書の道③
「一心不乱とか一意専心とか意気軒昂とか清廉潔白とか尊尚親愛とか破顔一笑とか才能とか魅力とか……いくらだってあるだろ」
言われるよりも言うほうが気は楽だ。割り切って四字熟語などを口にする。思ったよりも滔々と出てきたことには自分でも驚いたが、それは他の三人も同じようだった。
驚いているというか、不思議そうというか。そんな顔をして俺を見ていた。文まで驚嘆していて、眉を顰める。
「……何だよ」
「いや、なんていうか」
「思ったよりスムーズに褒めるものだから」
「部長サン、とってもとっても文サンが好きなんですね」
「はぁ?」
心底意味不明な物言いに、声がひっくり返った。今までやってきた会議の内容とさほど変わり映えのないもののはずだ。どうして俺の発言だけそのような感情に変換させられねばならないのか。
「瀬尾が先輩を褒めたのには、到底足りないと思うが」
「引き合いに出さなくていいわ」
「僕が言うのとは、またちょっと違うよ」
「日頃の行いよ。墨田さんも驚いてるじゃない」
そう告げられて、文はようやく復活したらしい。そうして、表情をじわじわと緩めた。とてもだらしがなくて、見ていられないほどだ。その朗色がぱっと周囲へと広がった。
「南!」
叫びと同時に飛び出してくる。額を押さえ込む暇もなく、腹部に頭突きをぶちかまされた。
「ぐ……ぁ、やめろ!」
「ありがとう」
「分かったから、離れろ! 嬉しいからって体当たりしてくるなんぞ動物か!」
「照れなくていいよ!」
「嫌気が差してるんだ! 離れないなら会議を抜けるからな」
パフォーマンスに協力しないとも取れる言いざまは、めざましい効果を発揮した。食らいついて離れそうにもなかった身体が、あっさりと離れていく。遠ざかった柔らかな温もりに、そっと息を吐いた。
「それじゃあ、墨田さんは一意専心とかにする?」
「南が選んで!」
「何でそうなる」
「だって自分で決めるものじゃないんでしょ?」
俺の言いざまを流用した得意げな顔が腹立たしい。譲る気もなく、俺の返事を待っている。こんなときばかり行儀正しくなくていいのに。
「……意気軒昂で」
「うん!」
小気味よい笑みで頷かれて、視線を逃がした。自分のことじゃなきゃ平気だと思っていた心が揺らぐ。ここまで喜ばれてしまうと、すわりは相当悪い。
可能ならばこの場からも逃げ出したかったが、そういうわけにはいかないので、会議を押し進める方向に舵を切った。
「言葉は決まったし、配置を決めるか」
「マス配置じゃダメかな?」
「なんだよそれは」
「半紙に書くみたいに」
「ああ……でも、それだと五つは変にならないか?」
「誰か一人は書の下側にするしかないよね?」
「ちょっと待て。ノートに書け」
「半紙でいいよ」
文がそばに準備してあった下敷きに半紙をセットして、筆を執る。
「横?」
「だろうな。真ん中に書だろ?」
「花びらみたいにするしかないかな?」
言いながら、文がざっくりと字を書いていく。本気にはさほど届かないだろうが、それでも魅力があるのは困ったものだ。全員で、その配置を見守った。
「書の下は学君がいいんじゃないかしら?」
「目立つところだからね」
「だったら墨田のほうが適任だろ」
「部長なんだから、南のほうがいいよ。字面的にもそっちのほうがいいと思う」
立場だけなら反論のしようもあったが、字面のバランスを盾に取られると弱い。俺は黙ることで納得した。
一度書き上げた文の配置を見ながら、思い思いに口に出す。バランスを見るだけなら、必ずしも書道の経験を必要としない。全員の意見を盛り込んで、文が決定稿を作り出した。
「どうかな?」
これは部長だからなのか。経験者であるからなのか。文は当たり前のように俺に確認をさせる。周囲もそうすべきと見ているようだ。頼られるのは悪くないが、くすぐったくはある。そして、最も実力のある文に任される責任感も生まれた。
