第3話 フィリップス


 ランドンのリグビー総合病院へはやっぱり鉄道で向かった。交通費は大したことなかったが、初めて行く大きな病院にちょっと緊張していた。

 駅から総合病院までの間には少し距離があって、私は機械馬車を使うかどうか迷った。停留所の手前まで来て立ち止まる。しかし長年の節約癖が耳元でやかましく「金を使うな」と言ってきたので、仕方ないな……と思っていたら、いきなり一人の紳士に声をかけられた。

「失礼レディ。グレイコートの方に行くのですが持ち合わせが足りなくて。もし同じ方向でしたら相乗りしませんか? 運賃の七割を負担しますので」

 グレイコートはリグビー総合病院のある区だ。奇遇……だけど、昨日のことがあった。男性を信用できない。すると私の顔色を見たのか、紳士が訊ねてくる。

「もしかして僕が信用できない?」

 紳士の言葉に沈黙で答える。

「じゃあこういうのは?」

 紳士は鮮やかな手つきで懐に手を入れると銃を一丁取り出した。いきなりの武器に私は仰け反って驚いてしまった。

 しかし紳士はシリンダーを外して中を見せる。

「弾は入ってる。引き金を引けば撃てます。これをあなたが持って相乗りというのは?」

「そ、そんな物騒な……」

「そもそも男に声をかけられること自体が物騒かも?」

「く、空砲かもしれませんわ!」

「では撃ちますか?」

 紳士はいきなりこめかみに銃を当てた。パフォーマンスにしては行き過ぎだ。

「い、いえ、さすがに……」

 すると紳士はまたも笑った。

「分かりました。ではこうしましょう。機械馬車の非常ベルの近くに座ってください。何かあったらそれを鳴らして」

 機械馬車には何かトラブルが起きた際に助けを求める非常ベルの装着が義務付けられている。最悪襲われてもそれを鳴らせば何とかなるかもしれない。この男を信用できるかは別として、ひとまず政府の認めたベルなら信用できる。

 私が肯定の意味で黙っていると、紳士はにっこり笑って手を挙げた。

「では馬車を止めましょう。おおい! おおい!」

 紳士の三度目の呼びかけで、一台の機械馬車が停まった。馭者が「テディートン水門までですぜ」とつぶやくと紳士が「構わない。グレイコートまで乗せてくれ」と告げて、私に非常ベル側の席を示した。勧められるままに、座る。

「突然呼び止めて申し訳ない。驚かれたでしょう」

 道中、否応なく紳士と会話になる。妙に人懐っこいというか、心の垣根を平気で越えてくる人のようだった。しかし彼の上着の下、ちらりと見えたベストに目が行き、驚いた。虎、鷲、蛙、鮭。アルドリッジの四つの寮を示す動物たち……! 

「アルドリッジの卒業生ですか?」

 紳士は笑った。

「お気づきで?」

「私も卒業生ですわ」

「それは奇遇だ」

 前にも話した通り、アルドリッジには「とりあえず」通う子が多い。一定の割合で転校する子がいるので、アルドリッジを卒業する子たちには妙な連帯感がある。この時も私と紳士の間には、アルドリッジの卒業生としての妙な一体感が生まれてしまっていた。

「寮はどちら?」

 私の問いに紳士は答える。

「ノウスレディ」

 私は笑う。

「ウェストボーイですわ」

「優しい子が多い寮だ……」

「まぁ、そんな」

 実際のところ、それぞれの寮には個性があった。ノウスレディはリーダーシップがあり、イーストガールは腕白お転婆、サウスマンは本の虫、ウェストボーイはのんびりさん。まぁ、多少のばらつきはあれども、だいたいこんな風に寮の特色を表すことが出来た。

