艱難汝を書にす③

 文の説明は抽象的で、ざっくばらんとしている。千秋が首を傾げっぱなしで、口を出すより他になくなってしまった。

 普通パフォーマンスとは、複数人で音楽に合わせながら書を書くものだ。まとめるとこれだけ簡単なことなのに、説明できない文には頭が痛い。

 正確にはもっと色々な要素があるのかもしれないが、千秋に与えるには十分な情報だったようだ。見たことあります! と叫んだかと思うと、スマホの操作を始めた。すぐに開かれたのは、動画投稿サイトだ。

 さくさくと手慣れた調子で操作していく指先を見ながら、目的のものが提示されるものを待った。

 文は待ちきれないのだろう。千秋に顔を寄せて、画面を覗き込んでいた。パーソナルスペースが激狭だ。治らないものかと思うのは、その近さに煩わされている以上仕方があるまい。


「これです」


 見つけたらしい画面が、こちらにも差し出される。見ないわけにもいかないようなので、近付いて覗き込んだ。既に再生されている動画の中では、袴を着た女の子たちが書道パフォーマンスをしていた。


「うわぁ」


 感嘆を上げる文が、どうだとばかりにこちらを見てくる。条件を譲る気はないので、取り合わずに離れた。


「これをやるんですカ?」

「うん! そうだよ。すっごく楽しそうでしょ?」

「でも、ムズカシそうです」

「大丈夫。あたしがしっかり教えるし、千秋ちゃんは楽しんでくれればそれでいいんだから」


 それだけで済んだら、苦労はいらないだろ。

 反射的に浮かんだ反駁は、胸の奥へと仕舞い込む。パフォーマンスはさておき、書道を始めたばかりの千秋に水を差すのは忍びない。せっかく日本文化に興味を持ってくれているんだから、と厳しさは飲み込んだ。


「こういうの着るんですか?」

「うーん、それはどうだろう? 着れたらいいけど、多分無理かなぁ」

「それは残念ですね」

「え、着られないとやりたくなくなっちゃう?! じゃあ、どうにか」

「NO! やりたくないとは言ってないですよ!」


 文が無茶をするかもしれない。それを感じ取ったのだろう。突如として明瞭になった千秋の顔が白くなっていた。袴のための具体的な危険行為は思い浮かばなかったが、千秋の危機管理能力は確かなものだ。

 ただし、その回避のためにパフォーマンスを肯定してしまったのは痛手だろう。

 文はギラギラした瞳で千秋に飛びついた。容赦のない勢いであったが、千秋はどうにか倒れずに堪えている。文が小柄であるから許されているものだ。これで図体がでかければ、大変なことになっていただろう。

 抱きついた文はぎゅうぎゅうしがみついて、千秋を困惑させていた。無言の抱擁は困るよな。経験者として同意を示してやりたいくらいだ。

 だが、俺がフォローするより先に、文ががばりと顔を上げて笑った。


「ありがとうね! 千秋ちゃん。一緒に楽しくいっぱいやろう! 困ったことがあったら、何でもいつでも言ってもいいからね。先輩に任せなさい!!」


 むふーと鼻息荒く宣言する。大言だ。文ならできてしまうくらいの実力があるだろうけど、だからって全面的に任せろなんて早々言えることじゃない。考えなし、というのかもしれないが。

 そして、何より千秋が困っているのは今だろうに。


「文サンが教えてくれるんですか? やり方、分かるんですか? いないって言ってませんでしたか?」


 どうやら千秋は、俺が思うよりも切実に困惑していたようだ。

 確かに、教えるための知識が不足しているのは間違いない。これだけ押し切ってくる文でさえ、パフォーマンスの経験はないのだ。本当に大言であったことを思い知る。


「大丈夫! まずは書くことだもん。千秋ちゃんが自由自在に筆を扱えるようになるように育てるよ」


 ぐっと拳を握った文に、千秋の翡翠が光った。その目も眩むように打てば響く反応は、悪い前兆しかない。


「自由自在! カッコいい漢字たくさんですね!」


 こっちもこっちで大概だとこめかみを押さえる。

 千秋のテンションが上がったことで、文のテンションも相対的に上昇した。嫌なタッグだ。組んで欲しくない。今すぐ解散してはくれないだろうか。


「よし! そうと決まれば早速書こう、千秋ちゃん。たくさん練習しなくっちゃ!!」

「ハイ、頑張ります」


 まったく間違ったことを言っていないものだから、口を挟む間もなかった。

 文と千秋はすぐさま硯に向かい、黙々と書に向かい始める。千秋は自由自在にほど遠く、まだまだ不格好な文字を書いていた。それでも一生懸命なのは分かるから、邪魔などするわけもない。何にしても、書道室の安寧が保たれるのであれば願ったり叶ったりだ。

