第5話 愛しい年下

 レースカーテンを閉めた私のマンションのリビング…。私は、一つ年下の恋人を抱きしめている。抱きしめられている当の本人は、私の胸の中でスンスンと鼻を流しながら泣いていた。部屋着として私が着ている長襦袢の胸元は、こいつの涙でびしょびしょだった。私は、頭を撫でてやりながら声をかけた。

 「よしよし…多桜(たお)〈こいつの名前〉…お前はよくやったよ…私はわかっているからもう泣くな?」

 私がこう言うと、多桜は絞り出すように口を開いた。

 「姫華(ひめか)〈私の名前〉せんぱぁい…でもやっぱり、すっごく悔しいよぉ…」

 そう言って、多桜はまた私の胸に顔をうずめる。

 私たちは、とある高校の剣道部の先輩後輩として知り合った。剣道初心者だった多桜の指導をするという名目で絡むようになったのが最初だ。初めて会ったときは、いつもニコニコしていて覇気のない奴で、勝ち負けとかにこだわらず楽しむために始めたのかと思っていた。しかし、今から数か月前の大会にデビュー戦として出たときに、そのイメージがガラリと変わった。

 その日の試合は、地域の小規模な大会だったため、あえて上級生の部と、下級生の部とに分けられていた。上級生の部が先にあり、女子の部で3位という結果で試合を終えた私は、部全体で押さえていたギャラリーに戻り、多桜を試合に送り出した。運の悪いことに、多桜は経験者と当たり一回戦で敗れた。

 「あはは、負けちゃいました…やっぱり経験者の人は強いですね~」

 と呑気なことを言っていたが、その言葉の雰囲気は、いつもの優しげな声音とは違い、どこか暗い調子を含んでいたため私をはじめほかのどの部員も、「何をそんなヘラヘラと」とは言えなかった。しかもそのあと、「緊張が解けたせいかお腹痛くなってきちゃったんでちょっとトイレに…」と言って離れていった多桜は、1時間以上も戻ってこなかった。大会の終わりごろになって、探しに行くとなんと多桜は、誰も気づかないような物陰で一人泣いていた。それも、日ごろの陽気な雰囲気からは想像できないほどの号泣だった。道着の袖が涙でびしょびしょになっていて、目も真っ赤になっているほどだった。時々歯ぎしりまでしていて、見ていて痛々しいばかりだった。私はその時に思わず多桜を抱きしめた。

 その出来事を経て、私と多桜は付き合うことになった。いまだに多桜は、辛いことや、悲しいこと、悔しいことがあると、よく私に抱かれたままなくようになった。ちなみに、今日泣いている理由も、本日の試合で負けてしまったからだ。表向きはニコニコしている多桜が涙を見せてくれるのは、今のところ私だけだ。

 「今日の試合もよくできていたぞ?お前の努力の成果は着々とでてきているよ」

 頭をなで続けながら、私はまた言った。

 「うん…せんぱい、ありがとう…すきぃ…」

 そう言うと、多桜は私を抱きしめている腕の力を少しだけ強めた。

 「きゅ、急にやめろ。恥ずかしいじゃないか…」

 こいつはたまにこっちが恥ずかしくなるようなセリフをサラリというから困る。照れ隠しに、私も抱きしめている腕の力を少しだけ強めた。

 「ほ、ほら、そろそろ夕飯にしよう。昼頃から何も食べていないじゃないか」

 しばらく抱きしめながら沈黙の時間が続いた後、なんとなく沈黙が気まずくなった私が口を開くと、多桜もコクンと私の胸の中でうなずいた。

 「何か食べたいものはあるか?」

 「…オムライス…食べたい…」

 私は少しだけ安心した。食欲はあるらしい。「よし、分かった」と言って、私は台所へ向かった。襷を取って肩にかける。リビングのほうから、「何か手伝うよ」と言って台所に来ようとしている多桜の声が聞こえたが、「大丈夫だからお前は休んでいろ」と私は返した。