 にしても二日連続でアルドリッジの卒業生に会うとは。私は昨日の出来事を紳士に話した。

「昨夜イーストガール出身のオコンネル大佐にお会いしましたわ」

「ああ、あいつか」

 紳士はつまらなそうに首を傾げた。

「脳みそどころか骨まで筋肉でできてる奴だな」

「ご存知なの?」

 すると紳士が笑った。

「そりゃまぁ有名人だし」

「そういう意味ではなくって、お知り合いなのか、親しい間柄なのか、という……」

 紳士は悪そうな顔をした。

「僕はあいつが書いたラブレターの目録を作れる男だぜ」

 はぁ。

 どういうことだかよく分からないが、とにかく親しい関係、ということらしい。

 ピンと来ていないことが伝わったのだろう。紳士はさらに続けた。

「オコンネルを手ひどく振ったキンバリー・フライ嬢についてご存知ない? 彼女今外交官やってるんだけど」

「外交官をやってるキンバリーさんって、キンバリー外交官? それってもしかしてあの……」

 彼女のことはこの間新聞で読んだ。タルキス共和国との間で問題になっている奴隷問題について交渉を進めた女性として有名な人だ。

「歴史学のジョーンズ先生が十八歳離れた男性教師バートリッジとデキてたって話は?」

 開いた口が塞がらない。

「バートリッジ先生ってあのバートリッジ先生? 数学科の?」

「多分それだな」

「でもジョーンズ先生って存じ上げないわ」

「ああ、あの人僕の代で辞めたのかもな。それなりにお年を召していたし……」

「つ、つまりジョーンズ女史の方がバートリッジ先生より十八も年上?」

「そうなるね」

「……当時おいくつ?」

「女性の年齢については答えられないけど、バートリッジ先生は当時四十七だよ」

 いたずらっぽく笑う紳士。彼はさらにアルドリッジのゴシップを続ける。

「最終採点式間際でノウスレディが七十点儲けて逆転優勝した年のことは?」

 アルドリッジでは学祭がある。寮対抗で四日間パレードを行いその得点を集計し、どの寮が一番立派なパレードを実施したかを讃える式、最終採点式が学祭の最終日にあるのだが、その直前はいつも得点の前後がある。点は寮生の学祭期間中の生活態度や金銭管理なども加味されるので、無法者に厳しく、主体性のある学生には優しくできているのだが……それにしても七十点も? 

「七十点って何をしたら稼げるんですの?」

 最下位が頂点に返り咲くくらいの点数である。

「それがノウスレディ以外の寮で大々的な違法賭博が行われていたことが明らかになって。ほら、パレード最前列でダンスをする女子が誰か、とか、その年のパレードキング、パレードクイーンが誰か、とか。そういうことでギャンブルをしていた人たちがいたみたいで」

 それは金銭管理生活態度共に大打撃の出来事である。

「相対的にノウスレディが七十点儲かった」

「ウェストボーイの人間が賭博なんかに?」

「あの年はワルが多かったんだ。嘆かわしいことに」

 ウェストボーイと言えば、と紳士が続ける。

「寮創設者のマティーアス・ハイネマンって実は東クランフの出身だって知ってる?」

「ウェストボーイは魔法使いの寮なのに?」

 素っ頓狂な声が出る。

「魔法を使えない東クランフの人がウェストボーイ寮の創始者だったの?」

「ハイネマン自身が隠していたらしいからあまり知られていないけどね。でも彼はその飽くなき好奇心で誰よりも魔法に詳しい非魔法使いだったそうだよ」

 そんなことより、さ。

 そう、紳士が顔を寄せてくる。 

「僕が誰かご存知ない?」 

 紳士の問いに私は首を傾げる。

「存じ上げませんわ」

「ヒント。ノウスレディ寮。ヒント。アルドリッジの卒業記念品でベストが出たのはオコンネルの代だけ。ヒント。オコンネルと親しい。ヒント。月刊アルドリッジ新聞創刊者……」

 息を呑む。

「レイフ・サイラス・フィリップス?」

 三騎士の一人だ。行事ごとのフィリップス! 学校一の色男、ファッションボーイで行事という行事では必ず先頭に立って盛り上げる通称「お祭り貴公子」「道楽王子」「饗宴の帝王」……。

「何てこと! 昨日も三騎士の一人に会って、今日まで?」

「これも何かの運命かも」

 フィリップスさんがいきなり席を立って私の隣に座る。

「やんごとなき事情によりすぐにとはいかないんだが、よければ今度お食事でも。連絡先を訊いてもよろしい?」

 分かりやすい口説きだった。私は首を横に振る。

「ごめんなさい。初めてのお方にはちょっと」

 フィリップスさんはにやりと笑う。

「それでいい。変な男に口説かれるなよ!」

 と、彼の言葉を合図にしたかのように、馬車が停まった。グレイコートに着いたらしい。

「僕の名刺だ」

 フィリップスさんがカードを手渡してくる。

 日刊セブンスター新聞編集デスク編集長、とある。新聞の編集長? 

「アルドリッジのゴシップはもちろん、世の中の知りたいことがあったら何でも訊いてくれ。壁の向こうに何があるかを教えるよ。例えそれがトイレの壁でもね」

 にや、っと彼は笑ったが私はあんまり笑えなかった。フィリップスさんはそれでも悪戯っぽく笑った。

「そして幸運なことに、君はこれからもう一人の三騎士にも会う」

 馬車から降りて、私の手を取りエスコートしてくれたフィリップスさんは、満足そうにそう告げた。

「運命の歯車はしっかり噛み合っているみたいだね。君とはまた会える気がする!」

 そう、気障なセリフを吐いてフィリップスさんは機械馬車に再び乗った。「出してくれ!」。彼の声に応じて機械馬車が走り出す。もう一人の三騎士に会う? それって……と考えて思い至る。

 リグビー総合病院。

 トビー・ジャレット・リグビー。

 サウスマン寮のリグビー? 

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