第32話 神楽さんの会社
小春の勤める会社の社長は神楽さんで、彼はとてもユーモアのある紳士だった。
若くして亡くなった、妻の伸子さんそっくりのアンドロイドといつも一緒にいて、彼女をとても大切にしていた。
マスターと冗談ばっかり言ってヘラヘラ笑っているけれど、でも本当に優しくて、ジョニイのことも本気で心配してくれた。
こういう人が父親だったら……なんて考えると、ちょっと面白かった。
そんなある日、小春は社長室に呼び出された。
「呼び出された」といっても、昨晩、『美食ロボット』で一緒に夕食を食べていた時に「明日の三時に一緒におやつを食べよう!社長室に遊びにおいで!」と言われただけだった。
三時のおやつに、パンダの形をしたチョコレートパイ(伸子さんはパンダが好きなので、喜ぶと思った)をぶら下げて、小春はエレベーターに乗り、ビルの最上階まで行った。
扉が開くと、真っ白な、シワひとつないスーツを着た女性が立っていた。
「秘書の
深々とお辞儀をされ、小春は慌ててチョコレートパイを後ろに隠した。
社長室までの長い道のりで、すれ違う男性も、デスクに座る秘書の女性も、深々とお辞儀をする。小春はギクシャクしながらペコペコした。
美しい秘書に案内され、社長室に入る。
そこには美保がいた。
ああなんだ、やっぱりそうか……。
小春はそう思った。
以前、この会社の清掃を担う人々に気がついて、懐かしく見ていた。
そこに、美保の姿があった。
その時、小春はなんとなく、そうかもしれないな、と思った。
何年も同じ職場で働いていたから、彼女の嫉妬深さやプライドの高さはよく知っている。美保の言葉使いや仕草で、小春は美保より下の人間だと認識されていることにも気がついていた。
見下した人間が自分より上にいくことを、ひどく嫌っているのも、小春はよく知っている。
人に優劣をつけるけれど、それでも、誰かを陥れるようなことはしない人だと思いたかった。
「小春ちゃん、わざわざありがとう。防犯カメラとか周りの人の証言でね、この人が嫌がらせをしていたんだけど、知り合いだね?」
重厚な机に座った神楽さんは、物凄く恐ろしい顔で話した。声や動作も、いつもと違って重々しく、神楽さんじゃないみたいだった。
「は、はい……」
思わず緊張して返事をすると、先ほどの美しい秘書が、小春をふかふかのソファーに通した。優しい笑みを浮かべながら、甘い香りの緑茶をテーブルに置く。
「では、君は解雇で」
神楽さんは美保を睨みつけて、バッサリと言った。
「謝りたいかい?」
蒼ざめて呆然としている美保に、神楽さんは冷たく言い放つ。
美保は陸に上げられた魚みたいに口をパクパクするだけで、声になっていなかった。
「謝罪の場を設けてあげたけど、無駄だったみたいだね。嫌がらせ行為の証拠は充分にあるので、然るべき対応をとらせていただきます。それでは以上」
神楽さんはまくしたてるように言うと、立ち尽くす美保に早口で続けた。
「ああ、そうだ。君は人を差別する人間みたいだけど、ここらの会社の役員は皆、差別を嫌うんだ。ほら最近、“アンドロイドに人権を”っていう声も高まってるだろう?この辺の会社はだいたい、そういう団体に協力しているからね。だから新しい仕事を探すなら、どこか遠く、知らない土地で探したほうがいい。ついでに言うと、私の妻もアンドロイドでね。悪いけど、知り合いの社長さんに君のことを話してしまったよ。その社長さんは口が軽くてね」
最後だけにこやかに言い、隣の護衛のような男性に指示を出す。
「会社の外まで、今すぐつまみ出せ。荷物は送れ」
がっしりとした大柄な男性は、文字通り、美保をつまみ出した。
あまりの出来事に、小春は開いた口が塞がらなかった。
美保が退場してしばらくすると、神楽さんはにやりと笑い、「なんちゃってぇ!」と言って、すっとぼけた顔をした。
「ねぇねぇ!どうだったかな!?なんかこう、冷酷なマフィアのボスって感じ、出てたかな!?ゴットファーザーのテーマ曲、流したかったなぁ」
神楽さんがニコニコしながらそう言うものだから、小春はポカンとした。すると、美しい秘書の女性が口をはさんだ。
「社長はマフィアのボスではございませんから。でも、まあまあ怖かったです」
それを聞いて、神楽さんは「よっしゃー!怖がらせたぜー!」とかなんとか言いながら拳を上げた。
その言葉を聞いて、小春は思わず吹きだした。
それから、別室にいる伸子さんも呼んで、三人でチョコレートパイを食べた。ふかふかのソファーで、美しい秘書がおいしい紅茶を淹れてくれた。
神楽さんは、やっぱり優しい人だった。
元職場の同僚が嫌がらせをしていたことを、「気にすることはない」と言い、たくさん笑わせてくれた。伸子さんはずっと、小春の肩を優しく抱いてくれた。
心にのしかかる重たいものを、「たいしたことないさ」と思わせてくれる。
美保よりも、誰よりも、こういう人たちを大切にして生きていきたいと思った。
「今の職場が働きづらいなら、部署を変わってもいいし、なんなら秘書になってくれ」
神楽さんはそう言ってくれたけれど、小春は断った。
このまま事務として、あのデスクにいたかった。
だって最近、小春のデスクでは不思議なことが起こっていたから。
初めて起こった不思議な出来事は、小春が一人でお昼ご飯をほおばっていたときだった。
顔見知りだが話したことはない同じ部署の女性が、突然話しかけてきたのだ。
「小春さん、だよね……?」
小春はびっくりして頷く。
彼女はキョロキョロと周りを見渡し、連絡先の書かれたメモを渡しながらこう言った。
「あのね、私も、恋人がアンドロイドなの。もしよかったら、明日一緒にランチに行かない?これに連絡して」
そう言って、彼女は微笑み、去っていった。
そんな不思議な出来事が、何度か続いた。
一度も話したことのない男性が「実は僕はゲイなんだ」とか、よく知った先輩が「私の恋人は女性なの」とか、全然違う部署の女性が「私の夫は精神病院に入院しているのよ」とか。
小春はいつしか、秘密の告白をされる人間になっていた。
特に小春が一人でランチをとっていると、ぽつりぽつりと告白をしてくる。
まるで、懺悔室の神父みたいだった。どれも懺悔する必要のない内容だったけれど。
小春は、みんな色々な秘密を抱えてるもんだなぁ、とか呑気に考えていた。
けれど、いつしか秘密を告白した人々の中で横のつながりが生まれ、仲間になり、小春のデスクは賑わうようになった。
小春の職場での孤独感は、静かに消えていった。
みんな色々な秘密を抱えて、たくさんのことに悩んで、傷ついたり苦しんだりしていた。
そういう人はみな、優しかった。
痛みや苦しみを知っている人は優しいのだ、と小春は知った。
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