 下準備を終えたころになって、私がコンロを使う準備をしていると、多桜が近づいてきた。

 「うん?どうした?多桜。お前は休んでいればいいぞ、今日も疲れただr…」

 特に何も言わず、多桜は後ろから私に抱き着いてきた。

 「せんぱい…寂しくなっちゃった…もう少しだけこのままでいさせて?もう少ししたらリビングにおとなしく戻るから…」

 メンタルが弱っているのもあるのだろうが、甘えたがりな多桜も可愛らしい。私はしばらく多桜の好きなようにさせていた。1分ほど多桜は私の背中に引っ付いた後、「じゃあおとなしく待ってるね?ありがとせんぱい」と言って、リビングに戻っていった。

 それから5分ほどして、私は多桜のために作ったオムライスを持って、リビングに戻った。カチャリとドアを開けると、座っていた多桜が勢いよく立ち上がり、私のところまで飛びつくようにしてやってきた。「こらこら、そんな風にして飛びついてきたら危ないぞ?」というと、待ちきれないといった様子で、テーブルに運ぼうとしている私の周りをちょろちょろとしだした。その様子がまた何んとも可愛らしく、この上なく愛おしく思えた。

 「ほら、いつも通り、半熟でよかっただろ?」

 「うん!ありがと!…あれ?先輩の分は?」

 テーブルに置いてすぐ、その前にチョコンと座ると、多桜は私自身の分がないことに違和感を感じたようだった。

 「私の分は今から作るから、お前はもう食べていろ」

 そう言ってから、私は台所に戻った。自分の分を作ってからリビングに戻ると、多桜は自分の分に手を付けずに、行儀よく座っていた。

 「おや?手を付けてなかったのか?食べていてよかったのに…」

 「ううん…先輩と一緒に食べたかったから…」

 目をウルウルとさせながら言う多桜を愛おしく感じつつ頭をまた撫でてやると、猫のように目を細め、頭だけでなく頬などを擦り付けてきた。本当に可愛らしくて愛おしい奴だ。人とおり撫で終わると、二人並んで座り手を合わせてから食事をとることにした。

 食べている間は、和やかな雑談が続いた。多桜も、ある程度立ち直ったようだった。食べ終わると早々に食器を片付け、私たちはリビングでまたしばらく抱き合っていた。まだ成長途中の多桜の体は私より小さいため、私に包まれるような形になって抱きしめられている。まだ少し濡れている短髪から、シャンプーのいいにおいがした。私がふとそんなことを考えていると、多桜が口を開いた。

 「先輩…いつもほぼつきっきりで見てもらってるのに全然勝てなくてごめんね…」

 「何を言っている。勝つことがすべてじゃないだろう?お前が頑張っている姿、真剣に戦っている姿を見せてくれるだけで、私は教えている甲斐があるなぁと思っているよ」

 私がこう言っても、多桜は口をとがらせてまた言った。

 「けど、弱いままじゃ先輩を守れない…好きな人は自分で守らなきゃなのに…」

 本当に真面目で健気なやつだ。私の心は、射貫かれてしまって今にも多桜を思いっきり撫でまわして甘やかしたい衝動にかられた。

 「今はまだいいさ。それに変に気負っても体に悪いぞ?」

 「そうかもだけど…やっぱり僕だって男だもん。姫華先輩を守りたい…」

 決意を込めながらも、少しだけウルウルしている瞳を見て、愛おしさのあまり少しだけからかってやりたくなった。

 「男、というより。まだ男の子と言った感じだがな。お前は」

 言ってから少しだけクスッと笑った。からかったつもりだったのだが、多桜の顔を見ると、顔つきが変わっていた。頬を膨らませつつだが、目つきがキリっとしている。そして抱擁を解くと、なんと私をお姫様抱っこしてすぐ後ろにあるベットに私を横たえた。

