血の首輪

ゴオルド

第1話

 生理なわけでもないのに、体から血の臭いがする。もちろん怪我もしていない。ネットで調べたら、ワキガの人が血液みたいな臭いがするケースもあると書いてあった。でも血の臭いは脇ではなくて首のあたりからしている気がする。


 放課後、二人きりの3-Aの教室で、彼氏のようでいて彼氏じゃない男、セイジに相談したら、「血の臭いがするってことは、血が出てるんだろ」と興味なさそうに言われた。

 セイジは机につっぷして、窓の外をぼんやり見つめている。顔をこっちに向けてくれないから、私に見えるのはセイジの黒い癖毛と、その中央にあるツムジだけ。窓は開いているが、カーテンはぴたりと静止している。世界はなぎの中にあるらしい。夏の夕方に風が吹かないなんて、この世は死んだも同然だ。風鈴の立場がない。

 私はセイジの目の前に移動し、首の臭いを嗅がせてやろうとした。

「血の臭い、しない?」

「んー」

 セイジは遠くを見ている。

「そんなに血の臭いが嫌なら止血したら」

「だから血は出てないんだって。血の臭いだけがするんだよ」

「じゃあ、これから血が出るんだろ」

 どうでもよさそうにそう言うと、セイジは眠たげな目を私に向けた。そして身を起すと、ぬっと手を伸ばし、私の首を両手で締めた。

「もうすぐ首から血が出て死ぬ」

 ひやりとした指先が食い込むのを感じながら、「そうかも」とかすれ声でささやいた。

 そのままキスされそうになって、私はセイジを突き飛ばした。セイジは体勢を崩して仰向けに床にずり落ちたので、腹の上にまたがって上からキスしてやろうとしたら、今度は私が突き飛ばされた。

 二人とも床に転がったまま、窓を見上げる。カーテンは全く揺れていない。グラウンドには部活動をやっている生徒たちがいるはずだが、声一つしない。あまりに凪すぎて、地面に閉じ込められたような息苦しい感じがする。土の中で腐ってしまって発芽しない球根の気持ち。首の後ろがぞくりとする感じ。

「ねえ、冷たい火花が延髄でスパークする感じってわかる?」

 冷たい刺激は、うっかり気が狂いそうになるわけだけど。セイジは床に転がったまま、「いや」とだけ答えた。ぼうっと天井を見上げている。

 いわゆる恐怖体験、そういうのに出会ったとき、私は延髄が冷えて破裂するような感覚に襲われて死にたくなる。


 始まりは何だったっけ? ああ、そうだ、シールだ。少女漫画のシール。たしか小学3年生のころだ。親戚のお見舞いに行くときに、親が特別に『りぼん』を買ってくれた。私は漫画が好きだったけれど、親は漫画を馬鹿にしているからふだんは買ってくれなかった。その付録にシールブックが付いてきたのだ。連載漫画のヒロインたちがウェディングドレスを着てにっこり微笑むシールは10ページぐらいの小冊子にまとめられていた。ジューンブライドな6月号の特別付録だった。私はそのシールを保管した。花嫁姿は特別なものだと思っていたから。

 初潮を迎えたのは中学1年生のころで、胸が膨らむのも股から血が出るのも呪いだなと思った。女の肉にかけられた呪い。世間は赤飯で祝福するらしいけれど、私はちっとも嬉しくなかった。苦痛しかない。

 布団の中で生理痛に耐えていたら、ふと急にあのシールを見たくなって、部屋中を探しまくって、やっと引き出しの奥に見つけたら、シールブックの表紙の花嫁は首から血を流していた。最初赤いインクでもこぼれたのかと思った。たまたま赤インクが首のあたりについたのだろうと。しかし、中をめくってみると、どのシールも花嫁が首から血を流していた。誰かのいたずら? でも心当たりはない。

 血を流して、男の物になる少女たちの笑顔。延髄がぞくぞくした。


「おっぱい揉みたい」と天井を見上げたままセイジが言い出した。

「いいよ」と私が言うと、セイジが手だけ出してきた。肺をも締め付けるブラジャーごと切り取って手渡してやりたいけれど、あいにく刃物がない。セイジの手を握ってやった。

「違う。手を握ってほしいんじゃなくて、俺はおっぱいを揉みたい」

「だから、いいよって。でも、タダでってわけにはいかない」

 セイジはため息をつく。

「金?」

「もっと価値のあるものがほしいな」

「愛とか」

「無価値じゃんね」

「じゃあ何だ」

「お金よりも愛よりもずっと価値があるものを頂戴」

「わかった。わからないんだろ」

「は、どういう意味?」

「自分が何が欲しいのかわからないんだろ」

 ずばりと言い当てられた。

「俺は何が欲しいのかはっきりしている。おまえと違って」

「おっぱい?」

「……馬鹿じゃん?」

 セイジは手を引っ込めると、そのままうつ伏せになった。

「俺は夢が欲しい」

「馬鹿じゃん。夢なんて星の数ほどあるじゃん。どうぞお好きなものをお選びくださいってなもんよ」

「星の数ほどあるのに、俺には一つもないんだな……」

「何だそれ。高3の夏に夢が見たいって?」

「そう」

「夢より現実見れーって感じじゃない?」

「そう」

 セイジはうつ伏せのままだ。

「だから、最後のチャンスな気がする。だから焦る。今を逃したらもう夢なんて見れないと思う」

 延髄がぞくりとする。

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