第4話

 朝靄で前がよく見えない中、私はバス停を探して歩き続けている。霧は太陽も覆い隠してしまって、あたりは薄暗い。

 きっとこれは夢なんだろう。夢だと思いながら、それでも私はバス停を探す。バスに乗ればなんとかなるという気がするからだ。

 雨が降ってきた。柔らかい霧雨だ。着ている制服が水分を含んで、だんだん重みを増してくる。体から熱が奪われていくし、歩き疲れてきた。それでもバス停を探す。前に向かって進み続ける。後戻りはできない。そういうことになっている。

 やっと見つけたバス停にはたくさん人がいた。スーツ姿の男性、パンプスを履いた女性、学生服姿の中学生、ランドセルの小学生、旅行鞄を持った人に、赤ちゃんを抱いた人、大きな荷物を抱えたお年寄りまで、多種多様な人たちがバスを待っている。

 バスは次々とやってきた。皆それぞれのバスに乗り込んでいく。私はどのバスも違うように思えて、乗らずに見送り続けた。これかもしれないと思うバスもあったが、ほかの乗客に押しのけられてしまって乗れなかった。

 そうこうしているうちに、バスはすべて行ってしまった。次のバスが来る気配はない。

 無人のバス停にぽつんと佇んでいたら、背後から声をかけられた。

「お嬢さん、首から血が出ていますよ」

 延髄が冷えて、そこで目が覚めた。ベッドの中で無意識に首を触る。ぬるりとした感触がした。血ではなく汗だった。


 クラスの女子たちが、「天使と悪魔だったらどっちが好きか」で盛り上がっている。私はどっちも嫌いだが、女子の間では悪魔のほうが人気が高いようだ。

「だって天使ってルール守れってうるさそうだし。親切の押しつけもうざそう。でも悪魔は楽しけりゃいいじゃんって感じだから良いよね」そんなことを言っている。

 私はそんな話を離れた席で聞かされている。まるで盗み聞きしているみたいで居心地が悪い。そのとき、女子の一人が消しゴムを落した。消しゴムは転がり、私の足元で止まった。私が拾って渡したら嫌われるのだろうか。悪魔みたいに振る舞うほうが受けるのだろうか。どうしようか考えているうちに女子の一人が消しゴムを拾いにきた。彼女はかがんで手を伸ばす。衝動的にその手を踏んでみた。

「ちょっと、何すんの!」

 女子は驚いたようだ。そして少し怒った顔で私を見上げた。ちらりと黒い首輪が見えたが、それは一瞬のことで、すぐに見えなくなった。

「悪魔ってこんな感じ?」

「はあ?」

 彼女は私をひと睨みして、友達の輪へと戻っていった。私のことは無視しようと決めたようだ。女友達ってどうやったらできるの?


 小学1年生のとき、ハサミで自分の髪を切った。アイドルに憧れて、私も同じ髪型にしたいと母に言ったら、「女女(おんなおんな)して気持ち悪い。女なんか産むんじゃなかった」と言われたのだ。坊主頭になった私を見て、母は「男みたい」と言って満足そうに笑った。


 季節は巡り。

 高校を卒業し、私は国立大学へと進学した。学部なんてどれでもいいと思っているから、親のすすめるものにした。私に向いているものなど何もないし、何もないなら自分で選ぶ必要もない。

 セイジは魔女としての道を究めようと、日々熱心に魔女活動を行っているようだ。セイジの魔活の詳細についてはインスタで知ることができる。


 大学生になったが友達はできない。新入生の目には希望が宿っている気がする。だから、話しかけるのも気が引ける。話したところで共通点は何もないようにも思えた。


 ある4月の終わり、私はセイジから呼び出された。場所は、知らないマンションの屋上。時間は夜9時。

「このマンション、ほとんど人が住んでないらしい」と屋上で仰向けになって、セイジが言う。

「ふうん」

 セイジと頭を合わせるように、仰向けに寝ている私は相づちを打つ。私たちは時計の針のよう。時刻はただいま12時30分。黒い空は案外明るい。

「あ、月が丸い。もしかして今夜って満月かな?」

「そう」

「じゃあ、臭う?」

「うん」

「ねえ、なんで満月に血の臭いがするのかな? 魔女ならわかる?」

「うーん、多分だけど」

「うん」

「将来、満月の夜に首から血を流して死ぬからだと思う」

「だと思った」

 私は身を起こすと、セイジに覆い被さってそっとキスした。これがセイジとの初キス。ふざけていろいろやってきたけど、本当にしたのはこれが初めて。

「ねえ、最後までやろうよ」

「そういうのはいい」セイジは仰向けのまま動かない。

「おっぱい触らせてあげるから」

「だから?」

「価値あるものを頂戴」

 この血の呪いがかけられた肉体に生まれた絶望を、痛みと快楽で誤魔化したい。何もかもめちゃくちゃになればいいんだ。もう一度キスすると、セイジが首を絞めてきた。だが、セイジはすぐに手を離したので、私は戸惑って身を引いた。セイジは自分の手をまじまじと見つめている。その手は血で濡れていた。

「それって私の血かな」

「だろうな」

「においだけじゃなくて、とうとうモノも出ちゃったって感じ?」

「おまえさ、もしかして死にたいの」

 死にたいというより、生きていたくないというほうが正確だ。

「俺が殺してもいい?」

「うん」

 それは少しだけ希望のある話だなと思った。私の最期を引き受けてくれる人がいるというのは悪くない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る