第11話 異常なほど普通のカップルのこと
小春が勤めていた会社で、本気でアンドロイドと結婚しようとした男がいた。
もちろん、アンドロイドとの結婚は許可されていない。
その男は背が高く、痩せた中年の研究者だった。
彼が伴侶と呼んだアンドロイドは、自らが作成したもので、しかも男性型だった。
研究者の男は常に、そのアンドロイドと共にいた。
毎日一緒に出社し、仕事をし、共に同じ家へ帰る。
トイレだって一緒だった。
いつだったか、小春がトイレ掃除をしていた時、二人に出会ったことがある。
「使っても、かまいませんか?」
見上げるほど背の高い白髪まじりの研究者は、トイレのドアを開けて申し訳なさそうに聞いた。
小春が「もちろん、構いませんよ」と告げると、彼は「ありがとう」と優しく言い、後ろのアンドロイドも会釈をしながら「失礼します」と続いた。
彼らはトイレを済ませ、手を洗いながら軽くおしゃべりをしていた。
「掃除したてだから、あまり水を飛ばしてはいけないよ」とか「今日の夕食はアジフライが食べたい」とか「じゃあキャベツを買って帰ろう」とか、「冷蔵庫にポテトサラダが残っていたね」とか、そんな話をしていた。
モップをかけながら、そんなことを話す彼らを見て、小春は異常なほど普通だと思った。
なんてことのない、普通のカップルだ。
もうそれは退屈なくらい、普通だった。
でも、みんなはひどい噂をしていた。
「研究のし過ぎで頭のねじが飛んだんだ」
「馬鹿となんとかは紙一重って言うでしょ?」
「血の通った人間とは、まともに喋ることもできないのよ」
「あのアンドロイドは生殖器はなくても尻に穴くらい空いているさ」
「気持ち悪い。変態でしょ」
小春はそんな噂や悪口を聞くたびに、ひどく悲しい気持ちになった。
だって、彼らは優しかったのだ。
普段、さげすまれて当然の清掃員に、「使っても、かまいませんか?」なんて言った人は、彼以外一人もいなかった。アンドロイドの青年だって、「掃除したてだから、あまり水を飛ばしてはいけないよ」と言ってくれた。
噂をする人間は、あざ笑ったり汚い言葉を使ったりして、とても醜かった。
もしかしたら、研究者の彼はそんな人間に嫌気がさして、アンドロイドの伴侶を作ったのかもしれない。
それなら合点がいく、そんな気がした。
――今の私はどちらかしら。
小春は満開の桜を見上げて思う。
人の目を気にして、噂を怖がって、ジョニイを閉じ込めて、誰が幸せになるというのだろう。
桜を見たら、ジョニイはきっと目を輝かせるだろう。電車を見たら何て言うかしら。バスに乗せたら怖がったりして。スーパーに並ぶたくさんの食材に驚くかもしれない。
小春はジョニイの大好きな笑いじわを思い出して、初めて勇気を出そうと思った。
後ろ指をさす醜い人間よりも、ジョニイの方がずっとずっと、大切な存在だ。
アパートに帰り、買ってきたものをジョニイに渡す。
「小春さん!これは古生姜です!」
ジョニイをどうやって外に連れ出そうか考えていると、不満げな、我慢ならないといった声が聞こえた。
「え?生姜でしょ?」
小春は手を洗いながら聞き返す。
「そうですけど、私が頼んだのは新生姜です!」
口をへの字にして、ジョニイは洗面所までやってきた。鏡越しに怒っているのが分かる。
「新生姜でシロップを作ろうと思ったんです!新生姜で作ると、ピンク色のシロップができるんですよ!それに、シナモンパウダーじゃなくてシナモンスティックです!スティックの方です!あと、またチーズを買い忘れてます!」
まるで子どものかんしゃくみたいだな、うがいをしながら小春は思った。
「あらぁ、ごめんごめん。分かんないから明日、一緒に買い物行こう?ね?」
洗面所の電気を消して、母親みたいに言うと、ジョニイは目を丸くしていた。
「あっ!はい!」
しばらく沈黙した後、ジョニイは大きな声で返事をした。
目尻だけじゃなくて、顔全体をくしゃっとさせて、とても嬉しそうに笑った。
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