応援コメント

最終話 地表世界のカタレーイナのペルミテース。」への応援コメント

  • 初めまして。
    この度は『熟読&批評します』企画にご参加いただき、ありがとうございました。
    主催者の島流しにされた男爵イモです。

    折角ですので、作品の方はすべて拝読致しました。内容としては終盤にて様々な伏線が回収されるという構成になっており、物語としても殺伐とした空気に反して、希望の溢れるものになっていた印象です。伏線に関してはコーザの性や銃、ダンジョンの仕組みが上手く活用されていました。後者はともかく、前者(コーザの性別が不明瞭、戦力を銃に依存している)についてはコメント時に触れようと思っていたので謎が解けて安心しました。こうした違和感を粗として残さず、作品の一部として意図的に組み込むという技術力には脱帽します。また、ダンジョンそのものに関しても細かく設定が練られており、御咲花様の作り込みへの余念のなさが窺えます。私は聞き齧った程度の知識しかありませんが、「配信者」や「探検」という扱いやすい材料を使わず、原点回帰とも呼べる「脱出」に焦点を当てた物語は素朴でありながらも力強さを感じさせてくれるものでした。閉鎖空間で生きる人間たちの人生観や仲間(妖精)との関係。そうしたものがありのままに描写されており、読み進めていくにつれて作中世界に歩み寄っていくことができました。

    物語の筋道にも、同様に趣向が凝らされていたように思います。ただのバトルで解決という展開ではなく、各々の思惑を絡めた心理戦が物語のカギとなったのは本作の醍醐味だといえるでしょう。それに伴い、本当の意味での「敵」が登場しなかったのも大きいです。このことは一長一短ではありますが、少なくとも本作においては良い方向に働いたと考えます。ダンジョンからの脱出の動機やコーザの秘密をはじめ、結局は皆、誰かのためを思って行動したわけですから。すべての元凶である人物は猛省しており、ダンジョン自体も着実に終わりに向かっていた。それらの要因も相まって、作品は深みのあるものになっていました。その点はダンジョンを題材とした類似作品との明らかな違いであり、本作の強みといっても差し支えないでしょう。オリジナリティを出すことには、見事に成功しています。後述する部分が改善されれば、その魅力はより読者に伝わりやすくなることかと思います。

    では、続いては気になった点をまとめていきます。
    それぞれ項目ごとに番号を振り、個別に解説していきます。
    ➀神の視点
    ➁足りない描写
    ➂地の文の冗長さ

    まずは➀から。
    本作は三人称視点の中でも、いわゆる神の視点が使われていました。意図的なものなのかは文章から判断できなかったので、一応どういったものか記しておきます。この視点は、制限なく人物の内面を描写できます。一人称視点や三人称一元視点のように特定の人物に縛られずに、推量や憶測を省いたうえで多くの人物の心理を書くことができます。「○○はこう思っている。一方の××はこう考えている。つまり、彼らはこういう関係にある。」という書き方が可能になります。通常のように「~~だろうか、△△と思ったのか」という表現が不要になるわけです。しかし、この視点にはデメリットもあります。それは読者が、物語を読み解く楽しみが損なわれることです。すべてを作者の手で詳らかにされるため、想像を膨らませる機会がなくなるのです。推理小説でたとえるなら、犯人と動機がわかっている状態で物語が始まるようなものです。面白味の大半が失われますよね。本作の場合は、そのことが心理戦に直結しています。複数の人物視点での心理が描写されることにより、一見するとミスリードを誘っているように受け取れる一方、筋道はシンプルなので容易に見破れます。特にチャールティンの取引場面は、使われた文字数に対して中身はそれほどありませんでした。行動原理が神の視点によって明らかになっているので、展開に意外性が生まれないという典型的な例ですね。描写をたくさんできる=文字数が嵩張る、なので神の視点は運用が難しいです。下手に書き込みすぎると読者が退屈な思いをすることもあるので、よほど視点にこだわりがなければ使う意味はあまりありません。三人称視点を使われるのなら、三人称一元視点がオススメです。

