第4話 「金沢の夜」

「明後日、福井に行かない?」


 夏休み期間に入ったある日、知華さんから電話があった。


「ひょっとして『恐竜博物館』ですか!」


 恐竜といえば福井、福井といえば『恐竜博物館』と思っていた俺は、反射的にそう返してしまった。


「……良く分かったわね。同僚の鈴木くんと勉強がてら行こうって事になっていたんだけれど、奥さんが盲腸になったらしくて、急遽キャンセルになったの。時間が取れるようだと瑞季くん、どうかなと思って」


「行けます!」


 スケジュール確認より先に答えは出た。


「良かった。私の仕事の雑用も少しお願いするから、宿代と食事代はこっちが持つから安心してね」


「と、泊まりですかっ?」


「日帰りじゃキツいでしょ。金沢とかにも寄り道したいし。あ、次の日は空いて無かった?」


「空いてます!」


 っていうか無理にでも空けます。俺は即答した。


「私の車で行くから、持ち物は着替えくらいで大丈夫よ。詳細は後でメールするわ。じゃ、明後日よろしくね」


 こんな事があって良いのだろうか。

 夏休みといっても、大学とアパートを往復するだけの日々を送っていた俺に、晴天の霹靂。

 知華さんと1泊旅行。

 当然同室では無いのだが、送られてきた写真には金沢のモダンなデザインホテルが写っていて、俺の気分はいやが上にも高揚していった。

 


∗∗∗



 翌々日の夕方。


「瑞季くん、とても楽しそうだったわね」


「すみません、夢中になってしまって。ディズニーランドは中学の修学旅行でしか行った事が無いんですけど、恐竜博物館には子どもの頃、毎年行っていたんです。懐かしかったですし、まさか福井県大の先生の話まで聞けると思わなくて、ちょっと興奮しました」


 恐竜博物館のある勝山市から、本日の宿のある石川県金沢市に移動した俺達は、夕暮れの茶屋街を散策しながら今日の感想を述べ合った。


「来てくれて助かったわ。私だけじゃ間が持たなかったもの。瑞季くんが目を輝かせて色々聞いてくれたおかげで、先生も溌剌と話してくださったしね」


「いえ、こちらこそありがとうございます。一時期憧れたんです、自分のルーツを辿るような命の誕生や生物の進化、地球と生き物の関係についての研究。最近、パソコンで数字ばっかり見ていたので、原点回帰できて凄くリフレッシュになりました」


「へぇ、私も自分のルーツを知りたくて考古学始めたから、ちょっと似てるね」


「知華さんは縄文が専門なんでしたっけ?」


「ええ。土器オタクになって今に至るわ。縄文って分からない事が多すぎて楽しいのよ。文字も無い時代の、もの言わぬ土片や石から物語を拾い上げるのが堪らない。土や石に刻まれたものって、何千年何万年と残るのよ。紙や、それこそ電子データなんて一瞬で消えてしまうこともあるのにね。例え砕けても、繋ぎ合わせれば当時の想いを感じる事ができるの……って、いけない。こんなの永遠に話してしまいそう。折角の景色も楽しみましょうか。ほら、だんだん街が目を覚ます頃よ」


 言われて周囲を見ると、川沿いに立ち並ぶ風情ある料理屋や茶屋に明かりが灯りはじめ、街は夜の装いに変わっていた。

 ぽうっと灯った街灯の明かりや、店々の格子戸から漏れる柔らかい光が、艶っぽく街を彩る。


「綺麗です。令和じゃ無いみたいだ」


「ノスタルジックな美しさよね。金沢に来た甲斐があったわ」


 知華さんは景色に見惚れ、俺はそんな知華さんにも見惚れた。


 夕闇に幻想的に浮かぶ古い街並みを眺めながら石畳を進み、俺たちは今夜の食事処に到着した。

 

 そっと掛けられた白暖簾で、辛うじて店だと分かる小さな扉を開いて中に入ると、和モダンで落ち着いた空間が広がっていた。

 どうやら、北陸の新鮮な魚介や治部煮などの郷土料理も楽しめる店のようだ。


「瑞季くん、お酒は大丈夫?」


 メニューを眺めていると知華さんに訊ねられた。


「はい、少しなら」


 一瞬迷ったが、そう答えた。


「良かった。『流星の舞』の大吟醸があるの、辛口だけどなめらかで美味しいわよ、これでいい?」


「はい」


 ビールか酎ハイを嗜む程度の俺に、日本酒の良し悪しはよく分からない。取り敢えず頷いておいた。

 