 「た、多桜?ど、どうしたんだ?少しからかったつもりだったんだが…もしかして気に障ったか?」

 すぐには何も言わず、多桜は私の両手の手首を痛くないぐらいの力で掴んだ。私が困惑していると、ようやく多桜は口を開いた。

 「怒ってはないけど…ちょっと気になった…僕だってやろうと思えば男らしく振舞えるんだからね?だから…今から証明してあげる…」

 そう言うと、多桜は私の顔に自分の顔を近づけてきた。怖いなどと言ったものではなかったが、初めて見る年下の恋人の一面に、私の頭は沸騰寸前だった。

 「証明って…一体何をするつもりなんだ?」

 「もちろんそれっぽいことだよ」

 「それっぽいこと…?

 「うん!例えば…こんなのはどうかな…?ん…」

 「~~~~~~~~ッッ!!??」

 信じられないことが起きた。多桜から私に接吻をしてきたのだ。唇が少し触れるだけの拙いものだったが、私の頭を沸騰させるには十分すぎた。もちろんこういうこともそろそろしてみたいとは思っていたが、まさか多桜のほうからしてくるとは思ってもみなかったかった。

 「どう?少しだけ男らしいところ出せたでしょ?」

 「は、はひ…」

 動揺しすぎて、変な返事になってしまった。それを見て、今度は多桜のがクスリと笑った。

 「先輩可愛い~!いつもかっこいい先輩の可愛いとこ見れてうれしいなぁ…いつもと逆な感じがして新鮮だし!ねぇ先輩もっとかわいいところ見せて?」

 「へ?い、いや待ってくれ多桜!まだ私は心の準備が……~~~~~~ッ!?」

 私が言い終える前に、また多桜が接吻をしてきた。しかも今度は、しっかりと唇をくっつけるものだった。私はすっかり力が入らなくなり、両手もすっかり脱力してしまった。それを待っていたかのように、多桜は私の唇を吸うような動作を追加し、そのうえ自分の舌を私の舌に絡めてきた。

 「へぁ!?てゃお(たお)!?なんれひたからまへれ(なんで舌絡ませて)…」

 「こっひのほうが、もっろたくひゃん可愛いとこよ見へてくえうかなとおもっれ?(こっちのほうが、もっとたくさん可愛いところ見せてくれるかなとおもって?)んちゅ…ジュル…はふぅ…」

 いやらしい音が響きだした。私はもう顔から火が出そうだった。うれしくもあるが、恥ずかしさが勝ってしまう…。多桜も相当恥ずかしいのだろう触れる唇から、熱が伝わってきた。ようやく多桜が口を離すと、私と多桜の口の間に糸がひかれた。その光景が何とも官能的だった。

 「た、多桜…お前…こんな大胆なことができたんだな…」

 「姫華先輩こそ。いつものかっこよくて綺麗な感じとはまた変わって、今日の先輩は綺麗っていうよりすごくかわいいよ?今夜は僕とことんがん…ば…る…?」

 急に多桜は、とろんとした目つきになり、そのまま私の胸の中に頭をうずめるようにして、眠ってしまった。

 「慣れないことをして興奮してしまったのかな…?流石にかなりドキドキしたぞ?」

 多桜は私の胸の中で返事をするように「うぅん…」とだけ言った。その頭をなでながら、私は空いた手でリモコンを操作して、部屋の明かりを消した。依然として、多桜は私の胸の中で静かに可愛らしい寝息を立てている。私も寝ようかと思ったところで、また多桜の寝言が聞こえた。

 「うぅん…せんぱぁい…だいしゅき…」

 呂律の回っていない口から出てきた言葉…。私は思わず聞こえていないことをいいことに自分の気持ちをそっと返すことにした。

 「私も心から愛しているよ…多桜…」

 多桜の寝顔は、にっこりと笑った表情になっている。

 つられて私も、今夜は良い夢が見れそうだ。

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