第95話 ニシーシの選択

『あなたの家族を、イトロミカールの人々までもを、巻きこんでほしくないですの! お願いよ、ニシーシ。もうこれ以上、わたくしに二度と無茶な心配をかけないで』


 チャールティンの台詞にはつづきがあった。曰く――。


「ただ、それでもニシーシが、カタレーイナに会いたいと願うのでしたら、わたくしはあなたに選択肢を用意しましたの。選びなさい――コーザを殺してすべてを忘れ、今までのように、イトロミカールで幸せに暮らすのか。それとも、ミージヒトのほうを亡き者にし、妖精たちの運命を知るか。……どちらの未来を選んでも、わたくしがあなたを、心から愛していることだけは、覚えておいてほしいですの。たとえ、どれほどわたくしが儚い存在だったとしても」


 マーマタロが会話に参加したのは、このタイミングであった。


「待て、チャールティン。お主、いったい何を考えておる?」

「考えている? いやですわ、マーマタロ。わたくしは、そこまで無計画な妖精ではありませんの。すでに手は打ってありますわ。わたくしがしたのは――」


 ニシーシを透明人間にすることである。







 先に放たれたのは、コーザの弾丸であった。

 これは、情報屋の銃から射出した火の弾ショットではない・・・・。驚くべきことだが、それは最初に放り投げられた、コーザ愛用の拳銃から飛びだした、弾丸だったのである。

 莢の炎カートリッジによって生じた火の弾ショットが、ルーチカのストックに依存しないことは、くり返し見て来たとおりだ。そして、スキルというものが、本質的に妖精の管理下にあることもまた、疑いようのない事実である。それらは、以前にルーチカが話した台詞に、次のように集約されている。すなわち――。


『心配すんなよ。だれかに譲ったときも、撃つかどうかの決定権は俺様にあるんだ。いざとなれば、破棄することもできるしな』


 では、それを絶妙なバランスで、支えた場合はどうなるのか。端的に言えば、引き金を動かし、発砲可能な状態にした拳銃を、そのまま放置することも可能となるだろう。スキルの発動を我慢させられるのだ。

 タイムラグ。

 不発ではなく、薬莢の破棄という別の方面からも、阻止するためのアプローチができる、莢の炎カートリッジならではの使い道である。


「もう……限界だ!」


 ずどん。

 ルーチカの悲鳴とともに、空中をさまようコーザの拳銃が火を吹く。

 そうして、つま先を射貫かれたミージヒトは、訳もわからないままに足の動きを緩めた。その時点ではまだ、転ぶことなく、平然と走っていたのであるから、ミージヒトもチャールティンに劣らず、多分に化け物であろう。

 だが、一瞬とはいえ、動きを鈍らせたこともまた、否定できない事実である。

 そのわずかな時間は、今か今かと機を狙っていた妖精にとって、あまりに十分すぎるものだった。

 己の足を打ち抜いた弾丸が、どこから射出されたのかを理解したとき、ミージヒトの背中には、マーマタロのスキルによって、大きな風穴があけられていた。ニシーシが拳銃のトリガーを引いたのである。


「ミーヒ!」


 錯乱しながら、フレデージアがミージヒトへと駆け寄る。

 並外れた気力のため、かろうじて絶命は免れたが、もはや一刻の猶予もないことは、火を見るより明らかであった。

 何が起こったのかは、すぐに理解した。

 鬼の形相で振り返りながら、背後を睨みつけるミージヒトだったが、その口元には、どこか微苦笑のようなものも見受けられる。完璧なる敗北に、ある種の清々しさを感じていたのである。


「そうか……。お前があのとき、本当にしたかったのは、自分らを、イトロミカールから遠ざけることだったか……。やられたな」

「いや! ミーヒ、もう喋らないで!」

「残念ですが、わたくしのことをニシーシではなく、自分の味方だと誤認した時点で、あなたの負けは決していますの」


 ニシーシがマーマタロに頼みこめば、おのずとパートナーの存在は、周囲に知れ渡ってしまう。すべての妖精が、コーザに味方しているわけではないのだ。たとえ、セーフティの中へと入って来ずとも、それを知ることは容易であろう。だが逆に、その間にイトロミカールを離れてしまっては、もはや相棒の存在は見えなくなる。仲介人たちと、一緒に行動したほうが安全である以上、ミージヒトといえども、コーザから離れすぎるわけにはいかない。結果として必然的に、イトロミカールで情報収集に励むことは、できなくなるのである。

 言い換えるならば、マーマタロに相棒がいることを知られるのは、そのときだけなのである。唯一のタイミングを失したミージヒトたちに、ニシーシが本命であるのを、見抜ける理由はなかった。チャールティンは、それを狙ったのだ。そして、その奇策は完全に成功する。それぞれの思惑が、複雑に絡みあう場面において、ほんのわずかな時間で、チャールティンは己が知性のみを頼りに、すべてを強引にねじ曲げたのだ。そのうえでなお、最終的な決定権を、ニシーシに委ねられるようにしたのだから、紛うことなく常軌を逸している。

 怪物。

 この場にいる者の中で、その行動を完全に理解できたのは、だれ一人としていなかった。

 しかし、それは同時に、ニシーシに拳銃を取らせる結果にもなる。その顔に浮かんだ悲痛な表情を、ミージヒトは目ざとく見逃さない。どうせ助からないことだけは決まっているのだ。これ以上、負の連鎖をつなげる必要がどこにある。

 倒れたこんだミージヒトが、合図するようにコーザへと目を向けた。


「どうした……? 自分はまだ……生きている、ぜ」


 意図に気がつき、すぐさまコーザも純石じゅんせきの短刀を抜いていた。これで人を殺めるのは二度目になる。そこにためらいがないわけではなかったが、もたもたしていると、ニシーシが、その責務を追う羽目になってしまう。

 それだけは避けねばならない、なんとしてでも。

 身を挺して止めようとするフレデージアを、力強くはね飛ばし、コーザは、ミージヒトの首に短刀を突き立てていた。まもなく、その目から光が失われる。


「見ろ、ニシーシ。うちが刺した短刀が、息の根を止めたんだ。ミージヒトを殺したのはお前じゃない、うちだ! いいな、ニシーシ? そこだけは履き違えるな! お前はうちを救っただけ。命を奪ったのはうちのほうだ!」


 ぺたり。

 支える力をなくしたフレデージアの体が、にわかに膝から崩れ落ちる。


「ミ……ヒ」


 虚ろな目が、ミージヒトの遺体を捉えたまま、決して放そうとしなかった。

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