第34話 JO:021.203539という人


「ジョニイはね、30人兄弟の21番目なんだよ。すごいでしょう。30人も兄弟がいるなんて」


 エースはまるで人間のように優しく言う。眠るジョニイの額を撫でながら、「ね、そうだよねぇ」と小さく呟いた。

 

 エースはひどく人間的だった。今まで見たどんなアンドロイドよりも、ずば抜けて感情表現が豊かだった。言葉やしぐさに、機械らしさを感じない。彼は心のままに生きている、そんな気がして、小春は少し緊張する。




 マスターが用意したパイプ椅子に腰かけ、瀬戸が話し始めた。


「アンドロイドが人間のようになる時代が、もう少ししたら来ると思う。今はまだ、偏見やら差別やら、バカバカしいものがあるけどね。アンドロイドへの人権を求める団体も、かなり力をつけてきたし。彼らが人と変わらない権利を得る日も、そう遠くはないはずだ」


 エースは瀬戸の隣に腰かけて、彼の目を見て微笑む。「大丈夫だよ」と言うように。


「そろそろ人間も、アンドロイドときちんと向き合わなければならないね。自分たちが作ったものだから、当たり前だけどねぇ」


 マスターはぼんやりと、でも少し楽しそうに呟いた。


 緑茶の入ったグラスを机に置き、瀬戸はエースの肩に手をのせた。息を深く吐き出しながら話す。


「まぁ、そういう時代に向けて、私が作ったのがこの、エースなんだ」


 エースは一瞬ビクッとしたけれど、すぐに笑ってピースサインをした。青い瞳をウィンクさせておどけて見せる。

 小春もマスターも、ふふっと笑ったけど、瀬戸は相変わらず真面目な顔で話を続ける。


「エースの知能を基盤として、30体のアンドロイドを作ったんだけど、エースのように自我が芽生えたのはこの個体だけでね」


 瀬戸はそっと、眠るジョニイの方に振り向く。


「あの、自我っていうのは……」


 小春が尋ねると、瀬戸は少し笑いながら説明する。


「ああ、自我っていってもね、哲学みたいにこんがらがったものじゃないんだ。アンドロイドの自我は、生物学的な面と心理学的な面とを主にして考えていてね……」


 そこまで話すと、マスターが口をとがらせて文句を言った。


「面倒くさいんだよ。お前の説明は。そんなんだから大学の生徒にも嫌われんだ」


「それは違う!生徒がみんな不真面目なんだよ!というかもう、講師は辞めたんだよ!今は非常勤だ!」


 人差し指をぶんぶん振りながら瀬戸が抗議すると、マスターは「どっちも変わんねぇじゃねえか」とぼやく。エースはそんな二人を睨んで舌打ちし、瀬戸の代わりに説明した。


「アンドロイドの自我っていうのはね、簡単に言うと、そうだね、うーん。まずは……、自分が自分だって認識することを自我って言うでしょう。鏡を見て、“あ、これ自分だ”って分かるみたいに。これは今流通してる労働型アンドロイドにも、基本的にある自我なんだ。でも、僕やジョニイみたいなコミュニケーション型は、それプラス、“欲望”とか“願望”とかが出てくるんだ。でも、そういう“欲”をきちんとコントロールして、ルールに従う動作ができる。そんな機能もあるんだ」


「欲……ですか」


 小春が難しい顔で頷くと、エースはコロコロ笑いながら続けた。


「例えば、僕が瀬戸さんとセックスしたいな~っていう欲が出てきても、ここは人の目があるから家に帰ってから誘おう、って自分を制御するとかそういうこと」


「エースくん!?」


 小春は思わず叫んだ。彼がさも当然、みたいに言ったからびっくりしたのだ。


「へぇ~」


 マスターはわざとらしく大きな声を上げて、真っ赤な顔をした隣の男を見る。



「あのね、ジョニイはね、製造中に小春さんのことを見かけたみたいでね。彼は最初から、小春さんのところに行きたいって言ったんだ。それがジョニイの初めての願望だったんだよ」


 そういえば、ジョニイはそんなことを言っていた。ひどい夢をみた夜だった。

 小夜子が死んで、初めて、やっと、きちんと泣けた日だった。



「ジョニイの一目惚れかもね」


 エースはこれでもかというほど優しく微笑む。小春は恥ずかしかったけれど、「はい。たぶん、私もです」と答えた。



 ボーイ君がノックと同時にドアを開け、緑茶のおかわりと涼しげな羊羹を持ってきた。各々が「ありがとう」とか「お気遣いなく」とか言いながら受けとり、彼は一礼してさっさと出て言った。




 淹れたての冷たい緑茶をすすり、瀬戸は咳払いをした。


「それで、結局このジョニイが動作しなくなった理由なんだけどね」


「……はい」


 小春は顔を上げて、真剣に話を聞いた。心臓がギシギシと痛む。もしかしたら自分のせいかもしれない、とずっと悩んでいたから。


「アンドロイドは最初から大量の、それこそ百科事典以上にたくさんの情報をインプットしている。でもね、人と繋がって自然なコミュニケーションをとり、恋人や友人、家族といった関係を築くためには、その後のアウトプットが大切なんだ」


「アウトプット……」


 小春は思わず、胸に手をやった。


「経験から学ぶことで、彼らの感情はさらに豊かになり、人間のように進化していく」


 瀬戸はそう言うと、立ち上がってジョニイの顔を見下ろす。


「彼はたくさんの経験を積んで、たくさんの感情を感じたんだ。それに、彼はとても感受性が豊からしい。私の想定外にたくさんの感情を、短期間で経験したみたいでね。ついにはバッテリーの方が、ついていけなくなっちゃったみたいだ」


「経験を積んで、彼の知能は進化したんだよ。より、人間に近づいたってことさ」

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