第18話 アンドロイドも人も皆、愛する会
久しぶりの新宿はすっかり変わっていて、小春はそのことにとても感謝した。
とはいえやはり同じ街なので、見覚えのあるものが目に入ると寂しくなる。そして何より、色々なものが混ざり合った匂いとか活気ある人々の声とか、形のない記憶に触れると、ひどく辛かった。
新宿には小夜子との思い出が多すぎる。
「お店って本当にここなの?」
小春は困惑して言う。
「はい、間違いありません。店名は“美食ロボット”です」
蒼白く光る看板には煌々と『美食ロボット』と書かれている。しかも、お店は地下だ。
せっかくここまで来たんだから、と二人は強く手を握って、えいやっと階段を降りた。
狭い階段を降りてすぐ右側にドアがあった。
大きくて頑丈そうな、白くてぶ厚いガラスの扉。『本日、貸切!』と走り書きされたメモが、ガムテープで乱暴に貼り付けられている。
ジョニイはそっと小春の肩に手を回し、さりげなく自分の後ろに追いやる。
「開けますね」
ジョニイが言い、小春は思いきり息を吸い込んだ。
重たいドアを開けると、ヘンテコな音楽が聴こえた。ざわざわとした人の賑わいも感じる。
蒼白く薄暗い部屋の中には、小さいけれど清潔そうなカウンターと、そして、その向かいに白くて大きなテーブルが置いてある。
「だからぁー、あたしは絶対買わないって」
ひときわ大きな、若い女性の声が響く。
「いらっしゃいませ」
左側のカウンターから、機械的な男性の声が聞こえた。
白くて暗い不思議な部屋を観察していた二人は、その声で現実に戻る。
「ご予約ですか?ハンドルネームをよろしいでしょうか?」
バーテンダーらしい男は続ける。
「小春とジョニイです」
ジョニイがそう告げ、小春は、売れない夫婦漫才師みたいな名前だな、と思った。
「あっ!新入りちゃん!!?」
さっきの大きな声の女性が、部屋中に響き渡るくらい更に大きな声を上げた。
部屋中の視線が、小春とジョニイに集まる。
小春は萎縮したが、ジョニイがずっと自分の背で守ってくれた。
部屋には6〜7人の男女がいた。
「うわぁ!はじめまして!あたしはねぇ、
薫子、という大声の女性が、小春のもとへ駆け寄ってくる。ジョニイを押し退け、小春の両手を握った。明るい金髪をおかっぱにした、可愛らしい人だった。
「はじめまして……」
小春が驚きながらも挨拶すると、薫子はジョニイに微笑みかける。
「大丈夫よ。あんたの大事な人を取って食ったりしないから。そんなことより!ねえ、ほら来て来て!」
薫子に手を引かれながら、二人はテーブルへと進む。
テーブルの奥から、眼鏡をかけた高校生みたいな青年が出てきた。
「初めまして、君がメールをくれたジョニイくんかな?私は
小春もジョニイも、初めまして、と握手をする。
「戸口のあだ名はね、博士とかマスターよー」
薫子はビール片手に言う。
「この店を経営してるんだ。あそこのボーイくんは私のアンドロイドだよ」
戸口がそう言い、カウンターを指さす。振り向くと、さっきのバーテンダー男が微笑んで会釈した。
「こちらは
戸口がそう言うと、隣に座っていた気の良さそうなおじさんが席を立った。50代くらいだろうか。優しい笑顔をしていた。
「どうぞよろしくね。この子はね、
隣の女性型アンドロイドもゆっくりと立ち上がり、微笑みながら、よろしくと言った。
「そして、このちょっとうるさい薫子ちゃんの恋人が、アダムくん」
そう言われて、アイドルみたいに可愛らしい顔のアンドロイドが、にっこりと手を振る。薫子はアダムの腕にしがみつくようにくっついている。
「そんなにうるさくないわよ。ねえ、早く乾杯しましょう!二人の話を聞きたいわ」
薫子は頬を膨らませて言った。
『アンドロイドも人も皆、愛する会』と名付けられたこの集まりは、終始和やかな雰囲気でとても居心地が良かった。
