第六筆

有終の掛け軸を飾る①

 詳しいことは分かりません。ワタシは多くのことを取り零していたでしょう。けれど、文サンと部長サンが大喧嘩をしてしまったことだけは分かりました。言い争いの中身には置いてけぼりを食らっていましたが、殴り合うところだったのです。ピンチでした。

 けれど、どうしたらいいのかはまったく分かりませんでした。

 その日の帰り道。何にでも答えてくれる。付き合いがよくて物知りの龍センパイに尋ねてみても、二人のことは分からないようでした。

 翌日のこと。ワタシは書道室に行っていいのかどうかも分かりませんでした。どうしようと迷っていると、会長サンと廊下で出会いました。そのまま下駄箱へ並んで進み、そこで龍センパイとも合流することになったのです。

 三人で不安を分け合っているうちに、ファミレスへ行くことになりました。ワタシは他の学生がするように、寄り道をしたことがありません。初めてのことは、わくわくします。

 書道もとてもわくわくしました。楽しくて、ムズカシくて、でも楽しい。不思議な経験でした。

 部長サンはとっても厳しいです。

 理不尽なことを言ってくるわけではありません。物事を丁寧に教えてくれる人です。けれど、ムズカシイ人ではあります。部長サンの解説は、解説の解説がいります。でも、その解説は文サンでは足りません。

 それに、二人はどんどん専門的な内容で争ってしまうのです。二人は、よく似ています。

 いえ、文サンはとってもおおらかで、ムズカシイことを言わない可愛らしいセンパイです。部長サンとはまるで雰囲気が違いました。

 けれど、書道について話す二人はとてもよく似ています。よく分からないことで言い合う姿は真剣で、そして、楽しそうでした。

 その二人が、いつもとはまったく違う口喧嘩をしていたことは悲しくなります。せっかくのファミレスだというのに、それはとっても、もったいないことです。


「クリスさん、何にするか決まった?」


 会長サンが首を傾げて、ワタシを覗き込んできます。

 会長サンからは、いつもいい匂いがします。全校生徒の憧れの的。噂では知っていましたが、こうして関わり合っていると、それがよく分かります。

 何より、龍センパイがそういうふうに会長サンを扱うのです。

 龍センパイはとても分かりやすいです。今も、会長サンの様子をずっと不安そうに見ています。悲しんではいないだろうか。悩んではいないだろうか。そんなふうに心を砕いているようです。

 言葉にされればムズカシイ感情も、その姿から察するものに国境はありません。

 ワタシは、思うよりもずっと龍センパイの心が分かるようでした。確信を持って、会長サンへの感情を悟ってしまいます。不思議なことです。けれど、返事が遅れたワタシを心配そうに窺う会長サンを見る龍センパイの顔を見れば、嫌でも分かるのです。


「オススメありますカ?」

「ドリアとか?」

「ピザも美味しいらしいですよ」

「シェアするのもいいわね」

「イイですね」


 ワタシが答えて会長サンがいつも通りに戻ると、龍センパイの表情もよくなりました。本当に分かりやすい人です。

 けれど、会長サンは龍センパイの様子に気がついていないようでした。会長サンも会長サンで、想っている人がいることをワタシを知っています。

 部長サンの姿を、会長サンはよく見ていました。書をしたためている。ぴんと背筋を伸ばして熱心な瞳をしている部長サンの姿を、盗むように見ていました。

 秘めたような視線運びは、その心情を映し出すものでしょう。部長サンが、会長サンのその視線に気がつくことは決してありません。

 あの人は、ただ書に向かっているだけです。他の何も目に映っていないように、一心不乱に書だけを見ています。

 そして、そのそばには、同じように書しか見ていない文サンがいるのです。

 それはまるで、書を通してお互いの世界を共有しているかのようでした。二人は、ただそこにいて書いているだけ。それだけで語り合っているかのように見えました。二人だけにしか分からない世界。

 それに気づいているからでしょうか。

 会長サンが昨日の口論を気に留めるのも分かる気がします。そして、そうして悩んでしまうことに、龍センパイが心を配るのも分かる気がするのです。

 だって、ワタシもそうなのですから。

 ワタシが書道を知ったのは、動画ででした。日本へ留学するために情報を集めている最中に、偶然にも目にしたのです。そこに映し出された漢字の表現に、心を揺さぶられました。

 ワタシが勉強し、書き出すものとは、天と地ほどの差がありました。どうしたら、あんなふうに書くことができるようになるのか。どれだけ練習してみても、ちっとも分かりませんでした。

 そうして、夢中になったワタシは、日本に来てからも書道というものを追い求めました。

 そして、書道室の前に展示された書を見たとき、雷に打たれたような衝撃を受けたのです。それが部長サンの作品だと知ったのは後になってのことでしたが、そんなことは関係がありませんでした。

 ワタシはすっかりそれだけしか見えなくなって、書道部について秋ちゃんセンセーに相談しました。秋ちゃんセンセーは何の迷いもなく、やってみればいいとワタシの背を押してくれました。

 そうして、ワタシは書道部へ入部したのです。

 そこには、部長サンと一緒……それ以上の書を書く文サンがいました。二人の文字は素晴らしいです。ワタシは二人のことを尊敬しています。二人が並び立って書をしたためる姿が好きになりました。

 昨日のような仲違いする姿は虚しくなるばかりです。どうか、と願わずにはいられず、龍センパイと会長サンがそうするように気を向けずにはいられなくなります。つまり、今の状況を寂しく思っているのはみんな一緒ということでしょう。

 ワタシには何ができるでしょうか。

 それぞれに思い悩んでしまっている仲間たち。ワタシがこちらに来てできた、初めての同志です。

 友達がいないわけではありません。けれど、パフォーマンスというものにみんなで立ち向かう。色々なことを考えて話し合いをする。そんなふうにひとつのものに向き合ったのは初めてのことでした。ひどく胸の弾む日々です。

 それが、部活動の通常と言われればそれまででしょう。ワタシもこの部活の在り方が特例であると、勘違いしているわけではないのです。

 けれど、体験してしまえば感情が生まれ、消えることはありません。

 ワタシは、みなさんとパフォーマンスを成功させたいと願っているのです。二人には仲直りをして欲しいですし、このまま投げ出したくはありません。

 練習は大変です。尊敬する二人と同じ紙に作品をしたためるのですから、きっと一筋縄ではいかないことでしょう。実力不足であるワタシは、この中の誰よりも努力をしなければなりません。

 苦しいこともあるはずです。苦しいことは好きではありません。けれど、成し遂げるためには、悪くないと思うのです。ワタシはみなさんと書道ができることが好きなのです。

 どうすればいいのでしょうか。

 せっかくのファミレスだというのに、考えは一向に収まりません。ぐるぐると脳を回してしまいます。

 龍センパイと会長サンも口数は少なく、とても息抜きになっているようには思われません。きっと、二人も頭を使っているのでしょう。

 まったく同じように心配しているとは思いません。それぞれ、ポイントは違うでしょう。けれど、悩んでいることには変わりがありません。

 そして、すべてが上手くいきますように、と願っていることも事実でしょう。

 どうか、ワタシたちの時間が戻ってきますように、と。

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