 俺も二人に倣って、練習を再開させた。

 秋生は条件を確認した後に、準備室という名の作業室に引っ込んでいる。大会に出る気があるようだから、練習をしているのだろう。

 誰も彼もが自分のことに向き合っていて、書道室を取り囲む環境は実に平和だった。




 その日から、千秋はすっかり文に懐いている。慕う要素がどこにあるのか。疑問は尽きないが、一方で納得してしまうところもあるのがいただけなかった。

 書くことにかけて、文の才能は認めるより他にない。

 だから、その面で文を慕うことには納得できてしまうのだ。ただし、それは書くことにしか発揮されない。

 千秋に教えるのを聞いてると、ビックリするほど感覚に頼った言い方をしていた。擬音だらけの言いざまに、千秋は当惑しきりだ。

 それなのに慕えるのには感心する。ただし、どんなに慕っていたとしても、そんな指導では上達するわけもない。会話が成立していないのだから当然だろう。素知らぬ顔にも限度があった。

 千秋の練習は、言うならばパフォーマンスのためだ。すべてがそのためではないだろうが、目標に据えていることは間違いない。本来ならば、手を貸したくはなかった。

 だが、やっていることは書道だ。耳に入ってくる大雑把極まりないアドバイスは聞いていられなかった。

 俺は口どころか手も出して、千秋の練習に手を貸している。

 文の字は自由で、お手本にするには向いていない。それに比べれば、俺は楷書が得意だ。面白みがないとも言われるものではあるが、お手本とするのならば問題はないだろう。

 千秋にいくつかの手本を渡して練習させていた。手助けに感謝してくれる千秋よりも、文のほうが嬉しそうでやかましい。

 俺をパフォーマンスに取り込めるかもしれないと思っているようだ。そう易々とほだされるつもりはないし、条件を削るつもりもない。

 それをはっきりと告げると、文はご丁寧にへこんだ。面倒くささに頭を抱えたのも束の間、すぐに気を取り戻す。本当に気忙しくて面倒くさい。


「条件を満たせばいいんだもんね」


 小鼻を膨らませて放言すると、文はそれから龍之介と莉乃にかかりきりになっている。

 千秋の様子を見ることも忘れてはいないけれど、それでも多くの時間、書道室から姿を消すようになった。説得に向かっているのだろうが、成果は出ていない。

 そんなもんだろう、と俺は静かに諦めている。

 龍之介と莉乃の態度は、別段特殊ではない。書道に夢中になれる人間が少ないのを、俺はよく知っている。

 祖父の書道教室で過ごしてきた。同級生たちが教室に来るのは、ほとんど親の意思だ。そして、友人たちと話しながら楽しんでいることが多い。書を極めようとするものは少数だった。

 文だって分かっているだろう。経験があるはずだ。同じようなことは、いくらだってある。それでも足掻いている文には苦々しい。

 馬鹿だ。嘲る気持ちもある。

 同時に、その無邪気さが羨ましくもあった。捻くれていない。その実直さが、文の自由で生き生きとした書を創り出すのだろうか。

 好きなようにやって、それにそのままの評価がつくなんてのは、数少ない人間の特権だ。きっと、俺にはない。文のように生きればいいとでもいうのか。それが無理だということも、それで自分の書がどうにかなるものではないことも分かっていた。

 余計なことを忘れるためにも、書に集中する。文がいないので、不意打ちの賑やかさに足を引っ張られる回数も減っていた。時々千秋の様子を見ながら、数日間を過ごした。

 そうした日々が、三日、四日と続けば、日常となり始める。

 このまま二人……文は必ず戻ってきて筆を持つので、三人。三人での活動が続くのだと思っていた。パフォーマンスのことなど、忘れ去っていたと言ってもいい。無理だと決めつけて、考えようともしていなかった。

 しかし、五日目のこと。書道室で準備をしていると、文が龍之介を連れてやってきた。強制連行してきたのは一目瞭然だ。

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