薫子は明るくて優しく、アダムはとても誠実そうだった。戸口さんは皆に博士とか、マスターとか呼ばれ、小春も何となくマスターと呼んだ。神楽さんはユーモアがあり、よく笑う人だった。伸子さんはそんな夫をにこにこ見つめていた。
アンドロイドマニアだというマスターは、ジョニイの身体中を観察したり触ったりした。薫子は大雑把に見えてとても気配りのできる女性だった。彼女のおかげで小春もジョニイも、この会にすぐに打ち解けた。
人間が4人、アンドロイドが5人(途中、マスターのもう一体の女性型アンドロイドが顔を出した)。
あまりにも自然で、小春はときどき人間とアンドロイドの違いさえ、あやふやになったりした。彼らはアンドロイドをとても愛していて、おかしなことなんて何一つなかった。
みんなただ、本当にいい人たちだった。
「恋愛対象がアンドロイドってだけなのよね」
大きなゴブレットに注がれた赤ワインを舐めながら、薫子は言った。右側の手はずっとアダムの手を握っている。
「ほら、神楽さんとこの伸子さんなんてね、亡くなった奥さんそっくりに作らせた特注のアンドロイドなのよ」
薫子は小さくささやいた。
「型式もずいぶん古いから、会話できる数も少ないんだけど。でもね、二人はなんとなく分かってるのよ、お互いの言いたいこととか気持ちとか」
確かに、伸子さんは動き方もぎこちなく、意思疎通にも少しだけタイムラグがある。
けれど、夫である神楽さんとはスムーズにコミュニケーションがとれていた。
「本当に、長年連れ添った夫婦みたいね……」
小春は素直に感心した。
うんうんと、まさにその通りとうなずきながら、薫子はワインのおかわりをしようとする。
「薫子、飲みすぎですよ。もうすぐ血中アルコール濃度が0.11%に達します」
アダムは優しく警告する。
「それって二日酔いになる?」
薫子はアダムに尋ねる。恋人用の甘く優しい声で。
「なるかもしれません。お水にしましょう」
アダムが言うと、薫子は素直に頷いた。
マスターや神楽さんにもみくちゃにされたジョニイが、フラフラと小春の隣に戻ってきた。
「大丈夫?」
ちょっと笑いながら尋ねると、大丈夫です、と疲れたように微笑む。だけど、ジョニイのふわふわの金髪がめちゃくちゃになっていて、小春は優しく整えてあげた。
「小春ちゃん、絶っ対にすぐに連絡してね!」
薫子は小春にハグをして言った。お酒と、上品な香水の香りがする。ありがとう、と小春は笑って言う。
「毎週土曜の夜にこうして集まってるから、また遊びにおいで。土曜じゃなくても、この店は年中やってるから、いつでも食べにおいで」
マスターはボーイくんと並んで手を振る。
「小春ちゃん!例の件、ちゃーんと考えておいてね!」
少し遅れて店を出た神楽さんが、階段を上りきって顔を出す。後ろの伸子さんの手を大切そうに引いている。
「はい、必ず連絡します」
小春はにこやかに言った。
小春が無職だと知ると、神楽さんが自分の会社に来るよう誘ってくれたのだ。
皆、大切なアンドロイドとともに、アンドロイドもまた、大切な人間と共に、別れの挨拶をしてそれぞれの帰路につく。
小春とジョニイはぴったりとくっついて、しっかりと手を握り、駅に向かう。
「みんな、良い人だったわね」
小春はジョニイの腕に頬をつける。ジョニイのことがひどく愛おしかった。
「はい、とても楽しかったです。また必ず行きましょうね」
ジョニイはそう言い、小春の手をぎゅっと握る。
アンドロイドも、その横に立つ若い女も、ちっとも注目されない街を、二人はのんびりと歩く。
小春はこのまま、隣にいる愛しい男と同じ家に帰れることを、この上なく幸せだと思った。
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