第100話 世界の深層に住まう妖精の王。
戦うという考えは、たとえスキルストックが残っていたとしても、コーザにはなかったことだろう。フレデージアとの戦闘とは違って、
全力で、ただひたすらにコーザは走る。
これほどまでに、黒緑色の世界を駆けまわるのは、いったいいつ以来だろうか。そういえば、コーラリネットで巡回車に追われた際も、今みたいにスキルの残数がなかった。どれだけ場数をこなしていても、やっていることが変わらないようでは、存外、自分はあの頃から、全く成長していないのかもしれない。
「はあ……はあ」
通路に逃げこんで、荒い呼吸をくり返す。とっさのことで、闇雲に逃げてしまった。自分の現在地がわからない。
「ルーチカ……悪いが、セーフティがどっちか探って来てくれ」
「かまわねえが、それだと俺様のスキルが回復しても、向こうに反撃できねえぞ?」
正確には少し違う。妖精は拳銃とリンクしたままで、大きく距離を取ることができない。したがって、弾数が復活しない、という表現のほうが的確だが、結論として事情が大きく変わることはない。
「大丈夫だ……。一、二発戻ったところで、どうせ倒せん」
うなずき、相棒が表へと飛びだしていく。
さっき、記憶が変によみがえったためだろうか。コーザの頭には、カタレーイナと何者かとの会話が、ぼんやりと浮かんで来ていた。
『執行者と
唐突に思い出した、不自然な過去の出来事。それが自分のものとは、到底思えない。ましてや、そんなエピソードに己の身を委ねるなんて、正気の沙汰ではないだろう。だが、ほかにやりようもないのだ。もしも、執行者と
隠れるのは不正解だ。
そう考えたコーザが壁から背を離したのは、それらが消失する直前のことだった。
びゅん。
どこまでも伸びる執行者の槍が、できあがった空間とともに現れる。もしも、あのまま体を壁に預けていれば、訳もわからぬままに胴体を両断されていた。かろうじてそれは免れたが、だからといって、攻撃を避けきれたわけでもない。利き腕を深く穿たれ、肉が削ぎ落ち、むごたらしくも骨まで露わになっていた。
「――ッ」
痛む余裕さえなかったのか、不思議と声は出なかった。
最短距離を維持し、直線に疾駆する。
向こうは地形を変化させられるのだから、通路を折れ曲がる道理はない。
やがてルーチカの声が耳に入って来る。
「相棒! こっちだ!」
ようやく、タオンシャーネの道筋に戻れたのだ。
不意に、背筋に悪寒が走り、大慌てで頭を縮めた。
それは蹴つまずいて転んだときと、同じ動作だったが、結果的には幸いしただろう。執行者の一撃は、腰部を薙ぐように振るわれていたからだ。単にしゃがんだだけでは、おそらく頭をもがれていた。
しゃくしゃく。
奇妙な音に視線をあげれば、なんと執行者の槍が、ダンジョンの壁に埋もれるようにして、軽く挟まっているではないか。向こうは地形を変更できるのに、いったいどうして……。
(なんでもかんでも、壁を取っ払えるわけじゃねえのか?)
思えば、氷結の口ぶりも、それをどこか示唆するようなものであった。
『まあ、これを使ってお前が移動するなんぞ、土台無理な話さ。期待するんじゃないよ』
てっきり、この世界を行き来するうえでの話とばかり、受け取っていたのだが、あの奸物のことだ。わかりにくい物腰で、地下と地表との往来、という意味で使っていたのだとしても、なんら不思議ではない。すでに氷結本人が、
(野郎! 知っていたなら、教えとけっつうんだ!)
この九死に一生のチャンスを、逃すわけにはいかない。
かつてないほどの速度で立ちあがり、再びダッシュをしはじめれば、視界の隅に
(よかった……)
安心したのも、つかの間の出来事だった。
通路の先で、ニシーシが尻もちをついたまま、後ずさっていたからである。
「何している! ニシーシ、早く逃げろ!」
痛む腕に無理をさせ、ニシーシを即座に抱きかかえる。
疲労はピークだ。
はたして、セーフティまで自分の体は持つのだろうか?
嫌な予感を追いやって前を向けば、そこには、別のモンスターが立ちはだかっていた。
なぜ、チャールティンがついていながら、ニシーシは、何もすることができなかったのだろう。以前に見せたみたいに、
いいや、無理だ。
こんなものを前にしては、人はだれしも動けない。おまけに、ニシーシにしてみれば、トラウマの再来にほかならないのだから、その恐怖は人一倍だろう。
骨だけの犬。
後ろ足ばかりがやたらと長いので、その顔のある位置は、地面と接する勢いだ。
無慈悲に現れては、容赦なく獲物に死を与えていく。その形は孤独か、純粋な餓死か。いずれにせよ、
前足を地に叩きつけながら、機械がコーザたちを
「決して、うちから離れるな!」
鼓舞するように、ニシーシの体を層一層強く寄せる。赤黒い点が、花を咲かせるように広がっていき、やがては空間をねじ曲げる、ワープゲートへと変化した。あらゆるものを吸い寄せる、強烈な風に抗うことはできず、コーザはニシーシもろとも、渦の中へと飲みこまれていった。
目の前が……青い。
気がついたとき、視界に映る景色は何もかもが新しかった。
黒緑色のダンジョンとは根本的に違う、青を基調とした世界。鼻をくすぐる空気には、大きな変化を感じられないので、ここが地下の世界であることに、違いはないのだろうが、こんな場所があるとは想像もしていなかった。
いったい、ここはどこなのか?
そう思って辺りを見回せば、近くに裸足でたたずむ人の姿があった。
燃え盛るような濃い赤色の瞳。
思わず、フレデージアを想起して身構えるが、順序が逆だ。短い金色の髪は、妖精王本人であることを、雄弁に物語っている。
何の冗談だと言うのか。
行き場のない怒りと失望とが、意味もなく胸中で肥大していくが、それをカタレーイナにぶつけるのは、筋違いというものだ。第一、ニシーシはコーラリネットに迷いこむ過程で、カタレーイナには会っていない。
妖精王のほうも、コーザの来訪は、全く予想していなかったのだろう。しばらくは、驚きのあまり目を丸くしていたのだが、やがてニシーシに気がつくと、そちらへと小走りで駆け寄っていった。だが、動きなれていないのか、その途中で派手に転んでしまう。
「おい……」
大丈夫かと声をかけるが、妖精王はコーザなど気にせず、一直線にニシーシへと向かう。その勢いに任せて胸に飛びこむと、ニシーシのことを力いっぱいに抱きしめた。どうしてそのようなことをしたのかは、明白だろう。コーザは妖精王に、待ち人を連れていくと約束しているのだから。
開いた口が塞がらないと、そう言わんばかりに放心する、チャールティンを無視し、コーザは恰好のつかない台詞を、つぶやかざるをえなかった。
「悪いが、そいつはペルミテースじゃない。……人違いだ」
「そうですか……。では、あなたが」
コーザのほうを振り返ったカタレーイナが、愛する人へと向けるための、柔和な笑みを見せていた。
「ようやく会えましたね。ペルミテース。ずっと……ずっと、あなたを探していました」
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