人は石にすると美しい 2
そうして矢のように約束の三日が経った。
男は朝から就寝まで仕事場に籠もるが、食事の時間になると出てきてアンと食卓に着いた。男の料理はどれも簡単だが出来上がった物は美味しい。アンの血色は良くなっていった。
昼間のアンはと言えば、例の便利な道具たちを使いこなして掃除と洗濯をした。そして慣れない料理の下ごしらえをして過ごした。
木箱から湧いてくる野菜や肉は日に日に種類も量も増え、二人では食べきれないほどになっていた。男はその中から一つ二つ「皮を剥いておけ」「刻んでおけ」などと指示をする。アンは危なっかしく料理用の小刀を使い、必死に準備をした。そうして男は出て来ると、その歪な形の下ごしらえに文句を言うこともなく、調理するのだった。
アンが二日掛けて片付けた家はどのドアが開いていても気持ちの良い風が吹いた。
家中を日がな一日家事をし、夜は風呂に入って――勿論、ひとりで――村では考えられない豪華な夕食を男と共にとる。
決して口には出さないが、アンは「ずっとここにいたい」と思うようになっていた。
――三日目の夜、大好きになった燻製肉に加え、柔らかい肉の入ったスープを差し出されたアンは悲しくて嬉しくて「美味しいよう」と泣いた。
あの貧しく寂しい孤独な生活に戻りたくなかった。『ここに置いて下さい』ともう一度言いたくて堪らなかった。
――でも約束、したから。我慢しなきゃ、たった三日でも幸せだったと思わなきゃ
泣きながらスープをすするアンを見下ろし、男は銀の縁を持ち上げただけ、何も声を掛けなかった。
清潔な掛布は彼女の涙を幾らでも吸った。
翌朝、赤い殻の卵をぐしゃぐしゃに割り、手を白身だらけにしていたアンは、男から酷く不機嫌そうに期間延長を告げられた。
「仕事が終わらなかった。お前は明日の朝に帰れ」
「い、いいんですか……!」
寝ていないのか、男は台所の椅子に乱暴に腰掛けると、例の銀の装飾品を外して目頭や眉間を揉み始めた。目の下には濃い隈ができている。深くため息を吐く様子も、疲れ切っている。
アンは嬉しい顔をすることも掛ける言葉も見つからず、ただ葡萄酒を差し出した。
男は一口飲み、そのまま項垂れて動かない。
――疲れてるみたいだから、食事はあたしが頑張らないと
見様見真似で卵を溶いたアンは、平鍋に火を……
「おい、子どもは火に触るな」
椅子が鳴ったと同時、背後に男が立ち彼女から鍋を取り上げた。「座っていろ」と厳しい声で言われれば、そうせざるを得ない。
「ご、ごめんなさい」
「火傷は跡が残る」
はい、と返事をしてアンは馴染んだ席に着いた。
平鍋を軽く振るその背中は髪も服も真っ黒で大きい。彼が魔物――それが本当かは彼女は目にしていないが――だと知っていてももう怖いとは思わなかった。
むしろその身に着けている物を自分が洗って干して畳んだかと思うと、じわり温かな嬉しさがアンの胸に広がる。
――ヴィオさんは優しい。嬉しい……あともう一日、ここにいられる! いて、いいんだ……
殻の入った卵焼きはふっくらと温かく、彼女は満面の笑みで平らげた。
けれど初春の夜の訪れは早く、夕方アンは沈んだ気持ちで食卓に着いた。芋の皮剥きで指を深く切って、男に初めて叱られたことも理由だった。それはもう冷気を発するような怒り方で、さすがのアンもしゅんと肩を落としていた。
――いつも危ないことを心配してくれるのに……あたしが下手だから……
それは食事が始まって、大好きな肉を口に入れても変わらなかった。
男が短く「仕事は今夜中に終わる」と言ったことも完全に追い打ちだ。
普段の食事中ならば、今日はここを片付けただのあそこはどうなっているだのとひとりで話をするアンだったが、その元気もない。
「……お風呂、用意してきます」
「座れ、話がある」
その声は硬く、彼女は嫌な予感に眉を下げた。
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