    次に➁、足りない描写について。
    こちらは作品を通して、情景描写が不足しています。そのために、長い思索が終わった途端にモンスターが登場。なにかしら意味のある場面なのに、とんとん拍子に物語が進んでいく。ということが多々ありました。作品を構成する文章の種類に偏りがあります。全体を10とするならば、(情報整理・説明4、心理描写3、物語2、情景描写1)という印象です。一番多い情報整理・説明を2として、余剰分を情景描写に割り当てるのが理想的です。このことについては後述しますので、ここでは情景描写の種類を掘り下げます。やはりダンジョンを題材にしているので、その質感や空気感は詳しく書き込んでほしいところです。色や見た目のみならず、手触りや臭い、内部の明るさ、漂う空気の温度。他には、ワープゲートや特定の人物に会うまでの道程の描写があると嬉しいです。思索→移動→情報整理→思索……という流れが延々と続くだけでは、読者は早々に飽きてしまいます。大筋に沿って物語を書くばかりでなく、ときには場面を掘り下げることも大事です。どういった場所で、どんな道を辿って、誰に会うのか。そういった細かな部分にも焦点が当たれば、物語に緩急が生まれるはずです。多様な描写を満遍なく取り入れてみてください。

    最後に➂、本作の最大の課題となります。
    地の文の冗長さ。これを招いているのは、本文中で頻繁に行われる「情報整理・説明」です。誰がなにを考え、どういう話が進んでおり、設定にはどんな絡繰りがあるのか。そのことが事あるごとに理詰めで整理されるので、本文が読みにくいものになっています。第1章は作品への理解度がまだ低いので情報整理はありがたいですが、終盤までその調子では読み進めること自体がつらくなってきます。情報整理に使われる説明は冗漫なので、余計に負担に感じるのかもしれません。過剰な文章を省けば、本作は十万字前後に収まっても不思議ではないものです。こうしたことの要因として考えられるのは、主に分けて二つ。一つは設定を複雑化しているために、それを事細かに解説しなければならなくなっている。もう一つは、御咲花様の真面目さが裏目に出ている。具体的には読者が内容の読み違いを防ぐため、あるいは設定の穴を突かれないために情報整理を頻繁に行っているものと思われます。ですが、今の状態は明らかに過剰です。それに、そこまで説明されなくとも読者は理解できます。

    桃太郎の話でたとえるなら、「お婆さんが川で洗濯をしている最中に、川上から桃が流れてくる」くだりがあります。ここでの一連の展開が終わったあとに「桃を見つけたのは、お婆さん一人だった。なぜならお爺さんは山に芝刈りに行っているためだ。仮に芝刈りが早くに終わっていたとしても、川まで辿り着くにはそれなりに時間を要する。お婆さんと合流することは物理的に不可能であることは自明だ。これらのことから、桃を回収したのはお婆さんのみと考えるのが妥当である。」という文章が続いていたら、どう感じるでしょうか。不要ですよね。そんな説明がなくとも状況はわかりますし、具体的な情報は誰も求めていないでしょう。これは大袈裟な例ですが、本作はそれに近いことを本文で繰り広げています。各話を小間切れにしているのも逆効果でしょう。一話辺りの字数を減らせば、読者は惰性や日課として読み進めてくれるかもしれませんが、どの回でも説明ばかりでは離脱するのは時間の問題です。根本を見直さなければ、どんなに他を工夫しても効果は薄いです。

    これから本文の一部を引用して改善案を提示しようと思います。参考までにどうぞ。
    第7話より引用
     まさか、妖精なんてものが、この世に実在しているとは思わなかった。いやしかし、それは妖精王を目撃した時点で、認識を改めねばならなかったのではないか? いないな、あれはあれで何かの間違いと、そう言いきることもできたであろう。現に、今までに妖精王を見かけた人間といえども、まさかルーチカまでもを、知っていたわけではないはずだ。そうでなければ、ルーチカなどのことも、話題にのぼらなくてはおかしいではないか。
     こうしてコーザの思考は深まり、おのずと口を閉じてしまった。そんな沈黙を破ったのはほかでもなく、妖精王である。

