同部相救う③

「調子はどうだ?」


 龍之介が入部して三日。すっかりご無沙汰だった秋生が書道室に顔を出した。なんとも頼りない顧問だが、今までは俺しかいなかったのだ。特に用でもない限り、秋生についてもらう必要もなかった。


「あれ? 二人だけ?」


 目を巡らせる秋生が首を傾げる。


「龍センパイは漫研で文サンはカンユーに行きました。時間がないから、と」

「あと二日だもんね。残り一人だし、気合いが入ってるみたいだな」

「人数は関係なくいつも全力だ」


 それに振り回されている。飽き飽きと零すと、秋生は苦笑した。


「いいことじゃないか」

「秋ちゃんは墨田のことを知らないから言えるんだ」


 今週に入ってからの文は、本当になりふり構わなくなった。

 少しでも書道をしている人がいると聞けば、どこにでも突撃する。いつの間にかビラを作っていて、許可の取れた掲示板を片っ端から素晴らしい文字で埋め尽くした。かなりの声かけも行っているようだ。人が人なら、事案になっていてもおかしくない。


「すっかり打ち解けたんだな」


 こちらは萎えているのに、呑気極まりない秋生に白い目を向けた。


「学が相手をするなんて、珍しいだろ?」

「否が応でも巻き込もうとしてくるだけだ」

「それでもだよ」


 秋生は随分愉快そうだが、台風に巻き込まれるこちらはたまったもんじゃない。眉を顰めるも、秋生は毛ほども引かなかった。


「だって、書道にしか興味のなかった学がだよ?」


 まるで親戚のおっちゃんだ。近所のお兄さんは年を増すごとにそういう生命体になっていくものなのだろうか。


「やーっと女の子に興味を持ったのかと思うと感慨深いよ」

「そういうことじゃない」

「同じようなもんだろ」

「まったく違う。知ったようなことを言うな」

「え~」


 恋バナを咲かせたくて仕方がないJKのようだ。生徒に親しみやすい先生であるのだろう。秋ちゃん先生という呼び名が馴染んでいるのも、俺が呼んでいるからという理由だけではない。

 だが、いかんせん今は鬱陶しいだけだけだった。

 どうにもしつこそうなそれを無視して、安泰の時間に飛び込もうとする。しかし、タイミングを計ったかのように、妨害するような物音が飛び込んできた。

 目を向けて身構える。千秋も扉のほうを見ていた。音の正体を知らない秋生だけが、怪訝を浮かべている。その謎はすぐに解けて、問題児が飛び込んできた。


「みーなーみー」

「うるさい」


 反射で声が出る。恐ろしい瞬間だ。


「もう全然掴まらなくなってきたんだけど」

「だろうな」


 大抵の人間に広がるほどの噂になっているが、見学者もいない。正直、文の勢いに引いている子がいるんじゃないのかと疑っているが、何にしても来ないものは来ない。


「千秋ちゃん、いい案ない?」

「龍センパイみたいに兼部でいいから勧誘してみるのはどうですか?」

「ダメ。意外にいいって人いないんだよぉ」

「運動部員が多いからね」

「そうなんですよ。そんな暇はないって言うんですよ。このままじゃ廃部です」

「あと一人なのに、悲しいですね」

「龍だってせっかく入ってくれたのに」


 あえて確かめてもいないが、千秋も部員には増えてもらいたいらしい。まぁ、それもそうか。入ったばかりの部が潰れるのは嫌だろう。


「期日を延ばしてもらうことはできないですか?」


 千秋の問いかけの瞬間、文のスイッチが入ったのが分かった。ぎらりと光る瞳は雄弁だ。


「そういうのって誰が決めてるんですか?」


 文が迫ったのは秋生だった。きっと分かっていた。俺が口を割るわけがないと。

 そして、止めようと動き出す間もなく


「生徒会だよ」


 と秋生が答えた。


「秋ちゃん!」


 責めるように呼びかけたのと、文が一足に飛び出していったのは同時だった。いつかはすっころんで涙目になっていたが、文の足は速い。一瞬のうちに扉を開いて駆けていく。

 嫌な予感なんて漠然としたものじゃない。はっきりと生徒会に迷惑をかけるぞという悲観が湧き上がった。

 それに突き動かされるように飛び出す。


「待て、墨田!」


 先に声が出たが、そんなもので止められるわけもないと分かっていた。千秋と秋生を放り出して駆け抜ける。前方に文の姿はもう見えなかった。

 生徒会室は一階の図書室横だ。そこまでに確保できるか。できないかもしれない。そう思いはしたが、このまま放置することはできなかった。出遅れようとも、引っ張ってでも連れ帰らなくては。

