【了】



*2022年4月 書き下ろし。

*縦書き版は

 Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

番犬 深川夏眠 @fukagawanatsumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説