    →まさか妖精なんてものが、この世に実在しているとは思わなかった。尤も、そんな認識は妖精王を見た時点で意味を為さなくなっている。しかし、本当にそう言い切れるのか。視界が捉えた奇妙な光景が、頭の中にある常識と整合しない。思考が渦を巻く。
     結果、コーザは口を閉ざした。重苦しい沈黙がやってくる。数秒のはずが、永遠のように感じられる。そんな間を埋めたのは、他でもない妖精王だった。

    という感じでしょうか。なるべく文章を削ぎ、要点だけを的確に押さえる。そのうえで必要に応じて時間経過の描写を挟む。こうした表現を交えれば、少ない文章にも多くの意味を持たせることができます。そうして生まれた余白は物語を広げたり、情景描写を増やしたりするために活用できます。同じ18万字でも、印象はガラっと変わるはずです。この作品自体が去年のものなので、なにかしら変化はあったのかと思い、試しに御咲花様の最新作の一部も拝読しました。その際には、地の文の冗長さはかなり抑えられていました。ですので、もしかしたらご自身でも把握されている癖なのかもしれません。そうであれば尚のこと、本作も改稿された方がよろしいでしょう。当時を振り返るための記録として残すのも手ですが、他人に読ませることが目的であればブラッシュアップさせるに越したことはありません。是非ともご一考いただければと思います。

    以上になります。
    もし批評に関してご不明な点や不備があれば、私の近況ノート『11/3開催 自主企画専用ページ』にて対応致します。ご要望に応じて批評内容の解説も致しますので、気軽にお申し付けください。ここで述べたことが、少しでも作者様の創作活動に役立ったのなら幸いです。

    作者からの返信

     まずは、18万という膨大な文字数をお読みいただき、ありがとうございました。

     男爵イモ氏に、高く評価していただいた銃についてですが、正直な話、作品の要素として最初に「ダンジョン・妖精・銃」と適当に決めただけです――ダンジョンで銃を使って戦う類似作品を、あまり見かけなかった――ので、たまたま本作は、最後に銃を使わざるを得ない理由を描けただけで、その理由を、私が土壇場で思いつかなかったとしても、銃は作品に使っていたかと思います(もっとも、地表世界での戦争は、火穂晶と純石とでの戦いのはずなので、なんでペルミテースは銃を持っていたんだろう、という疑問は残ります。戦争の形態が変わったのでしょうか? この辺は私の技量不足です)。

     その手の知識を持たないという男爵イモ氏にまで、「配信系」が知れ渡っていることを思えば、私も大人しくそういった作品を描くのが、きっと望ましいのでしょう。少なくともラノベを書こうとしている私は、なろう系を疎んじている場合ではないことを、最近になってようやく理解しはじめたところです。


     さて、気になった点という箇所についてのお返事を。
     ①については、少なくとも当面の間は、同様の描き方をしていくかと思います(自覚していたわけではないので、ご指摘には感謝しています)。
     理由は主に2つあります。
     ひとつは、今の手法のほうが、読んでいてわかりやすいのではないか、と考えているためです。
     いまひとつは、どのキャラクターがどこまで知っているのかという前提を、常に意識しながら物語を描くことは、私の技量では困難だと思われるためです。

     後半の理由については、単に私の「キャラクターには、物語の世界で生きる住人として、作品の最適解を選んでほしい」という悪癖(以下、悪癖)が多分に影響していそうですが、しばらくはこの悪癖と向き合わないようにするべく、神の視点を使うことになるでしょう。

