第2話 「水玉のワンピース⁉︎」
アイアンワークのシャンデリア、木目調のテーブルや椅子が並んだナチュラルな雰囲気のカフェの中を、俺は水玉を探して歩く。
いないじゃないか。
始めは緊張していたが、件の女性は見当たらない。
ひょっとしてキャンセルだったか? と思いスマホを確認したが、康介からは何の連絡も入って無いようだった。
ひと息ついて改めて店内を見渡した時、懐かしいものが目に入った。
「地球史」のビジュアル図鑑。
俺が中学の頃、夢中になって読んだものだ。
46億年の地球の歴史、生物の多様性とその神秘を教えてくれた俺の原点とも言うべき書だ。
それを読んでいるのは、お洒落な女の人だった。
意外に思って少しばかり観察して、俺はハッとなった。
黒かと思った彼女の服装は、ドット柄のプリント、袖にさりげないフリル、繊細なプリーツの上品なワンピースだった。
水玉のワンピース⁉︎
俺は深呼吸をしてから、勇気を出して話しかけた。
「『チカ』さんですか?」
「え? はい」
彼女は、ハッと顔をあげて俺を見つめた。
怪訝そうに僅かに首を傾げる。
ヤバイ……かわいい。
色白でもっちりしたきめ細かい肌、濃茶の大きな瞳。
綺麗なお姉さんを体現したようなビジュアルに俺は圧倒された。
俺は声が震えないように、腹に力を入れた。
「俺、瑞季です。その本、俺もよく読みました。お好きなんですか?」
「好きというよりは、仕事でちょっと。『古生物』を扱う催しを企画中で、勉強を始めたところなんです」
声も……イイ。
落ち着いたハスキーボイス、好みだ。
俺は、彼女の前の席に座ると、話を続けた。
「『古生物』というと、恐竜とかですか?」
「ええ、恐竜も取り上げますが、もうちょっと遡った時代、古生代位の生き物も面白いと思って調べているんです」
「確かに、あの時代の生き物はジブリ作品や、ファンタジーゲームに出てきそうなフォルムのものも多いから、展示などで取り扱ったらウケるかも知れませんね」
話をする俺の目を、彼女はジッと見つめてくる。
憂いを帯びた綺麗な瞳に、俺の心拍数は上がった。
次の瞬間、彼女は申し訳なさそうに訊ねてきた。
「あの……ところで瑞季さん? ごめんなさい私、人の顔と名前を覚えるのが苦手で、今さらなんだけれど……前、どこで会ったかしら? 博物館の講座とか?」
「え、昨日メッセージを……ママ活の……」
「ママ活?」
彼女の視線に険が混じる。
俺は血の気が引いていくのが分かった。
周囲の音が遠ざかる。
やってしまった、これは人違いだ。
俺は観念して事の次第を白状した。
進学資金で困っていた事、友人が酔っ払って「ママ活アプリ」に登録してしまった事、今日は相手に謝りにきたこと。
「……という訳です。相手の女性は『水玉のワンピース』という事だったので、誤って声をかけてしまいました。そして……」
俺は再度店の中をぐるりと見やった。
「どうやら、相手の女性も冗談だったみたいです」
他の何処にも『水玉のワンピース』の女性がいないことに安堵しながら、俺は頭を掻いた。
「スゴい偶然ね。たまたま私が
彼女、知華さんはくすくす笑った。
くだけた表情に俺の胸はキュッと痛んだ。
「本当に申し訳ありません」
熱くなった顔を隠すように、俺は深く頭を下げた。
「良いのよ。笑わせてもらったし、これも何かの縁、お茶の一杯位ご一緒しましょう。ここの『シャルドネ・ダージリン』、アイスティーで頂くと美味しいのよ」
知華さんが朗らかに笑って、俺も漸く緊張がほぐれた。
薦められたお茶は、爽やかな甘い芳香。緊張でカラカラだった俺の喉を優しく潤した。
「美味しいです、これ」
「気に入ってくれて良かったわ。ところで、瑞季くんは、何を専攻しているの? 古生物に詳しそうだったけれど」
「生き物全般が好きなんです。学部的には農学です。そして好きと言った後になんですが……えーと、女の人に言うと引かれる事が多いんですが……」
「え、何の研究?」
「……『昆虫食』についてちょっと勉強しています」
「『昆虫食』! 虫を食べるっていうあれ?」
「はい、あの、すみません。気持ち悪いですよね」
「そんなことないわ。テレビのバラエティ番組とかで面白おかしく取り上げたりするから、ゲテモノなイメージを持つ人も多いけれど、昆虫食の歴史ってとても古いし、これからの時代、人間が生きていくためには必要な選択肢よね。昆虫って栄養価も高いんでしょ?」
「そうなんです! タンパク質はもちろん、銅、鉄、マグネシウム、マンガン、セレン、そして亜鉛などのミネラルも含んでいるんです。脂肪分も少ないですし、そうですね……栄養価としては赤みのお肉くらいなんです! 地球の資源に限りがある事を考えれば、こんなに魅力的な素材ってないと思うんですよ」
つい夢中になって話してしまいハッとするが、知華さんはニコニコと聞いていてくれた。
「すみません。分かってくれる一般女性って少ないので、嬉しくて」
「謝らないでよ。とても興味を惹かれる話だわ。…… ねぇ、瑞季くん、私30万円出す」
「へっ?」
「学費、足りないんでしょう?」
「いや、その…… そんなつもりじゃ。これから教授に相談しようと思っていましたし、だ、大丈夫のはずです」
「本当に?」
「たぶん……」
知華さんは、眉を顰めた。
「私ね、海外旅行に行くために友人と一緒に積立をしていたの。それぞれ30万円貯めて、海外旅行するつもりだった。でもね、こんな状況だから無期限延期にしようって、昨日友人と話したばかりなの。だから、使い道が無くなった30万円どうしようか考えていたのよ。何処かに投資でもしようかなぁって。瑞季くんが必要なのは30万円。なんか運命を感じない? だから今決めたの。投資先は、キミにしようって」
知華さんは艶然と微笑んだ。
「ええっ、困ります。俺、そんな優良株じゃないです」
「良いのよ、応援したいものに賭ける主義なの。古代から、学者や芸術家が活動するためには資金を提供するパトロンの存在が不可欠でしょ、まあそんなイメージでやってみたいのよ」
よく分からない持論を展開する彼女。
俺たちはしばらく問答したが、最終的には30万円を受け取る事になった。
ただ貰うのも悪いと言ったら、条件がついた。
きちんと学業の報告を行うこと。
古生物企画の下準備を手伝うこと。
この2つ。
そう取り決めをした後、知華さんは本当に30万円をおろしてきて俺に渡した。
帰り道、スマホをチェックすると康介からのメッセージがあった。
11:45
康介:悪りぃ。
昨日のママ活のチカさんから
「やっぱ行けない」って連絡入ってたわ。
無駄足になっちまったな。
遅せーんだよ連絡が! そう言いたいところだが、康介の怠慢のおかげで知華さんに出会えた。
話をしていてこんなに楽しい気分になる女性は初めてだ。
まだ胸が弾んでいて、早くも次に会う時を心待ちにしている自分がいる。
お金はでき次第返そう。
そう思うが、それで会う口実が無くなるのもひどく寂しく感じる。
しかし、きっとこんな風に想ってはいけないんだ……何故なら彼女の薬指には、5石のダイヤモンドが贅沢に輝く、銀色の輪がはまっていたのだから。
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