第99話 執行者

 ミージヒトの遺体を覆っていた純石じゅんせきは、ニシーシとチャールティンとによって、直前に加工されたものである。

 走査員スキャナーしかり、生きている人間の所有物は、探索の対象にはならないが、それが死体ともなれば話は変わる。当然、その亡骸が元の形を保つ保証は、どこにもない。モンスターとは異なり、死亡した人間は、ダンジョンが回収するうえで、直接的な対象にこそなっていないが、それでも形見を拾える期間というのは、極めて限られた長さしかないのだ。

 やって来たフレデージアを前にし、チャールティンは、相棒を庇うように腕をいっぱいに広げるが、虚しいかな、妖精の体では一切の意味も持たない。懸命に頭を働かせるチャールティンに対し、ニシーシは首を横に振ると、顔もあげずに口を開いていた。


「ごめんなさい……。僕が言えたことではないのかもしれません。でも! それでも……あなたには、何よりも先にしなくちゃいけないことが、あると思うんです」


 ミージヒトの遺体を、そのままにしておいてはいけない。そのための棺である。

 どうして純石じゅんせきで包まれているのか。その理由を理解したとき、フレデージアはようやく大粒の涙を零した。今になって、互いに慕っていた相棒が、亡くなってしまったという事実を、受け止めることができたのである。

 流れ落ちる涙はそのままに、フレデージアが純石じゅんせきに触れる。機械に荒らされないようにするためという、当初の目的を果たした棺は、にわかに弾け飛ぶようにして消えた。力任せに砕いたのではない。チャールティンが雲の根ジオメトリーを使ったわけでも、自然に崩れたのともまた違う。それは触れた瞬間に、消滅したのである。

 ごまかしようもないほどにまで、超常の権化となったフレデージアが、相棒の亡骸を軽々と持ちあげ、ゆっくりとその場から歩きだす。


「ミーヒ……。こなたの愚かさを呪ってください……。ペルミテースの代わりに、ミーヒがこなたを」







 通路を折れ曲がったコーザの目に、勢いよく飛びこんで来たのは、散点する血だまりであった。まさか、自分たちと同じような決闘が、あったわけではあるまい。その原因となった機械は見あたらないが、肝心な人間のほうについても、いまひとつ目にできていない。

 ふと、血の跡が増えた。

 それはコーザのほうに近づくようにして、ぽたぽたりと、赤い液体が滴り落ちて来ているのだ。

 だが、その正体は依然としてつかめない。何もない空間から、突如として鮮血が垂れているようにしか、見えないのである。

 怪しむコーザの眼前で、いきなり人が出現した。恐れていたことに、それは見紛うことなくゲゾールである。


「おい! 大丈夫か!?」


 慌てて駆け寄り、傷口を見やるが、そんなことをせずともわかる。瀕死の重傷だ。


(透明化のスキル……。これでモンスターから逃げていたのか)


 遅れて現れた技の担い手は、わずかに悲しむように眉をひそめた。


「許せ、ゲゾール。某の力不足だ」


 ビジネスライクな関係を、築いていたゲゾールにとって、その発言は意外なものだった。ゆえに、目を丸くし、次いで、笑い飛ばすように相好を崩す。


「気にするな。……世話になったぜ、ツェミターヴ。もう行け。どうやら、俺はまだ、こいつと話をせにゃならんらしい」


 礼を言うようにうなずいた妖精が、瞬く間にその場から飛び去っていく。


「何にやられた!?」


 コーザの質問には答えない。それどころか、ゲゾールのほうから、却って目配せを返されてしまう。聞きたいのは、本当にそんなことなのか――と。


「俺はずっと……コーザ。お前に真実を突きつけてやろうと、そう思いながら生きて来た。それが、ゲホゴホッ……俺なりの復讐だった」


 咳とともに散った血しぶきが、相対するコーザの顔にまで跳ねる。

 拭い、手についた緋色を凝視すれば、その鮮やかさに、どこかで忘れていた記憶を、無理やり思い出されるような、そんな奇妙な感覚に陥った。

 ゲゾールがつづける。もはや、その目にコーザは映っていない。


「だが……地下での暮らしが、次第に楽しくなった。ゲフ……。ろくでもない俺が、ここでは、ふつうになれた、気がした。……今じゃ……あいつらよりも、大事な仲間が……いる」


 脈絡のない会話。

 何を話しているのか、いまいち要領を得ない。己の過去でも語っているというのか? それも確かに大事なことだが、遺してくれねばならない情報が、もっとほかにあるだろう。


「そんなことはどうでもいい! 時間がないんだ、教えろ! ゲゾール! ペルミテースはいったいどこにいる!?」


 現実に引き留めるように、ゲゾールの腕を強く握り締めながら、コーザは何度も叫んだが、その声色に変化が訪れることはない。


「ペルミ……テス。ふっ……コザ、お前……まだ、そんなこと……言てたのか。知らなくて……いいんだ。お前が……」


 その指が、語りかけるようにコーザを示したとき、相棒のルーチカが、切羽詰まった調子で大声をあげていた。


「相棒! どうやら、それどころじゃないみたいだぜ……。お出ましだ!」


 腹立たしさを抑えきれず、ルーチカを睨みつけるように顔を向ければ、その先に見えたのは、ゲゾールに重傷を負わせたと思わしき、モンスターであった。

 執行者。

 全身を黒で染めた、同族さえも容赦なく刈り取る、機械じかけの騎士である。殺戮の限りを尽くすモンスターを前にしては、選択肢などあってないに等しい。


「ゲゾール! ゲゾ……」


 叫んだ声はすぐにしぼんでしまう。すでに、この世の人間でなくなったことが、明らかだったからだ。


「クソがぁああああ!」


 その咆哮が合図となった。

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