第33話 瀬戸とエース


 いつの間にか梅雨は明け、六月が終わり、七月も半ばに入った。

 人々は半袖を着て汗をぬぐい、外ではセミも鳴き始め、室外機がごうごう言った。


 小春は相変わらず毎日、『美食ロボット』に通い、愛するジョニイにキスをした。


 だけどジョニイはずっと、冷たいままだった。




 蒸し暑い日の夕方、せっせと働く小春のもとにマスターから電話があった。


「小春ちゃん?今日仕事終わったらすぐ来れる?」


「ええ、もちろん、すぐに行きます」


 小春はそう言いながら、不安と期待が心の中を漂った。

 もう一ヶ月以上、毎日通っているのに、こんな電話は初めてだった。ジョニイに何か変化があったのだろうか、もしかしたら目を覚ましたかもしれない。

 もしかしたら、治せないという報告かもしれない。



 仕事を終え、電車に乗って新宿へ向かう。

 あんなに苦手だった新宿駅も、今はすいすい泳ぐように進むことができる。自分もまだまだ捨てたもんじゃないと小春は思う。

 この街を歩くたびに、必ず顔を出した小夜子の思い出も、少しずつ薄れていった。その代わり、ジョニイの笑顔が淡く浮かんではゆっくりと消える。それはとても寂しかった。


 歌舞伎町を通って、いくつかの道を曲がり、お店の前に到着する。

 ジョニイと一緒に初めてここへ来たとき、恐る恐る降りた地下への階段も、今では我が物顔で駆け降りる。白くて大きい、ぶ厚いガラスの扉を開けると、ボーイくんが微笑んだ。


「まずは夕食を食べてください」


 ボーイくんはそう言って、小春をカウンターに促す。マスターは席を外していた。喉がカラカラだったので、冷たい炭酸水を注文した。

 そのうち、料理子ちゃんが出来たての夕食を運んでくれる。今夜は夏野菜がたっぷり使われていた。シャキシャキの豚しゃぶサラダも、白髪ネギがのった茄子の揚げびたしも、トマトの温かなスープもどれもとてもおいしかった。


 しっかり食べ終わったころ、奥からマスターが顔を出した。


「小春ちゃん、夕飯食べちゃった?じゃあちょっと、こっちこっちー」


 マスターは微笑んで手招きする。

 小春はこくりと頷いて、料理子ちゃんとボーイくんに「ごちそうさま」を伝える。




 案内されたのは、マスターの研究室だった。

 真っ白な部屋で、真ん中のベッドにはいつも、小春の大切な大切な恋人が横たわっている。



 でも今日は、二人の男の後ろ姿があった。


 小春とマスターが部屋に入ると、二人は振り向いた。


 小春は彼らを知っていた。


 あの、元職場の、ひどい噂をされていた研究者と、その伴侶の男性型アンドロイド。いつか、トイレ掃除をしていた小春に、優しくしてくれた人たちだ。



「はじめまして、瀬戸と申します」


 背の高い、中年の研究者はそう言った。


「……はじめまして」


 小春は呆然としたまま、挨拶をして握手をする。


「初めましてじゃないよ。何度か職場でお会いしたよね。僕はエースといいます」


 エースという美しい青年はにこやかに言い、彼とも握手をする。

 さすがはアンドロイド、きちんと記憶しているのだ、と小春は感心した。



「実はね、僕も昔、ニューマン社に勤めていたことがあってね」


 冷たい緑茶を出しながら、マスターは言う。


「えっ」


 小春は驚いて、変な声が出てしまった。


「いやぁ、もう随分と昔でね。あの頃は結構、やりたい放題やらせてもらえてたんだけど、だんだんアンドロイド開発の規制も厳しくなって。好きなように仕事が出来なくなっちゃって、辞めたんだぁ。僕はそういう、なんて言うのかな、社会性があんまりないから……」


 マスターが照れくさそうに言うと、瀬戸は笑いながら口を挟んだ。


「何言ってんだ。スターウォーズのR2-D2だか、C-3POだかの偽物ロボットなんて作るからクビになるんだ」


 マスターは顔を赤くして「スターウォーズのロボットはロマンだろ!」と言い、きれいな緑色のお茶を飲み干した。


「それでね、僕がジョニイの内部を調べているうちに、使われている部品がニューマンのものだって気が付いてね。古い友人の瀬戸に聞いてみたんだ」


 小春はマスターの話を、何度も頷きながら一生懸命に聞く。


 そんな小春の方を向いて、瀬戸は真剣な顔をした。


「このジョニイ、JO:021.203539という個体は、私が作ったんだ」


 瀬戸は静かに言った。


「この個体は、今までのような労働型ロボットではなくてね。恋人や友人、家族といった関係を構築できる、コミュニケーションロボットの試作品だったんだ」

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