人は石にすると美しい 1
「わ、わあぁぁ!」
「煩い、座れ」
風呂から上がったアンは興奮に叫び、目を輝かせた。
すっかりきれいに洗われた彼女の金髪は緩く波打ちしっとりと濡れ、まるで高貴な金属のように光を反射している。煤だらけだった肌も生まれたてのように清潔に輝いて見え、緑がかった瞳も清廉に透き通る。
痛ましいほど痩せ細っていることを除けば、アンは美しい少女だった。
――今、アンが片付けた卓には、男の手によって温かな食事が並べられていた。
例の焼き立てのパン、野菜を刻んだスープ、そして大きな燻製肉。
彼女は溢れ出る涎を飲み込むのに、息を止めなければならなかった。
――あたしもお肉、食べていいの……?
アンは信じられない光景と荒ぶる食欲に立ち竦んだ。けれど肉の皿は二つある、と目敏くも確認済みだ。
「早く……いや待て」
アンは男の鋭い口調に、肩を竦めた。立ち上がった男の気配に、やっぱり食べさせてもらえないのかと何度目かの涎を飲み込んだ。代わりに少し涙が出た。
「冷める前に乾かす」
――乾かす? 何のことだろう
アンは髪をそっと掴まれた。
突然、櫛が髪を滑る感覚にヴィオさん! と叫んだ。命の恩人にそんなことはさせられない、と後ろを振り返る。
「私がした方が早い」
そう男が言う間にも、櫛を入れた場所の根元から瞬時に乾いていく。濡れたままでも! と言いかけたアンは、実に高級で上等な細工の櫛が自分の髪を
「あ、ありがとうございます……」
――と、とうさんにもされたことない……!
戸惑いが胸を落ち着かなくさせるので、アンは燻製肉を見詰めて髪が乾くのを待った。
ほぉわあぁ……! 赤ん坊かと思うほど、アンは初めての贅沢な肉の旨味に声を上げたり涎を垂らしたりした。齧り付くほどの大きな塊を咀嚼して、顎が疲れたくらいだった。
スープも、野菜たっぷりの甘さと塩味が堪らなく美味しい代物で、男に二度もおかわりを注いでもらった。――鍋が熱いから私がやる、と言って自分でさせてはくれなかったからだ。
あの焼き立てのパンには男が何かの
アンにとっては夢のような食事だった。
「さぁ寝ろ。私は風呂に入る」
男は葡萄酒を三杯飲みつつ――合間にアンの肉を切ってやり乳酪を追加で切ってやり、水を注いでやるなどしながら――燻製肉をゆっくり食べ終わった瞬間、不機嫌そうに立ち上がった。
「いえ、お皿を洗います。何もしないわけには」
「……その格好ではできまい」
男は長い前髪を煩わしそうに上げ、晒した呆れ顔で彼女を見下ろした。
「あぁう、えぇとその」
用意された着替えは男物で、上は肩が出る下は押さえていないと下がってくる有様だった。仕方なく、アンは上だけ――丈も膝小僧が少し出るくらいまで大きかった――着て、心許ない下半身を気にしつつも水場を出たのだ。
「あの……でも汚れ物だけ洗いますから。あの洗濯桶を使ってもいいですか」
「寄越せ。朝までに乾かしておく」
「そ……そんなのだめです! ヴィオさんにしてもらうわけには!」
「今から風呂に入るついでだ。それに干す場所も分からないだろう」
「だ、だめです! した……下着もあるんだから!」
男はハァと息を吐いて「別に何とも思わない」とアンが床にまとめていた服を素早く持ち上げた。
あ! とアンは手を伸ばしたが届かない。
「明日もその格好で一日暮らすのと、朝まで乾くのとどちらがいいか選べ」
結局アンは「お願いします」と頭を下げた。
翌朝、アンは日が昇ってから目を覚ました。
「メシだ」
「もう……食べられません……ヴィオ、さん……」
「そうか」
遠ざかる足音にカッと覚醒した彼女は「食べます!」と寝間着――昨日借りた男物の上衣を翻して寝台を降りた。燻製肉の夢はあまりに魅力的だったが、飛び起きてみればまた空腹だ。
彼女は全力で男に駆け寄った。昨日掃除をしたので、裸足でも怖くなかった。
男は例の銀の装飾品を着けており、アンの様子にあからさまに顔を顰めた。淡く見える紫が細まる。
「……洗濯はしたが、あまりに古びていたのでこれを着ろ」
「え!?」
差し出されたそれは真新しい生成りの服だ。
「靴を忘れていた。あとで渡す」
「そんな……こんなことまで……あたし、もらえません!」
「出してしまっては戻せない」
「でも今日も片付けをしますから、元の服で充分です」
「そうか。ではこれは捨てておけ」
え!? とあんぐりと口を開けたアンに男は無表情を返す。持ち主とは正反対、銀の縁が朝陽に明るく光る。
「私は着れないからな」
再び背を向けた男を見送り、アンは降参した。新しい服に袖を通して朝の食事も腹がくちくなるまで食べた。
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