艱難汝を書にす②
「龍と莉乃先輩が来ないんだよ! 裏切りだよね、って話してたの」
「裏切り?!」
「安心しろ、クリス。そこまで大仰なことじゃないし、責めてたわけじゃないし、敵対したわけでもない」
「そんなことはない! 大変なことだよ!!」
文が勝手に大ごとにしているだけだ。物騒な言い方過ぎる。千秋はおろおろと俺たちを見比べていた。
「まぁまぁ、二人とも落ち着きなよ。まだ、一日目だろ?」
「一週間経つよ」
「それは謹慎を含めてだろ」
秋生の取り成しにも耳を貸さない文に、ため息が零れる。そこまで深刻なことはひとつもないのに、面倒な。恨み節のひとつも飛び出す。
「だからでしょ?」
「だから?」
理由が繋がっているようには思えない。眉を顰めると、文のほうもよく分からないとばかりの顔になった。
「だって、一週間も書けなかったんだよ? 今日は来るでしょ?」
平然と主張された言葉に口を噤む。それに反論するだけの別解は、俺の中にはない。秋生が苦笑した。
「二人は待ちきれなかったんだろ? でもそれは特殊だからな」
そんなことは分かりきっている。そのうえで口を噤んでいたのに。
文のほうは、ぽかんと秋生を見上げていた。予想だにしないことを言われたというような顔だ。嘘でしょ? と顔に大書してある。
秋生はそれに苦い顔で答えた。文は信じないとばかりに俺を見て、それからすぐに千秋に視線を移す。俺じゃ当てにならないと踏んだのだろう。
じっと見つめられた千秋は、頬に手を当てて困ったように首を傾げた。どこぞの貴族みたいな仕草が、ルックスにマッチしている。おっとりしているように見えるが、ただ話についてこられていないだけだろう。
しかし、文は主張が通らなかったと解釈したようだ。愕然とした顔になった。
「なんで?」
「馬鹿」
「なんで?! 何が?」
「優先順位はそれぞれだろ。瀬尾は漫研優先だって言ってたよな」
最初にそう言われて、了承したはずだ。文も覚えているし、気に留めるつもりはあるらしい。ぶんむくれたままだが、それ以上言い募りはしなかった。
しかし、顔面……というか全身から不理解が滲み出ている。人間はこんな妙なオーラを放つことができるのか、と観察している場合ではない。
千秋が気にして目をさまよわせているし、秋生もどうにかするようにとでもいう目を向けてくる。
教師なんだから、秋生がなんとかしてくれよ。思うのは簡単だ。しかし、秋生じゃ文を抑えきれない。それは屋上の件で明らかになっている。
「まだ一日目だろ」
「だから、それは」
「理屈はいい。これからも来ないなんて誰も言ってないだろ」
「そしたらパフォーマンスしてくれる?」
「聞いてみればいい」
「いいの?!」
「俺には関係がないからな。好きにしろ」
「関係あるよ!」
「好きにしろって言ってんだから、構うなよ」
俺は俺さえ巻き添えを食わなければそれでいい。文が他の部員とやる分には、文句はなかった。話は終わりだとばかりに硯に向き合おうとすると、ぐいっと袖を引かれる。いつの間にこんなに近くに来たのか。瞬間移動を疑いたい。
文はじっとこちらを見上げてくる。
「いやだ」
「は?」
「南と一緒にやりたい!」
真摯だった。それは書に向かうときと同じように。
それでも、文がそこまで俺を引き込みたい理由が分からなかった。思考体系が読めない。どれだけ書道に対しての気持ちが似ていようとも、そんな超能力者のようなことはできなかった。
無言で睨み合う。
「一回くらい、いいんじゃないか」
と向こう見ずに割ってきたのは秋生だ。
暴走を止められないくせに、背中は押す。苛立ちがふつりと沸き立った、文のほうは一瞬できらめいた顔になる。そのことが余計に苛立ちを増幅させた。
「それをOKしたら、次もと言い出すのが目に見えてるだろ。俺は大会が忙しい」
「大会があるのはみんな一緒だろ?」
「なら、全員そっちが忙しくなるだろ。パフォーマンスなんてやる時間なんてない。大体、経験者がひとりもいないのに、一から始めようとしたら余計に時間がかかる。秋生だって大会があるし、どこに手を貸す余裕があるんだ? 墨田の手綱を握りながら進めるなんて無茶だ」
「手綱なんてついてないよ」
「だろうな」
ついていれば、こんなに苦労はしていない。まず手綱をつけるところから始めなければ、と思うと気が重すぎる。
野生動物か何かか?
