人は石にすると美しい 3
「お前が持って来た骨は、石にしないのか」
アンを、男は真っ直ぐに見詰めた。大きな筋張った手が卓の上で組み直される。――男は初めこそ右手を指環だらけにしていたが、今では全て外してあり、代わりに例の銀の装飾品をつけていた。
縁が冷たい色に光る。
アンは唾を飲み込んだ。
「どう、してですか」
「お前の村の者は、死んだ者の骨の一部を石――
「きせき?」
その呼び名は一度聞いたことがある、とアンはぼんやりと思った。
「魔力を持つ石のことだ。村の外では高く売れるだろう。……お前はネリの代わりに来たんじゃないのか」
アンの息が止まった。
「かあ、さんを……知ってるの」
そう言ってから、彼女は確信した。彼女の母も、父も、この目の前の男に遺骨を届ける仕事をしていたのだ、と。
男は肯いた。
「女の森の夜歩きは堪えただろう」
「堪えた、だろう……?」
目の前が真っ赤に染まった。
「かあさんは、かあさんは……」
――かあさんは森から帰ってすぐ、倒れた。死んだ。とうさんも森の獣に!
うぅあぁ、と唸った。忘れていた激情が頬を熱く濡らした。
哀しみではなく、怒りでだ。
何の感慨もなく『堪えた』などと言う男に。食べる物も着る物も不自由しない男に。
貧しくて寒くて寂しくて抱き合った夜を、ひもじくても誰も助けてはくれない日々を。何処かへ行けとアンを森へ突き飛ばした村人たちを。
何も考えようとせずのうのうと、男から差し出される幸せに浸りきっていた自分に!
アンは
喚き散らして皿や杯を投げ飛ばしたかった。男にも何も知らないくせにと食って掛かりたかった。
けれど、言いたいことは全て「どうして」になって出てきた。
とうさんかあさん、と二度と会えない空色をその緑の瞳に滲ませて。
「……優しすぎるからだろう。誰も森に棲む魔物に会いたいと思う者などいなかった。エドだけがそれが出来た」
銀の縁、透明な膜越し。紫が淡く翳った。
「村のために、家族のために誰かがここに来なければいけなかった。だからエドもネリも、お前も来たのだろう?」
アンはちがう、と首を振った。
アンは男に石にしてもらうために来たのだ。村のことなど、何も知らなかった。
涙の止まらないアンをどうするでもなく、男はただ葡萄酒を傾けて珍しく饒舌に語った。
顔に着けている銀の装飾品は『
指に填める貴石は五つで物を呼び出す術になるので、面倒でも全部着けなくてはならない。
金の指環と銀の眼鏡は相性が悪い。どちらか一方しか着けられない。
骨は時間を掛けて術で溶かして冷やす。今、手掛けている仕事はただの貴石作りではないので更に時間が掛かったこと――。
淡々と話すその低い声に、アンの心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。燻る怒りを閉じ込めたまま。
「人が死ねば働き手が減る。家の者が死ねば、口を減らすほかなくなる。だが貧しさに誰も死ななくても、口を減らさなければならないとすれば、どうする。死んだ者の骨を金にするなど、何でもないことだろう。それで家が富み、明日の食べ物が手に入るなら……私はそうエドから聞いた」
アンの瞳は揺れた。
「じゃあ、とうさんの……骨も? 石にしたの?」
埋めたはずだ、彼女は母が地面に縋りつくのを見ていた。
「……エドはそれを望まなかった。ネリも納得していた」
「どうして!?」
――あぁ分からないことばかり!
アンは卓を強く叩いた。
「……知らん。ここに運び込む『仕事』は村から幾らかもらえるはずだろう。エドのときはそうだった。それで何とか暮らしていける、とエドは言っていた」
嘘だ! 彼女はそう叫びそうになった。それなら何故、母と自分は貧窮していたのか。母はただ疲れて何も持たずに帰ってきていたのか。
けれど、男は村にいない。
村人が彼女たちをどう扱ったか知らない。
アンは力なく項垂れた。男への怒りは的外れだったと知り、やるせない気持ちで胸が痛くなった。
――もういい。この人には分からない
俯き、黙りこくったアンを見下ろして男は言った。紫の瞳が細く、彼女を見詰める。
「もう一度聞く。母の骨を石にしないのか」
「絶対にしない」
清廉な瞳が光った。
「例え貧しくて死んでしまおうと、かあさんを石になんてしない!」
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