第2話

 今日は調理実習の日だ。高校3年にもなって、まだ調理実習があるなんて変だと思う。日常的に家事をする子も多い年齢なのに実習なんて意味ある? 逆におままごとみたいに感じる。馬鹿にされた気分。しかもメニューがふざけてる。ラザニアとコブサラダ、冷製ポタージュ、そしてスイカゼリーだ。イタリアとアメリカとフランスと……どこの国の料理なんだかわからないスイカのゼリー。これらを作ることで私たちが学べるのは、国の違いなんて気にすることなく都合のいいところだけピックアップして構わないってことと、凝った料理をつくっても食べる時間はコンビニ弁当と同じという事実だけ。安くて手早く作れて、そして飽きない料理を教えてくれたほうがずっと役に立つと思うのに、あいにく学校ではそういうのは教えてくれない。

 ラザニアがオーブンで焼かれている隙を突いて、教師がビタミンについて語り出す。

「過熱すると、ビタミンCが壊されます」

 そうですか。それで壊れたビタミンCは何になるのでしょうか。先生はそこまで教えてくれない。壊れたら、おしまい。ひ弱なビタミンCよ、さようなら。何をされても壊れないビタミンCだけが正しいビタミンCです。どうぞ皆さんも見習ってください。

 セイジのほうを見ると、ぼんやりした顔でガスコンロの青い炎に手をかざしていた。夢について検討しているのだろうか。



 放課後、二人きりの教室で、セイジが床に倒れて「やや婉曲的ではあるが火はヒントをくれる」と言い出した。「人類の分岐点には火がある。プロメテウス、ケルビム、カグツチ」

 黒板にドラえもんを描いていた私は、「ふーん」と適当に相づちを打った。でもちょっと冷たいかな、セイジはなんか楽しそうにしゃべってるし、少し付き合ってやるかと思い直し、言葉を続けた。

「それでガスコンロを眺めてたのか。ガス会社に就職でも考えてるのかと思った」

「そんなわけ……でも、そうか、ガスか! 盲点だった。火は大地が産むんだ」

「何言ってるのかわかんない」

「独り言だ。聞き流せ」セイジは制服のズボンからスマホを取り出していじりはじめた。私は会話に付き合ってやってるつもりだったのに、独り言だったらしい。

「そういう自分勝手な会話するから友達がいないんじゃないの」

「そういうことをずけずけ言うから友達がいないんじゃないの」

 両者引き分け。

 私はドラえもんのお腹を描くのに集中することにした。逆三角形のポケットを腹部中央に描いたが、何か物足りない。妙におなかがすっきりしているが、ドラえもんってこんなだったっけ? 私が生まれて初めて読んだ漫画は、歯医者の待合室にある表紙の破れたドラえもんのコミックスだ。感動して、私も漫画家になりたいと親に言ったら嘲笑されたっけ。それで親に嫌われたくなくて漫画家になりたいなんて考えは捨てた。

「おまえ、血の臭いがする」

「生理じゃないよ」

 ドラえもんの首もしっくりこない。たしか首輪をしていた気がする。鈴のついた首輪だ。

「生理じゃないなら首から血が出てるんだ」

 私は肩をすくめた。

「知ってるか。今夜は満月だ」

「ふーん」

「おまえから血の臭いがするのって満月の日じゃん?」

「そうなの?」

「うん」

「……というか、もしかして私が血の臭いがすることに前から気づいてた?」

「まあ、な」

「この臭いってなんだと思う?」

「さあ?」


 小学校の修学旅行には、専属のカメラマンが同行して生徒達のスナップを撮ってくれたのだけれど、私の写真は1枚もなかった。

 どういうことなのかわからないが、たまたま私はタイミングが悪かったのかもしれないと無理やり自分を納得させた。カメラマンがシャッターを押したとき、私はたまたまそこにいなかったのだ。きっと。

 中学の修学旅行でもカメラマンは同行したのに、やっぱり私の写真は1枚もなくてガッカリした。写りが悪くても構わないから1枚欲しいと問い合わせたところ、心霊写真になってしまっているから渡せないと説明された。

ぞくりと延髄が冷えた。もしかして首から血でも出ていましたかと尋ねたら驚かれた。そのとおりだったから。

 スマホで自撮りしたり、滅多にないことだが誰かに写真を撮ってもらったりしたときも、どういうわけか首元に赤いものが写る。どんなに角度を変えても、何度取り直しても、絶対に首に赤い血がついている写真になるのだった。


「月と関係あるんじゃないか」とセイジは言う。「血と月。満月の夜は犯罪と自殺が増えるらしい。あと月経と月、女と月、狂気」

 黒板に描いたドラえもんの首を、赤いチョークでぐりぐり塗る。

「似合うと思う」

「何がよ」

「血と月とおまえ。明るい世界が似合わない者たち」

「そうかな」

「そう。そんで、俺もそう。俺らは夜の生き者なんだ」

「ふうん」

 首から血を流したドラえもんが完成した。

「こういう絵を描くのって久しぶりだな」

 親に愛されたくて諦めたことがどれだけあるだろう。

 良い子でいなさいと大人たちは言う。でも、教師のセクハラを訴えたり、人権デモに参加するような良い子は歓迎されません。

 子供が悪い子になってほしいと思っている大人もいっぱいいる。例えばおじさんとセックスするような子供は歓迎される。

 大人の間違いを見て見ぬ振りするのが正しい良い子です。大人の間違いに荷担するのが正しい悪い子です。要はどっちだって構わないってこと。つべこべ言わずに目上の人たちを気持ちよくさせる道具として這いつくばれってこと。犬みたいに首輪をはめられる。選べるのは首輪の色だけ。黒でも白でもお好きなほうをどうぞ。なんなら両方つけたって構わない。

 この世界には夢も希望もない。現場からは以上です。

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