墨飛び交うも多生の縁④

 部員集めの期限は二週間。今年度の部活会議が始まるまでだ。文は翌日から、早速アクティブに動き出していた。

 放課後、書道室に顔を出すと荷物を置いてすぐに出て行く。何をしているのか詳しくは知らない。しかし、どうやら地道な声かけをやっているようだった。

 それというのも、噂になっているのだ。たったの数日で、書道部は何をやり始めたんだと。どんな声かけをしているのか。考えるだに恐ろしいので、関わらないようにしている。

 当然、文には何かをしろと詰め寄られた。なので、チラシ作りには協力をしている。文字を書くだけでいいのだから、これほどお手軽なものはない。文はそれを昇降口にある掲示板のど真ん中に貼り付けてきた。

 自分の文字が飾られているのは少しも気にならないが、やる気いっぱいの行動に同意したようなありさまなのは気恥ずかしい。噂の文と一緒の扱いは勘弁だった。俺はそこまでがむしゃらになっていない。

 校舎の三階。奥まった場所にある書道教室は、廊下を通りかかる人も滅多にいない。グラウンドからも遠く、時々遠くに吹奏楽の楽器の音が聞こえてくる。それくらいのものだ。それ以外は静謐で、集中するには極上の環境である。俺はここを気に入っているし、使い続けられるのなら喜ばしいことだ。

 しかし、部員が増えれば静けさは目減りするだろう。何より、文がいるのだ。時と場合によってはやかましいこともある。そのリスクは、自宅で取り組むのと大した差はない。

 それに気がついてしまったら、元々少なかったやる気も散り散りになってしまった。なので、俺はチラシの協力以降、勧誘からは身を引いて、書道に励んでいる。

 文には、希望者を迎える留守番がいるだろうと言いくるめた。今のところ、訪ねてきたものはいない。

 俺の元へやってくるのは、勧誘を終えた文だけだった。まるで成果は上がっていない。

 俺自身、書道をやっている身だ。書道を貶められて、いい気はしない。しかし、世間一般に広く興味を持ってもらえる分野でないことは理解していた。学生ともなれば、より地味なものという認識も強いだろう。

 部員を集めることは難しいはずだ。文には悪いが、俺はもう諦めている。

 だから、書道室の扉が開いたとき。俺はいつも通り文が帰ってきたのだろうと思った。しかし、顔を上げた俺を待っていたのは、金髪ロングへアーの美少女だった。

 予期せぬ事態に、静止してしまう。


「コンニチワ。書道部はこちらで間違いないですか?」


 外国人然とした見た目はそのまま受け止めていいらしい。イントネーションに特徴のある発音に狼狽える。


「違いましたか?」

「いや、あっている」


 答えが硬くなってしまったのは、英語が不得手であるからだろう。

 どこまで日本語が伝わるのか。突如として主要言語が英語に取って代わることがあるのではないか。何の用なのか。苦手を前に色々なことが一瞬で巡ってしまった。


「秋ちゃんセンセーに言われてやってきたんですけど、書道にキョーミがありまして」

「入部希望?」

「ハイ。それです。入部したいです」


 彼女は意志が通じたことが嬉しいのか。こくこくと何度も頷いた。

 その機敏さに飲まれたわけではない。だが、反応に困った。それは取り繕うこともできずに彼女へ伝わる。へにょりと眉尻が下がって、それこそ反応に困った。


「初めては問題がありますか? ムズカシイ?」

「あ、いや。難しいかもしれないけれど、ダメなわけじゃない」

「よかったです!」


 ぱっと表情が晴れ渡る。撫で下ろすかのように胸に置かれた手に目を向けそうになって、視線を止めた。その膨らみを目視するのは失礼だろう。目に入りやすいとはいえ、自制しなくていいわけではない。


「ワタシ、一年の千秋クリスです。留学してきてます」


 うちの学校が留学生の受け入れをしているのは知っていたが、実物を見るの初めてだった。


「俺は二年の南野学だ。部長をしている」

「部長サン! よろしくお願いします」


 折り目正しいお辞儀に、こちらも頭を下げる。顔を上げると、千秋と目が合った。

 まさか新入部員を獲得するとは思っていない。予想外の出来事に、対応のマニュアルが出てこなくて、きまりの悪い沈黙が流れた。


「えっと……失礼だけど、文字はどれくらい書けるのか聞いてもいいか?」

「ハイ。あまりカンペキとは言えません。漢字はムズカシイです」


 しょぼんとへこたれる。女子にへこまれるのは苦手だ。とにかく困惑が強まっていたが、千秋はすぐに気を取り戻したようだった。両の手で拳を握る。


「ですけれど、漢字はとってもステキです! 書道とってもカッコイイですね!」


 ブロンドなこともあってか。目を輝かせる姿が極度に眩しい。このくるくる変わるテンションに既視感を覚える。ここのところ振り回してくる、外見だけは整った頭痛のタネが思い出された。

 あっちのパフォーマンスには同意できないが、千秋の意見には同意できてしまう。憧れなければ、極めようという志を持ったりはしない。


「それじゃあ、やってみるか?」

「道具も何もありませんけど、いいですか?」

「大丈夫だよ。道具は備品として揃えてあるから使って。授業で使っているやつだから専用ってわけにはいかないけど、持ち出さなければ使うのは自由だ。場所を教えておく」


 教室の後ろへ移動すると、千秋が後ろからついてくる。ラックの中に並べられている硯と、うるされている筆を取って、千秋に手渡した。


「文鎮は前の机の上。半紙も同じように置いてあるからそれを使って。墨も置いてあるやつならどれを使っても怒られないから」

「ハイ」

「……セットの仕方は分かるか?」

「やってみます」


 興味津々なのだろう。千秋は積極的に動いて準備を始めた。ここまで前のめりに書道を始めようとしてくれるのは嬉しい。微笑ましい心地で様子を見守る。

 覚束ないところはあるものの、問題なく配置を決めていた。もうすぐにでも書き始められる。その段になって、どうしたらいいのか分からなくなったのか。心許ない顔でこちらを向いた。


「どうすればいいですか?」


 何から教えるべきか。

 考えながら、千秋のそばに寄る。

 やはり、筆の持ち方からか。自分が教わったころの記憶を探るも、昔過ぎた。横線と縦線を引く。地味な練習方法は初回の経験としては不足があるものか。自分だって、最初は文字を書いてみたいと思ったはずだ。

 いや……筆を持ったのは小学校入学以前であったから、線だけでも楽しんでいたかもしれないが。その辺りは年齢によって変化してくるだろう。どうすべきか。自分が書くことにはそれなりの自負もあるが、教える立場に回ったことなどない。

 あれこれとプランを考えているところに、騒音が飛び込んできた。千秋の目線も音のほうを向く。正体など考えるまでもなく眉が寄った。その瞬間、破壊するかのような勢いで扉が開いた。

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