06_ヤミヤミ

「へぇ……あなた、春野一花っていうんだ。私は、今野明美こんのあけみ、よろしくね」


 今野は、陽気な声でそう言うと右手を前に出した。春野は、彼女の手を優しく握ると、言った。


「こちらこそよろしく。私をあの牢屋から逃してくれてありがとう」 


 春野は、同い年くらいの今野に、早くも心を開いていた。


「私の力で、あなたの分身を作ったから、少しは時間が稼がると思うわ」

 

 今野は、屈託くったくのない笑顔を浮かべて言った。


 薄暗く狭苦しい廊下を二人は歩き出す。換気口を流れる不気味な音が、響き渡っている。


「そんなことができるなんて。魔法使いみたい」


 春野は、今野の持つ不思議な力に心惹かれた。夢物語だと思っていた魔法のような力が実在している。その事実に、彼女は心踊らされずにはいられなかった。


「そうかもね。私も初めて影力を見たときは、同じような感想を抱いたわ」


 今野は、影隠師と出会い、影の力を目の当たりにした時のことを思い出し答えた。


「気を緩めるな!まだ、敵の本拠地の中だ。敵は、数えきれないほどいる。気づかれれば、一巻の終わりだと思え」


 春野と今野が話していると、横から倉内の声がした。


「このうるさい人が、うちの影隠師のリーダー倉内剣山よ」  


 今野は、小さな声で春野の耳に向かって言った。


「ええ……倉内剣山くらうちけんざんさんっていうんですね」 


 春野が、小声で今野に返事を返した。


「おい、誰がうるさい人だ!しっかり聞こえてるぞ、今野」


 倉内は、ふざけるのはやめろと言わんばかりの顔を今野に向ける。


「この先に、βベータ層への扉があります、倉内リーダー。ここから、β層に帰れるはずです」


「何で急に俺に対してはそんな片言なんだよ!まあ、いい。この先にある扉に入れば、このγガンマ層から、ようやく抜け出せるんだな」


 β層に、γ層……。この人たちは、一体、何を言っているの。


 春野は、聞き馴染みのない言葉に頭がついて行かなかった。自分が今、どこにいるかすら分からない状況だ。

 

「私達が何を言っているのかわからないという顔ね。教えてあげる。ここは、影の世界なの。アンブラと呼ばれているわ」

  

「影の世界アンブラ……」


 春野は、この時、自分が元いた世界ではない異世界に、来ていることを理解した。


「ええ、アンブラは、三つの階層に分かれているの。下の階層から、αアルファ層、β層、γ層に分かれているわ」


「ということは、私達は一番上の階層にいるということ」 


「その通り。そして、影の世界と人間界を繋ぐ光の道を作れるのは、β層だけなの」

 

 今野が、話していると、倉内が言った。


「ああ、α層とγ層だと力にかたよりがあり、影力が安定しないんだ。2つの層の力が拮抗きっこうする、β層が最も影力を使うのに適している……どうやら、ゆっくりと話している暇はなさそうだ。来るぞ!後ろだ!」

 

 敵の気配をいち早く察知した倉内が叫んだ。


 ゴオオオオオオオオ。


 直後、何か異質なものが蠢く音が、響き渡り、即座に、春野たちは、後ろを振り返った。


「何なの、あれ。闇が迫ってきてる」


 春野に視界に移ったのは、奥の方から闇が凄まじい速度で迫ってくる様子だった。それを目にした瞬間、春野は、あの闇に飲まれてしまったら最後、漆黒の闇から抜け出せないのではないかと直感した。

 

「あれは。あの闇に飲まれれば、漆黒の闇に永遠に閉じ込められると言われているわ」


 今野は、ヤミヤミの蠢く様子を観察しながら、冷静な口調で言った。


「とにかく、飲み込まれる前に全速力で扉までかけるぞ!」

 

 倉内の叫びと共に、春野たちは先にあるという扉に向かって駆け出した。細長い廊下を、3人の走る音が響き渡り、それをヤミヤミの蠢く音が踏み潰していく。


 春野は、とにかく、必死に走った。心臓は狂ったように鼓動し、血液を全身へと運ぶ。息は乱れ、呼吸が苦しくなる。


 あれに飲まれれば、死ぬよりも辛い目にあう。


 彼女に死よりも恐ろしい恐怖がつきまとう。


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