 テーブルには生麩の揚げ出しや加賀蓮根の挟み揚げ、など金沢の名物が並ぶ。

 日々、学食とコンビニが栄養源の俺にとって、目も眩むご馳走の数々だ。


「うわぁ、これがノドグロですか。俺、食べるの初めてです…… すげぇ」


「私も塩焼きは初めて食べるわ。油の甘さがよく分かるわね。美味しいね」

 

「どれもこれも本当に美味しいです。来れて良かったぁ」


「鈴木くんには申し訳無いけれど、瑞季くんのおかげでいつもの勉強旅行が新鮮なものになって私も楽しいわ。ふふっ、もし息子がいたらこんな感じかしら〜なんて想像しちゃう」


 知華さんの無邪気な言葉に、俺は思わずちびちび飲んでいたお酒をグイッと飲み込んでしまってむせった。


「大丈夫?」


「ゲホッ。俺、そんなに子供っぽいですか? せめて弟にしてくださいよ」


「ごめんごめん。弟は2人もいて間に合っているから息子枠にしちゃった」


「そんなぁ」


「私、子どもがいないから、ちょっとこういうのも憧れるのよ」


 知華さんは笑いながら言ったけれど、ほんの少しひりっとした気配を感じた俺は、


「知華さんみたいな、美人な母さんなら自慢ですね。うちの母ちゃんなんかゴリラみたいですからね! 聞いてくださいよ〜」


 必死に息子枠を維持しながら、母ちゃんを犠牲にして笑いをとり明るい空気を守った。



 その後も料理や会話を楽しんでいたのだが、1時間後遂に限界がやってきた。

 そう、俺のアルコール分解能力の限界が……。



「大丈夫? 瑞季くん」


 ドア越しに心配そうな知華さんの声が聞こえる。


「ゔ、うーん。大丈夫じゃないです。う、ううっ。すみませんっ、もうちょっと待ってください」

 

 お店のトイレに30分ほど立て籠った後、青白い顔の俺は知華さんに支えられながらタクシーに乗り、ホテルへと向かった。


「本当にすみません……」


 気持ち悪さは落ち着いたものの、血中に入り込んだエタノールは、俺の脳におかしな信号を出し続けている。

 世界はぐるぐる回り続け、足元はおぼつかない。

 俺は、知華さんにもたれ掛かりながらヨロヨロと廊下を歩いた。


「こっちこそごめんね。瑞季くん顔色変わらないから気づかなくて」


「俺こそ、見栄を張ってしまってすみません……本当はビール一本で十分酔える、経済的な身体なんです……」


「あ、ここだね、503号室」


 部屋に入ると、真っ白いシーツが敷かれたクイーンサイズのベットが目に入った。

 シングルの部屋は無いから、ダブルを2部屋取ったからなのだが…… それを見た瞬間、何やら急に気恥ずかしい気持ちが込み上げてきて、知華さんに触れている部分が妙に熱く感じて、俺は慌てた。


「あ、後は大丈夫です。ご迷惑をお掛けしました」


 俺は知華さんを振り払うようにして、部屋の中に駆け出した。


「危ないっ!」


 知華さんの声。

 俺の脳みそと体は連動していなかった。

 足がもつれた。

  

 咄嗟に知華さんが後ろから俺を支えた。


 しかし、俺は動揺していてそのまま進み、知華さんからも逃れようとした。


 バブンっ


 再度足をもつれさせた俺は、知華さんを巻き込んでベットに倒れ込んだ。


 何がどうなったのか。

 俺の上に知華さんが乗っている。


 彼女の身体の柔らかさが伝わってくる。

 髪の匂い、そして汗の匂いが甘い。

 彼女の熱か、俺の熱かはもう分からない。触れ合う部分がとにかく熱い。


 そして、天井が回っている。


 それでも……


「なんか、幸せ……」


 思っただけなのか呟いたのか、本能からの言葉が漏れたところで、俺の意識は途絶えた。

 

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