書の道②

 誰かが休んだり離席したりすることはある。しかし、パフォーマンスをすると決めてからの書道室はしっかりとした部活動の場になっていた。

 当初心配していたような煩わしさはない。いい雰囲気と言って相違なかった。文のおかげでこの場が整えられたかと思うと、悔しくはある。だが、ともに字がかける心地良さがそれを上回ってしまったのだから、観念するしかあるまい。

 そうして三日が経ち、俺たちは再びパフォーマンスに向けての会議を持った。

 文の爆上がりしたテンションを鎮めることは、誰も彼も諦めている。というよりも、俺ができなければ自分たちでは力量不足だと思っているようだ。

 屋上の一件が尾を引いているらしい。正直、俺ですら手に負えなかったから怪我をしたと思うのだが、あのとき文が俺の言うことを聞いて降りようとしたことと、おとなしくなったことだけを主に記憶しているようだ。できればその後の看病という名の暴走についても覚えておいて欲しかった。

 ……謹慎中であったから知らないのかもしれないが。


「みんなの言葉は考えてきた?」

「単語でいいんだよね? いくつかは思い浮かんだわ」

「僕もです」

「スミマセン。ワタシはよく分からなかったです」

「何かいいのを見つけることもできなかった?」

「秋の字が入った単語がいいなとは思っています」


 千秋はかなり語学に堪能なほうだ。

 早い応酬には置いてけぼりを食らっていることが往々にしてあるが、聞き取りにはほぼ問題がない。ただ、知識との擦り合わせに時間がかかるようだった。

 そして、その知識のほうは、些か不足している。そんな中で単語を探してこいというのは骨が折れる。希望を口にできるだけ上出来だった。


「それじゃあ」


 と、龍之介が電子辞書を引いていく。


「ネットのほうが調べやすくない?」


 と言いながら、スマホを取り出したのは莉乃だ。


「春夏秋冬とか立秋とか秋分とかもあるけど……千秋ちゃんっぽいのだよね」


 思いつく限りを列挙するのが文で、俺も辞書を取り出して捲った。

 思い思いの行動に、千秋は目を白黒させている。たったひとつのことから、こんなに一斉に動かれるとは思わなかったのだろう。そして、千秋が驚くのも無理もないほど、たちどころに候補がもたらされた。


「一日千秋はどうかな?」


 龍之介の言葉を各々が吟味する時間が数秒。すぐに文が食いついた。


「千秋って入ってるね!」


 とても素晴らしい発見をしたとばかりの文に、龍之介が頷く。


「それに一日なら難しくはないし、大丈夫そうでしょ? 本人を想起させる単語ってわけにはいかないかもしれないけど」

「どういうイミですか?」

「一日が千日のように長く感じられる。待ち遠しく思うって感じかな?」

「日本で書道について勉強するのを、一日千秋の思いで待っていました! あってますか?」


 やはり、感触がいい。即応した千秋に、龍之介が感心した顔で頷いた。


「すごいね、クリスさんは。理解力が高いし、そういう思いを込めて書くという理由もつけられそうだ」

「ダブルミーニングはいいわね」

「じゃあ、千秋ちゃんはそれで決まりだね」


 うんうんと我が意を得たかのように、文が話をまとめる。


「次は龍!」

「穏やかさを前面に出したものがいいんじゃない? この中では一番落ち着いてるもの」

「莉乃先輩に言われるほどじゃありませんけど」


 クールで名を馳せる莉乃からの評価は、さぞかし荷が重いことだろう。


「でも、穏やかはあってるんじゃないか。温厚とかそれこそ温厚質実とか、どうだ?」

「僕、そんなにいいもんかな?」


 照れくさそうに頬を掻く仕草も穏やかで、ピッタリだという感情が強まるばかりだった。それは共通認識であったようだ。


「優しい龍センパイにはピッタリだと思います」

「真面目さ? 誠実さも似合ってると思う」

「決まりだな」


 未だくすぐったい顔をしている龍之介に告げると、眉を垂れながらも納得したようだ。


「会長サンは美人だとか、そういうイミがいいと思います!」

「才色兼備とか氷肌玉骨とか容姿端麗とか、文武両道みたいなのと捨てがたいですね」


 意気揚々と述べた千秋に龍之介が乗り合わせる。やけに舌の滑りがいいのは、自分のことから早く解放されたかったからだろうか。代わりにべた褒めされている莉乃が目を丸くしていた。


