第29話 対価

「久しぶりだな、氷結・・


 正確な呼称でないことは、そちらも同じだろうと、そう言わんばかりにコーザは、あだ名を強調してみせる。名無しという皮肉に比べれば、それはいささか弱い表現だったが、それでも氷結はコーザの反応に、一応の満足を覚えたらしい。


「ふっ、まあいい……。その坊やを送り届けるため、ワープゲートを使いたいんだろう? 話は聞いているさ」

「耳が早いことで」


 おおかた、コーラリネットでのやり取りを、配下のだれかが耳にしていたのだろう。特に気にすることもなく、コーザは応じた。平然と対応できたのは、眼前の人物であれば、そのくらいはやりかねないと、そのように強く確信していたからだ。


「好きに使ってもかまわないが、そのぶんの対価はきっちりといただくよ」


 妖艶と形容するには、いささか怪しすぎる手つきで、氷結はコーザの頬をゆっくりと撫でる。即座に、不快感がコーザの全身を駆け巡ったが、相手は格上だ。間違っても、顔に出すまではしない。


「ああ、わかっている。初めから、そのつもりさ。うちが払うよ。……ただし、こいつを無事に送り届けてからだ。そこだけは譲れねえな」

「ほう……。別に、あたいはそれでもかまわないぜ?」


 耳を疑いそうになった。

 コーザの夢がなんであるかは、氷結も承知している。したがって、コーザの戻って来るという発言が、単なる方便であることくらい、氷結ならば気がついているはずなのだ。それなのに、なぜ、氷結はコーザを素通りさせようというのか。それとも、出口なぞ見つかるはずがないと、そう高をくくっているのか? たしかに、それならば、やがてはコーザも、コーラリネットに戻らざるをえないだろうが……。

 真意を探るようにして、コーザが疑いの目を向けてみれば、氷結は薄い笑みを浮かべながら、見返して来るだけだった。


「ただし、自分のケツは、手前テメエで拭わなきゃいけねえよなぁ? 坊やにもちゃんと払ってもらうぜ。……まさか、ワープゲートを使うのが、コーザ一人きりなんてことはないんだろう? 人数ぶんの対価は収めてくれないと」

「それも帰ったら、うちが――」

「いいや、ダメだ。本人に代わって別の者が払う、なんてことを認めちまったら、そんな対価も用意できない弱いやつに、通るのを許すことになるからねえ。それはメンツの問題で容認できないよ。……お前の後払いは認めてやるんだ、そっちの坊やは先に出しな。だって、坊やはもう、こっちには戻って来ないんだからね。お前と違って」

「……。待ってくれ。支払うもなにも、こいつは……」

「ちょっとしたものを見せてくれるだけでいいさ。あたいも気になって、気になって仕方がないんだよぅ。なあ、コーザ? コーラリネットに迷いこんで来るような坊やが、どうして未踏破領域には、一人で向かわないんだろうねぇ? 一人では行けないからなのかなぁ? 気になっちゃうよねぇ。いったい、どんなスキルなんだい? 意地悪しないで、ちょいとあたいにも見せておくれよぅ」


 粘っこく、絡みつくような声音で、氷結はコーザをいたぶった。お気に入りの人物には、無性に嫌がらせをしたくなってしまうのが、氷結という人間の性格だった。

 最初からこっちが本命だったのかと、コーザが胸中で毒づいたのは、言うまでもないことだろう。

 氷結という名に相応しい藍色の長髪が、ゆらゆらと怪しく揺れた。

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