有終の掛け軸を飾る③
僕たちが二人の仲直りを知ったのは、喧嘩から二日後のことだ。書道室に向かうと、二人は当たり前のように書を書いていた。
「迷惑かけた」
「ごめんね」
南野君は真面目に、墨田さんは和やかに。その早い仲直りには胸を撫で下ろした。どんな仲直りをしたのか気にならなかったわけじゃない。何しろ、二人の距離感は少し変わったように見えたから。
けれど、その詳細を聞くのは野暮というものだろう。二人のことは二人のことだ。僕は莉乃先輩と仲の良さに忍び笑いを交わし合って、疑問を収めた。
それから、僕たちはパフォーマンスの練習に励んでいる。
僕と莉乃先輩は抜けることもあるけれど、それでも時間調整をしながら書道室に通った。
練習は厳しい。けれど、二人と肩を並べようと思ったら、これくらいはして当然だろう。そして、厳しい分期待されているようで嬉しくて、懸命になった。
単純だ。けれども、自分では届かない。そんな世界を一緒に見せてくれるというのだから、その喜びを無視することはできなかった。
もちろん、二人がそんなことを考えながら僕らとやっているとは思っていない。ただ、同じ方向を向いていることは分かった。正解は分からない。けれど、僕は思いを共有している二人を知っている。それだけで、証左には十分だった。
「瀬尾君は、やっぱり掴むのが早いね」
久しぶりに一緒になった莉乃先輩が、そばでそろりと零す。僕は顔を上げて、ぱちくりと目を瞬いた。
「そうでしょうか……?」
クリスさんが一番手こずっているのは間違いない。だが、莉乃先輩だって僕だって手こずっている。
何しろ、お手本は墨田さんのものだ。
さすがに、あの日書いた墨田さんの書を理想として掲げるのは桃源郷に過ぎた。南野君がもう少し現実的なところでまとめてくれている。だが、元になっているのは墨田さんのものだ。
一朝一夕は無論、数日間をかけても、難解極まりなかった。いくら経験者で、ともにやる充足感に気づかされていても、手応えは薄い。
莉乃先輩の目には何が写っているのか。驚きが隠せなかった。
「もうしっかりバランスが取れているもの」
「莉乃先輩もしっかり書けていると思いますけど」
「まだまだだわ」
その瞳が目指しているものが分かってしまって、思わず苦笑いが零れる。僕たちはいつの間に、こんなにも高い理想を追い求めるようになっていたのだろうか。
「僕もですよ」
「……感化されたかな?」
そうして、莉乃先輩が視線を流すのは、今日も今日とて世界に没頭している二人だ。僕らの指標は間違いなく、あの二人だった。
「されないではいられませんよ」
「不服?」
「いいえ。先輩と一緒にやれるんですから光栄です」
「上手いんだから」
クスリと笑う相槌に薄く笑って答える。割と本気だったのだけれど、届かぬものは仕方がない。
始めは、名ばかりの部員になろうとしたもの同士だ。僕はどこか同じような気持ちを抱えている共同体のように思っている。
僕も莉乃先輩も、部に顔を出せない日も多発するほど忙しくなってきていた。元から、そういう日もある換算だ。だから、気にしなくていいとみんな言う。僕たちもそういうつもりであったから、必要以上に罪悪感を抱いているつもりはない。
南野君の教室でやれる日には出席できるように調整しているし、減っているのは個人練習の時間だけだ。迷惑はかけていない、だろう。
しかし、純然に、僕自身が不十分さを感じていた。物足りない。時間が足りない。まさか自分がここまでもう一度、書道に身を焦がすとは思わなかった。
好みの順位が変わったわけではないけれど。
「龍先輩」
「どうした?」
今日は漫研の日だ。完成間近のポスターから顔を上げた僕に、漫研の後輩が笑いかけてくる。穏やかな態度に首を傾げた。
「なんだかとっても楽しそうですね」
意外なことを言われるときと言うのは、重なるらしい。昨日の今日の出来事に、僕はやっぱり目を瞬いた。
「そうかな?」
「はい。最近とっても調子がよさそうです。筆が乗ってますね」
「……面白いからね」
「先輩が楽しそうで何よりです」
「そっちはどう?」
「順調ですよ。先輩こそ、忙しくないんですか?」
「それがいい刺激になっているのかもね」
「よかったですね」
にこにこと相槌を打たれて、もしかすると心配をかけていたのかもしれないとぼんやり思った。
当初は、僕が兼部に前向きでなかったことに気づいていたのだろうか。代表が兼部という状態に不安を覚えていたりしたのだろうか。少し、申し訳ないことをしたかもしれない。
僕はそうした思いを胸に抱きながら、同志たる後輩へと笑いかけた。
「充実してるよ」
忙しいけれど。心乱されることも多いけれど。才能などという面倒な枷がときに目に見えることもあるけれど。
それでも、今が楽しい。
文化祭まで一週間を切った。これからもっと忙しくなるはずだ。僕はそれをどこか心待ちにするかのように、絵と書に向き直っていた。
それは僕らをここまで連れてきた、書道馬鹿の二人のようだっただろう。
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