「身の丈に合わないわ」

「何を言っているんですか。傾国傾城でもいいくらいですよ」


 ひたむきに言いくさった龍之介には、こちらまで驚かされる。

 確かに、莉乃はうちの自慢の生徒会長だ。それは同意するが、よもや龍之介がここまで入れ込んでいる生徒だとは知らなかった。

 みなが面食らっていることに気がついたのか。龍之介はすぐにしまったとばかりの顔になり、曖昧な笑いを浮かべる。


「すみません。熱が入りすぎました。気持ち悪いですね」


 自虐的な謝罪は莉乃に向けたものだった。莉乃は慌てたように、二・三度首を左右に振ると、物思いに耽るかのように小さく目を伏せる。それがまた絵になる、とは、その美しさを俎上に載せていたからこその感想だっただろう。


「そんなふうに思ったりしないけど、そんなに褒められると照れくさいから」


 ほのかに微笑を浮かべる莉乃の頬は、言葉通りに照れが滲んでいた。


「え、あ、はい、いえ」


 それを真正面から見ることになった龍之介はしどろもどろに頬を染める。こっぱずかしいムードは、居心地が悪くて尻こそばゆい。

 文が二人の姿を見つめて、何やら思い巡らせているような顔をしている。いい感じなんじゃない? というところだろうか。予想できたことにうんざりした。

 文がからかうなり、焚きつけるなり。とにかく余計なことを言い出さないうちに、咳払いで空気を壊した。一瞬で不満をみなぎらせた視線に貫かれたのは無視をする。


「とにかく、鈴鹿先輩はその辺りがお似合いじゃないですか」


 俺まで龍之介の褒め言葉に便乗した形になってしまったからか。莉乃の顔色は一段と赤く染まった。


「美しいだけでなく、会長らしさもあるとよりピッタリですね」

「それじゃあ、才色兼備で決まりでいいんじゃないかな?」


 未だ照れくささから立ち直りきってはいないのだろう。しかし、言うべきことは言うとばかりに、龍之介が決定を下した。もちろん、反対意見はない。満場一致であったことは、莉乃には身の置き所がないものだったようだ。


「次は学君ね」


 と話を進める口調は早口だった。


「公明正大とか質実剛健とか」

「真面目だよね」

「厳しいです」

「誠実よね」

「だったら、謹厳実直とかもありじゃない?」


 なるほど。さっきまでの龍之介と莉乃の気持ちがよく分かる。なまじすらすらと出てくるだけ、面映ゆくて居ても立ってもいられない気持ちになった。やけにテンポよく認めるものだと思っていたが、さっさと切り上げてしまいたかっただけだったようだ。


「南野君の印象は広いんだよね」

「同じようなものが多いけれど、それでも絞るのは難しいわ」

「どれでもいいんで、決めてください」

「何で他人事なの? 南のことなんだよ? どれがいいとかないの?」

「何で俺だけ自分で決めなきゃならないんだ。そんなにこだわるなら、君が決めればいいだろう」

「じゃあ、謹厳実直!」


 まるで初めからそれに決めていたかのように即決されて、くすぐったい。いかにもピッタリでしょ? と威張ったらしい顔つきであったのが不幸中の幸いだろう。照れくささは鬱陶しさと半分こになった。


「最後はあたしだね」


 どんとこい、とばかりに胸を張った文に半眼する。ここまで堂々と褒めろという態度を取られると、多少の悪戯心が湧くものだ。


「自由奔放とか傍若無人とかでいいんじゃないか」

「ちょっと! なんであたしだけ、そんななの? 褒めてないよね?!」


 食ってかかる文だったが、誰もフォローはしなかった。悪意はなかっただろうが、そういうところがあるのは否定できないということだろう。千秋が即座に理解しているかは怪しいが、他の二人と心はひとつのようだった。

 文はぷんぷん怒る。激怒ではないし、せいぜい不貞腐れている程度のもので、慰めるほどのものではない。とはいえ、このままでは面倒であることも間違いなかった。

 そう思っているのも、みんな同じだったようだ。少なくとも、龍之介は同じ気持ちだったらしい。


「まぁ、冗談は置いておいて、真面目に考えよう」

「天真爛漫などはどうしかしら?」

「賑やかさが通じるのはいいですね」

「明るさも含まれますか?」

「うん。墨田さんらしいものだと思うけど」


 どうかな? とばかりに龍之介が見たのは文だ。

 なぜだか、文の言葉は文自身に決定権があるらしい。恐らく初手で文句をつけたからだろうが、聞かれることに関して本人も満更でもなさそうだった。


「他にはない?」


 ことんと首を傾げる文はあどけないものだ。

 それぞれが思索するような顔になった。こういうのはひとつ浮かんでしまうと、固定されてしまって、次がなかなか出てこない。

 その様子を見つめていると、文と目が合った。真っ直ぐな瞳は、期待に満ち溢れている。無言の攻防は数秒。どうせ押し切ってくるに違いないと諦めた俺が、ため息ひとつで折れた。

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