第3章 彼が気になる、人目も気になる

第10話 小春さんと、僕の口の中で一緒に噛めばいいんです


 小春は公園のベンチに座って、いちご飴を食べていた。

 大きな苺が三つも串にささっていて、とろりとした透明の飴で封じられている。

 一口かじると、ガラスみたいにパリンと割れて、口の中でパリパリとか、シャクシャクとか、おもしろい音をたてる。


 ジョニイも連れてくればよかったな、と小春は思う。

 こういう特別な飴は、お祭りとかでしか手に入らない。


「おいしいですか?それ」


 ジョニイはいつの間にか隣に腰かけていた。


「おいしいわ。ものすごく」


 そう言って、小春は二つ目の苺をジョニイの口元に持っていく。

 ジョニイは大きく口を開け、たったの一口で苺を一つ、持って行った。


 ジョニイの口からガラスの音がして、甘い砂糖と爽やかな苺の香りがする。


 小春はジョニイの唇をじっと見つめる。ガラスを噛む、やわらかな唇。

 キスがしたいな、と思った。言えないけれど。


 小春はぼんやり、あと一つの苺をどうやって二人で分けようか考えていた。


「二人で一緒に食べればいいんですよ」


 ジョニイはそう言って、最後の苺を指さした。


「口の中で分ければいいんですよ。小春さんと、僕の口の中で一緒に噛めばいいんです」




 小春ははっと目を覚ました。


「なんちゅう……」


 なんちゅう嫌らしい夢をみているんだ。


 昨夜は初恋の、優しいお兄ちゃんの夢がみられると思ったのに。


 ジョニイが鼻をこすり合わせてきたからだ。だから思い出の公園で、ジョニイといちご飴を食べたんだ。


 お兄ちゃんとの思い出がつまった公園で、ジョニイと一緒に飴を食べるのは、なんだか凄く背徳感があった。夢だけれど。



「小春さん、起きました?」


 今日も今日とて美しい、完璧なアンドロイドがキッチンから顔を出す。


「おはよう」


 小春はそう言って、ふてぶてしく布団をめくり、うんと背伸びをする。


「昨日は楽しい夢がみられたみたいですね。小春さん、にっこり笑って眠ってましたよ」


 ジョニイは笑ってキッチンに引っ込み、「どんな夢をみたんです?」と続けた。



 心の中の小春が、地団駄を踏みながら叫ぶ。



 たった一つの苺を、あんたと口の中で分け合おうとしたのよ。私はあんたと、キスがしたかったのよ!



 小春はなんだか悔しくて、下唇を噛む。

 ほんと、キスくらいしとくんだった。



「初恋の、親戚のお兄ちゃんの夢を見たわ」


 小春は嘘をついた。ごまかすように、「今日はトースト?ごはん?」と続けた。


 部屋中に焼けたトーストの香りがするのに。


「トーストです」


 ジョニイは機械的に言う。

 サラダやスープ、焼き立てのトーストが、小さなダイニングテーブルにのっていた。


 小春は「おいしそうね」なんて、余裕しゃくしゃくなふりをして言ってみる。



 ほろりと香ばしい香りのコーヒーが、ジョニイによって運ばれる。


「あぁ、いい香り……」


 小春は思わず鼻を膨らます。朝に嗅ぐコーヒーの香りは、どんなものでも素晴らしい。たとえそれが、列車の中で飲むような薄っぺらで安っぽい、おいしくないものでも。


「顔を洗ってくるわ」


 そう言って、小春は緩く髪をまとめる。


「小春さん」


 洗面所に向かう小春の背中に向かって、ジョニイは真剣な顔で言った。


「血のつながりが濃い者同士の婚姻は、将来産まれる子どもの遺伝子に異常をきたす確率が高い、というデータがあります」


 小春はびっくりして振り返った。


「なんのこと?」


 そう言って、すぐに気がついた。

 ジョニイは、親戚の兄と小春の初恋を心配しているのだ。


「ああ、大丈夫よ。とっくの昔に失恋したから」


 小春が笑って言うと、ジョニイは少し悲しそうに微笑んだ。尻尾をさげた犬みたい。




 ジョニイが作った朝食は本当においしい。彼はトーストの日、目玉焼きを両面焼く。そうすると、パンに挟んでも、黄身がこぼれずに安心して頬張れる。


「小春さん、買い物に行きたいです。そろそろ食材が足りません」


 ジョニイは唐突に言った。


「じゃあ、今日私が行ってくるわ。ちょうど銀行に行かなくちゃいけないし、あと、前の職場にも寄らなきゃいけないの。なんか、サインが必要なんですって」


 小春はサラダをつつきながら言う。


「そうですか。では、メモをしておいてもいいですか?」


 ジョニイは行儀良くカップを持って言った。


「うん。お願い」





 ジョニイは小春の家にやって来てから、一度も外に出ていない。

 彼は外出できないわけではない。

 小春だって別に、閉じ込めてるわけじゃない。



 ただ、小春が怖がっているのだ。




 アンドロイドが生まれ、人間の生活はさらに豊かになった。しかし、それをよく思わない者も大勢いた。

 嫉妬や劣等感、憎しみや憤り。そして異質なものに対する恐怖心。

 それらはやがて、偏見や差別という残酷な行動に変化した。


 アンドロイドは「人間に使われる機械」であり、見下される存在であるべき。

 それが暗黙のルールとなった。


 街中で見かけるアンドロイドは大抵、裕福な人間の後ろでたくさんの荷物を抱えていたり、良い服を着た子どもの面倒を見ていたりする。


 人々はそれを見て、ああ、あれは家事をする機械だと判断する。もしくは、子守をする機械だと。掃除機や洗濯機と何ら変わらない、そう思わなければならない社会だった。



 もちろん、美しい女性型アンドロイドを連れて歩く男性や、男性型アンドロイドとぴったりと腕を組んで歩く女性だっている。


 それは、禁止された行為ではない。

 アンドロイドとの関係は、所有者が決める。

 恋人にしようが、家族にしようが、友人にしようが、あるいはペットにしようが、あくまでもそれは所有者の自由なのだ。


 しかし、周囲の人々はそれを「恥」とした。

 もしくは「寂しい人」とか「哀れな人」とか、そしてあるいは、「変態」と。

 アンドロイドと共に見下されるべき人間と判断されるのだ。




 特に、小春のような裕福ではない女がアンドロイドを連れて歩いていると、好奇の目にさらされる。

 後ろ指をさされ、「好き者」とさえ言われる。



 小春はそれが怖かった。


 だから小春はいつも、食材や日用品が足りなくなると、ネットで注文するか自ら買い物に行く。


 自分一人で買い物に行くことがとても後ろめたくて、小春はいつも変な言い訳をする。

 郵便局に行かなくちゃいけないとか、支払いがあるからコンビニに寄らなきゃとか、雨が降っているからとか。

 どれもジョニイを連れていけない理由にはなっていないのに。

 でも、とても言えなかった。

「後ろ指をさされたくない」なんて。




 そして今日だって、小春は銀行にも、前の職場にも行く必要はないのだ。



「じゃあ、いってきます」


 小春は靴を履いて、ジョニイに手を振る。


「はい、気を付けて行ってきてくださいね」


 ジョニイは優しく笑って、ドアを閉める。小春の好きな笑いじわは、作ってくれなかった。


 小春が一人で外に出ると、満開の桜が目に入った。

 声を上げて、子供みたいに泣きたくなった。

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