俺は用紙を受け取ると、黒板へと向かって磁石で貼り付ける。そうして遠目になるように距離を取った。やろうとしていることは分かりやすかっただろう。全員が横並びになった。
ただし、一人だけは前ではなく俺を見上げてくる。その信頼のある眼差しは処置に困った。
「……いいんじゃないか」
決して、視線に押し負けたわけではない。しかと眺めて判断したことだった。
「これ、大きさはどうなるんですか?」
決定に和みそうになった会議の議題は尽きない。千秋の問いに顎をさすって思考を巡らせた。
「大きさは既存じゃないといけないの?」
「文化祭ならまったく気にせずに独自でいいんじゃないか。ステージ次第だな」
「体育館の舞台をそのまま使えるわよ」
「だったら、制約はほとんどありませんよ」
「でも、独自にするにしてもどうするかは悩みどころだよね」
「部費にも左右されるな」
「あう」
和紙代は馬鹿にならない。練習も含めれば、それなりの量は必要だ。隙間でも裏でも使い倒すことはできるが、使い捨てなのは間違いない。道具は一生ものだが、お金がかかる部活なのだ。
「秋ちゃんに相談するしかないな」
こればっかりは自己判断はできない。呟いた瞬間
「呼んでくる」
と文が駆け出していった。止める間もなければ、その衝動的行動にも慣れつつある。俺たちはいつものことだと見送って、息を吐くに留めた。
「……書体をどうするか考えるか」
「楷書がベストじゃないかな?」
「少し行書を加えてもいいと思う。筆運びがあるほうが動きが出るだろ」
「少しくらいなら、特化した練習で書けるようになるかな……」
「ムズカシイですか?」
「練習次第でしかないな」
「クリスさんに負担がかからないかしら?」
「むしろ、一から覚えるのなら、下手な癖もなくていいかもしれません。鈴鹿先輩のほうが大変な可能性もあります」
「お手本は作ってくれるのよね?」
少し遠慮気味にこちらを見上げられる。いつも凛と自分たちを導いてくれている人に様子を窺われるというのは、それなりにぐっとくるものらしい。
「もちろん。クリスの分と一緒に作りますよ」
「僕は放置なの?」
「書けないか?」
「古典から文字を見繕って決めるんだよね? やったことないよ」
「じゃあ、瀬尾にはやり方を教える」
「手厳しいなぁ」
「瀬尾ならできるだろ」
「期待がくすぐったい」
龍之介は照れくさそうに笑っている。龍之介の実力から見れば、それくらいができることは明白だ。自明のことに何を恥じているのかさっぱり分からなかった。
書道室に置いてある自分の辞書を取り出して捲っていく。どう教えるべきかと考えながら、龍之介を呼んだ。
「辞書から探す方法もあるし、そう難しくはない」
「これをバランスよく選出するのも知識や経験がないとできることじゃないんだけどな」
「なら、経験すればいい。秋ちゃんに確認してもらうのもありだ」
「南野君は見てくれないの?」
「俺だって、まだまだ未熟だ。そこまで細かく教えられるほどじゃない」
「十分教えてくれてると思うけどね」
微苦笑を浮かべた龍之介が、同意を求めるように千秋と莉乃に視線を向けた。
「そうね。十分な力になってるわ」
「ワタシはお手本とっても助かってます。部長サンは厳しいですけど、確かです」
「そんなに言っても、力を貸すにも限度はあるからな」
自分のことで手いっぱいになるだろう。ただでさえ自分の書が上手くいかずに迷っているものだから、他人に時間を割いてはいられない。
そうだ。パフォーマンスに時間を割くことも、本来であれば避けたいくらいだった。
一人でやる、という感情が強かったのは、賞への参加について考えたいたからだ。参加を諦めているわけではない。研究時間が必要だ。そう考えると時間が足りない。どうすべきか。今更浮かんだ思考に耽る時間は与えられなかった。
戻ってきた足音は二つ。一方が一方に引きずられているような音に意識を叩かれて、思考など吹き飛んだ。
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