 延期を求めるにしても特別な理由だってないのだ。文が交渉を成立させられる気もしない。

 転がるように降りる階段の途中で危うく人にぶつかりそうになって、身を翻してどうにか避ける。


「南野君?」


 どうやら相手は龍之介だったらしい。すれ違いざまの疑問じみた声に


「生徒会室に墨田を連れ戻しに行ってくる!」


 と、ほとんど捨てるように置いて駆け抜けた。すべてが上手く伝わったかなんて気にしている場合じゃない。それよりも文だ。

 龍之介は二年の教室のある二階から上がってきただろう。文を見ていれば俺が何をしているのかなんて聞かなくても察したはずだから、文はもう一階まで降りてしまっている。間に合わないな、と思いながらもスピードは緩めなかった。

 運動不足のつもりはないが、息が上がる。文の体力は化け物か、と愚痴を抱きながら一階へ到着すると、ばたんと激しい扉の開閉音がした。その苛烈なやり方は、書道室を開くときによく耳にするものだ。俺は今までの疲労も蹴っ飛ばして、生徒会室に突撃した。

 近付くにつれて、期日延期を訴える文の声がする。

 半分開きっぱなしの扉をノックして、それを遮った。緊急事態だ。返事も聞かずに開いて入る。


「南!」

「学君」


 文と一緒に生徒会室にいたのは、鈴鹿莉乃すずかりの生徒会長だけだった。

 会長とは去年から知り合いだ。俺は部長になることが決まっていたから、三年の先輩に副部長として部会議に連れられていた。莉乃はそのとき既に生徒会副会長だったので、その場で知り合ったのだ。

 去年の秋で会長になったあとも、何かと気にかけてもらっている。その人に迷惑をかけているのだから、いたたまれない。


「南。手伝いに来てくれたの?」


 脳天気な頭は、日頃の俺の態度を加味しないらしい。なんとも自分本位だ。


「そんなわけないだろ。会長に迷惑をかけるのはやめろ」

「でも、他にやりようがないじゃん」


 膨れ面で地団駄を踏む。まったくもって子どもの我が儘だ。文の向こうで莉乃が苦笑するのが見えて、ため息を吐いた。

 とにかく撤退させるのが優先だろう。やりたくない手だが仕方がない。


「まだやってないこともあるだろ」


 書道部でのやり取りを思い出すだに、文はもうストック不足なのだろう。案があるように言うと、すぐさまこちらに意識を向けた。ロックオンされてほっとする日が来ようとは、あまりにも想定外だ。


「瀬尾にやったように墨田の文字を見せるとか。ローラー作戦にしても、放送部に協力してもらうとか。兼部のハードルが高いのなら、最悪名義貸しくらいならという人を探してみるのも視野に入れるとか。こんな交渉の余地のないことに時間を使うよりも、もっと効率的な方法を考えているほうがよっぽど有意義……おい、こら待て墨田!!」


 話の途中から、せわしなく足先が動いていた。ついぞ我慢できなくなったらしく、ここに来たときと同じ猛スピードで駆けていく。すぐに追いかけようと動いた身体に、慌ててブレーキをかけた。

 暴走列車を放っておくことも怖いが、後始末をしないわけにもいかない。莉乃に向き直った。


「うちのが無茶を言ってすみませんでした」

「熱心なのは悪いことじゃないけど……元気な子が入ったのね」

「ええ、まあ」


 この場合の元気はどう捉えたらいいものか。非常識も含まれていそうで恐縮する。

 莉乃は恐ろしい会長ではないが、規律は守る人だ。中には叱られたいという欲望を馳せる生徒もいるらしい。とんだ性癖の対象になっているのは憐れだが、ばさばさ切り捨てているのも本当だという。俺はそんな場面に遭遇したことがないので、詳しくは知らないけれど。

 ショートカットのクールビューティーとして名高い。

 その唇から


「意外ね」


 と飛び出して、俺は首を傾げてしまった。

 あんな元気のありあまったハイテンションが書道をやっていることについてだろうか。しかし、莉乃は見た目で人の性格を判断する人ではなかったはずだ。それこそ意外なんて言葉に収まらない。

 莉乃はそのまま続きを口にする。


「学君が部員獲得に精力的になるだなんて知らなかった」


 なるほど、そっちか。


「押し切られてるだけですよ」

「短い間に随分仲良くなったのね」

「勘弁してください」


 そこにからかう要素はなかったが、ここに来るまでの秋生との会話を思い出してしまった。俺が文に絡まれているのは、それほど奇特に写るのか。どれだけ人付き合いが悪いと思われているのか不安になってくる。


「でも、うちのって言うくらいなんでしょ?」


 今度は冗談半分だ。莉乃はクールと呼ばれているが、冗談めかすくらいには砕けたところもある。俺は痛恨の指摘に顔を覆った。


「部長としてだって分かってて言うのやめてくださいよ」


 こちとら呻いているというのに、莉乃はくつくつ笑っている。結構な先輩だ。このままからかわれ続けてはたまらないし、文を放っておくこともできない。さっさと撤退してしまおうと退出の挨拶を口にしようとして、どたばたと響く足音に止められた。

 まさか文が逆走してきたのか。足音は一直線に生徒会長へ向かってきて、止まった。

 止まった? 文ではない。

 しかし、無性に嫌な予感がする。気がついたときには、ノックの音にかぶさるように扉が開いていた。


「部長サン!」

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