     もっとも、神の視点であれば、悪癖から逃れられるかというと、そういうわけでもなく、この点が顕著に表れたのが、男爵イモ氏にもご指摘された「チャールティンの取引」です。
     仰るとおりでして、明らかにこのシーンというかチャプターは、私の瑕疵です。はっきり言えば、コーザと違い、十分な知性を持っているとしたミージヒトに、不正解の道を勝手に歩ませることは、私にはできませんでした。ために、屁理屈をこねまわし、どうにかそれっぽい理由をでっちあげたというのが、一連の場面の正体です。ましてや、それがミスリードまがいのものなっているのであれば、なおのこと失敗でしょう。私としては、コーザは不安がっていて構わないが、読者まで不安がるのは困るわけですから。
     強いて自己弁護をするのであれば、無意味な取引の結果、本命(ミージヒトをイトロミカールから離れさせる)が叶ったという具合でしょうが、事前にスマートなギミックを考案できなかった、作者としての失敗です。
     ありていに言えば、ミージヒトの動機を不透明なままにしておくことは、私の悪癖が許しませんでしたが、最適解を選ぶミージヒトを出し抜き、状況を打開できる状態には、当時すでになかったという感じです。


     ②につきましては、概ね私の想像力不足に起因するものでして、一朝一夕に改善できるものではありませんが、なるべく描けるように努めます。正直、私は他人の描くダンジョンに、そこまでの関心を持たないのですが……物語に深みを持たせる、という意味合いが強いのでしょうから、たまには描けるように善処いたします。
     少なくとも、未踏破領域を進むことは困難だ、と断じておきながら、すいすいと運んでしまったのは私の落ち度ですので、今後はなるべくこのようなことがないように、肝に銘じたいところです。ぶっちゃけ、描く価値のあるイベントを、思いつけなかったことも大きいのですが……。ダンジョンの態様は――類似作品と差がないので――ともかくとしても、モンスターたちのいくつかは、リアリティーを持たせるべく、丁寧に説明するべきでしたね。


     ③は、概ね悪癖でしょうか。
     氏の指摘を読むに、むしろ私は③ゆえに①になっているのではないかと、自分の癖を疑うほどです。
     桃太郎の例えは同意するところですが、そこに「桃を運ぶのにお婆さんは苦戦した」という説明が加わるならば、氏が不要とした描写を、私は入れざるを得ないでしょう。無論、どうでもいい場面(桃なんか二人で運んでも構わない)にまで、過剰な説明を試みようとは私も思いませんので、本作では全体的に、どこが重要でどこは重要ではないのかという判断を、私がしっかりとできていなかったというのが、一番の反省点なのだと改めて思い知らされました。さすれば、理詰めによる説明も、少しは減るのではないかと期待しますが、本作は妖精の瞳・二重マップと、物語の構造上避けては通れないものが多すぎるので、氏の言うように、根本的に設定を見直すことが、必要だったのかも知れません。コーザを脱出させないために色々と作った結果、まともに物語を進められなくなったのですから、とんだ笑いものです。

     最新作が何を指しているのかはわかりませんが、『異世界監獄』なのであれば、単純に作品が違うからで、私の悪癖が改善されたのではないかと思います。畢竟するに、妖精迷宮という世界で、長期に渡って十分に生活しているだろうコーザと、そうではない翔太朗とでは、物語の世界に対する考え方に違いが生じるはずです。「なろう系」であれば、こういった”歴史”を取り入れないほうがベターというか、取り入れることがむしろタブーになるでしょうから、そのような意味でも、私はこだわりを捨てて「なろう系」を描くべきなのでしょう。あるいは、”歴史”を無視して描く豪胆さがあれば、それもまた可能でしょうが、まだ一抹の居心地悪さを拭えないので、今しばらくは留保します。

     最後になりましたが、なぜ私が貴企画に参加したのかを。
     私は、本作で犯した幾つかの失敗を自覚しています。それは次回以降に改善する教訓として、糧にしたわけですが、実際のところ、読者の目線ではどのように映るのだろうと、批評をお願いした次第です。
     したがいまして、本作の改稿は予定しておりません(するとすれば、ダンジョンを失った世界で、コーザたちがどのように生きていくのか、という番外編を描くときになるでしょうか)。
     無論、このことが、ただちに氏の批評を無価値とするわけではないことは、如上のとおりです。大変お世話になりました。

     お礼を兼ねて、氏の作品を拝読しようと考えております。
     近況ノートに一筆入れますので、注意点等があればお願いします。