第95話 ニシーシの選択
『あなたの家族を、イトロミカールの人々までもを、巻きこんでほしくないですの! お願いよ、ニシーシ。もうこれ以上、わたくしに二度と無茶な心配をかけないで』
チャールティンの台詞にはつづきがあった。曰く――。
「ただ、それでもニシーシが、カタレーイナに会いたいと願うのでしたら、わたくしはあなたに選択肢を用意しましたの。選びなさい――コーザを殺してすべてを忘れ、今までのように、イトロミカールで幸せに暮らすのか。それとも、ミージヒトのほうを亡き者にし、妖精たちの運命を知るか。……どちらの未来を選んでも、わたくしがあなたを、心から愛していることだけは、覚えておいてほしいですの。たとえ、どれほどわたくしが儚い存在だったとしても」
マーマタロが会話に参加したのは、このタイミングであった。
「待て、チャールティン。お主、いったい何を考えておる?」
「考えている? いやですわ、マーマタロ。わたくしは、そこまで無計画な妖精ではありませんの。すでに手は打ってありますわ。わたくしがしたのは――」
ニシーシを透明人間にすることである。
※
先に放たれたのは、コーザの弾丸であった。
これは、情報屋の銃から射出した
『心配すんなよ。だれかに譲ったときも、撃つかどうかの決定権は俺様にあるんだ。いざとなれば、破棄することもできるしな』
では、それを絶妙なバランスで、支えた場合はどうなるのか。端的に言えば、引き金を動かし、発砲可能な状態にした拳銃を、そのまま放置することも可能となるだろう。スキルの発動を我慢させられるのだ。
タイムラグ。
不発ではなく、薬莢の破棄という別の方面からも、阻止するためのアプローチができる、
「もう……限界だ!」
ずどん。
ルーチカの悲鳴とともに、空中をさまようコーザの拳銃が火を吹く。
そうして、つま先を射貫かれたミージヒトは、訳もわからないままに足の動きを緩めた。その時点ではまだ、転ぶことなく、平然と走っていたのであるから、ミージヒトもチャールティンに劣らず、多分に化け物であろう。
だが、一瞬とはいえ、動きを鈍らせたこともまた、否定できない事実である。
そのわずかな時間は、今か今かと機を狙っていた妖精にとって、あまりに十分すぎるものだった。
己の足を打ち抜いた弾丸が、どこから射出されたのかを理解したとき、ミージヒトの背中には、マーマタロのスキルによって、大きな風穴があけられていた。ニシーシが拳銃のトリガーを引いたのである。
「ミーヒ!」
錯乱しながら、フレデージアがミージヒトへと駆け寄る。
並外れた気力のため、かろうじて絶命は免れたが、もはや一刻の猶予もないことは、火を見るより明らかであった。
何が起こったのかは、すぐに理解した。
鬼の形相で振り返りながら、背後を睨みつけるミージヒトだったが、その口元には、どこか微苦笑のようなものも見受けられる。完璧なる敗北に、ある種の清々しさを感じていたのである。
「そうか……。お前があのとき、本当にしたかったのは、自分らを、イトロミカールから遠ざけることだったか……。やられたな」
「いや! ミーヒ、もう喋らないで!」
「残念ですが、わたくしのことをニシーシではなく、自分の味方だと誤認した時点で、あなたの負けは決していますの」
ニシーシがマーマタロに頼みこめば、おのずとパートナーの存在は、周囲に知れ渡ってしまう。すべての妖精が、コーザに味方しているわけではないのだ。たとえ、セーフティの中へと入って来ずとも、それを知ることは容易であろう。だが逆に、その間にイトロミカールを離れてしまっては、もはや相棒の存在は見えなくなる。仲介人たちと、一緒に行動したほうが安全である以上、ミージヒトといえども、コーザから離れすぎるわけにはいかない。結果として必然的に、イトロミカールで情報収集に励むことは、できなくなるのである。
言い換えるならば、マーマタロに相棒がいることを知られるのは、そのときだけなのである。唯一のタイミングを失したミージヒトたちに、ニシーシが本命であるのを、見抜ける理由はなかった。チャールティンは、それを狙ったのだ。そして、その奇策は完全に成功する。それぞれの思惑が、複雑に絡みあう場面において、ほんのわずかな時間で、チャールティンは己が知性のみを頼りに、すべてを強引にねじ曲げたのだ。そのうえでなお、最終的な決定権を、ニシーシに委ねられるようにしたのだから、紛うことなく常軌を逸している。
怪物。
この場にいる者の中で、その行動を完全に理解できたのは、だれ一人としていなかった。
しかし、それは同時に、ニシーシに拳銃を取らせる結果にもなる。その顔に浮かんだ悲痛な表情を、ミージヒトは目ざとく見逃さない。どうせ助からないことだけは決まっているのだ。これ以上、負の連鎖をつなげる必要がどこにある。
倒れたこんだミージヒトが、合図するようにコーザへと目を向けた。
「どうした……? 自分はまだ……生きている、ぜ」
意図に気がつき、すぐさまコーザも
それだけは避けねばならない、なんとしてでも。
身を挺して止めようとするフレデージアを、力強くはね飛ばし、コーザは、ミージヒトの首に短刀を突き立てていた。まもなく、その目から光が失われる。
「見ろ、ニシーシ。うちが刺した短刀が、息の根を止めたんだ。ミージヒトを殺したのはお前じゃない、うちだ! いいな、ニシーシ? そこだけは履き違えるな! お前はうちを救っただけ。命を奪ったのはうちのほうだ!」
ぺたり。
支える力をなくしたフレデージアの体が、にわかに膝から崩れ落ちる。
「ミ……ヒ」
虚ろな目が、ミージヒトの遺体を捉えたまま、決して放そうとしなかった。
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