そして、肝要なところはそこじゃない。できないという部分だ。しかし、それは秋生によって蹴り飛ばされた。
「そこまで分かってれば、墨田さんが諦めないことも分かってるだろ?」
「だからって、了承するつもりはない」
「じゃあ、条件でもつけてしまえばいい。墨田さんもそれができないなら諦めるってことで」
「チャンスがあるってこと?!」
デメリットにはまったく目を向けていない。単細胞生物だったか。
「まぁ、そうだね」
「条件ってどうすんだよ」
俺は妥協するつもりもないから、そんなことを考える気も更々ない。秋生に丸投げする。投げやりな俺ときらめく文に見上げられた秋生は、考える素振りを見せた。
困り顔の秋生は、考え込むと悲壮感が出る。数分考えた秋生は、確かめるように頷いてから人差し指を立てた。昔ながらの癖だが、教師となった今ではやけにさまになるポーズである。
「まず、瀬尾君や鈴鹿さんを定期的に顔を出すように説得すること。これは来てもらわなきゃパフォーマンスの練習もできないからね」
こくこくと首を縦に振って、文が話を聞いていた。
「次に二つ目」
言いながら、もう一本指が立てられる。
「クリスさんも含めて三人から、きちんとパフォーマンスがやりたいと言質を取ること。三つ目は、それを材料に学を引き込むこと」
「え?!」
ふんふん聞いていた文が、素っ頓狂な声を上げた。
「南が付き合ってくれるための条件じゃないの?! 南を引き入れるのも条件って矛盾してるじゃないですか!」
「どうどう。落ち着いて。つまり、揃って初めて南に詰め寄ってもいいってこと。南は条件を満たしていると分かれば、ちゃんと協力すること」
「……それは協力じゃなくて参加だろ」
「部員全員が参加となったら仕方がないだろ、部長」
部長だからと言って、輪に加わる義務があるわけじゃない。反論しようと思えばできただろう。
だが、部活動だ。不干渉というわけにはいかない。それに、自分のあずかり知らぬところで物事が進められるのも釈然としなかった。しかも、その主導を握るのは文だ。部として多大な失態をぶら下げそうである。
黙って俺の返事を待っているメンバーに深いため息が零れた。どれだけ吐き出しても、気持ちが軽くなることはない。むしろ、吐き出した分だけ、その隙間に嫌気が飽和していくようだった。
「……分かった」
無理やり捻り出した返事は、自分で思うよりもずっと低くて重い。渋々なのが滲み出したガキくさい返事だった。
それにもかかわらず、文はこれでもかと表情を輝かせる。眩しさに堪えきれずに、目を逸らした。
それすらも、臍を曲げているガキのようで忌ま忌ましい。実際に小さな子どもがやっているのなら微笑ましいが、自分がそんな仕草をしていると思うと消沈した。
そして、目を逸らしたところで、輝くような気配は消えてくれない。それどころか、圧が強くなってきている気がして、腕を構えた。同時に飛びついてくるのを視界の端が捉えて、すぐに向き直って額を押す。
べちんとなかなかの衝撃が腕を伝わったが、文は一歩も引くことはなかった。にぱぁとだらしのない笑みをやめることもない。粗雑な扱いに笑っているなんて恐怖でしかなかった。
「さすなみだよ!」
その顔と行動をやめろ。妙なあだ名を定着させるのをやめろ。秋生は見てないで助けろ。せめて呆然としている千秋に説明してやれ。
口にしたい文句は山のようにあって、どれから言えばいいのか分からない。渋滞を起こした結果、零れ落ちたのは簡潔なことだった。
「厳しく見るからな」
細かく言っても聞きやしないのだから、最終判断を下す立場を手に入れたのは結果的によかったと思うことにする。
「うん!」
と快活がゆえに当てにならなそうな返事が返ってきた。
いくらでもため息が吐ける。その分、文が胸を張って大きく息を吸い込んでいた。前途多難ぶりに、沈んだ息が更に零れる。
秋生はこれでよしとばかりに澄ました顔をしていた。顧問としては仲裁が上手くいって一段落なのかもしれないが、それは俺の譲歩の上に成り立っているものだと理解してほしい。手柄みたいな顔には不服しかなかった。
ひとまず、これでよし。
そんな空気が流れてくる。三人の中で一応の方向性は決まった。そうした緩さに身を任せようとしていたが、ここにいるのは四人だ。一人、取り残されている人間がいた。
「ところで、パフォーマンスって何をするんですか?」
至極まとも、かつ文のテンションをぶち上げる問いに、一度落ち着きを取り戻していた場は、再度目まぐるしくなった。
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