武門家のお屋敷
武門ナギの実家は、海山市の中でも歴史の古い一角にある。
鎌倉時代から続く武士屋敷だ。門の前に立つだけでも威圧感があった。
深呼吸してドアホンを押し、武門家の家政婦さんに用件を伝える。
門前払いも覚悟していたけれど、意外なことに中へ通してくれた。
完璧に整えられた枯山水の庭を恐る恐る進む。
「……よく来た。まあ、座りなさい」
長身で威圧感のある男性が、応接間で待っていた。
隣にナギが座っている。
「さて。話を聞こうか」
厳格な視線にも臆さず、まず磯山が口火を切った。
「ナギ先輩は俺たちの大切な部活仲間なんです。みんな彼女を頼りにしてるんです。どうか部活の禁止を解いてくれませんか」
「駄目だ。そもそも君達は、どういう理由でダンジョンに潜っているんだ?」
「え? っと……好きですし、探索者に憧れてますし」
「その程度の理由か? 所詮、子供の遊びだろう。……遊びで命を危険に晒すな。お前たちは、ダンジョンの危険を実感出来ていないだけだ」
「っ」
磯山が言葉に詰まる。
「遊びだと思ったことはない」
僕は言った。
「子供の頃から、両親が語るダンジョンの物語を聞いて育ってきた。ダンジョンは僕の人生の一部だ。絶対に切り離せない。その僕と同じぐらい、ナギも真剣にダンジョンへ潜ってる」
「ふん。似たような事を言う。娘も真剣だと言っていたさ。口ではな」
ナギの父親は腕を組んだ。
「そこまで真剣なら、私と勝負して負けるはずがない」
「……え?」
「私は娘と勝負した。部活の許可を巡ってな。言っておくが、私はダンジョンになど潜ったことがない。レベルも1だ。スキルは〈斬撃〉一つ」
ナギはレベル21で、スキルは〈回転撃〉と〈鉄穿〉の二種。
明らかにナギへ有利な条件だけど。
「なのに、何故私に負ける? 所詮、遊びだからだ。気合が足りん。君も同じだろう」
「……」
ナギは黙って俯いている。
そういう性格だ。負けたら素直に負けを認める。言い訳しない。
……負けたら部活禁止って条件も、律儀に守るだろうな。
「分かりました。僕と勝負しましょう」
「いいだろう」
ナギの父は頷いた。
「離れに訓練場がある。君の真剣さを示してみなさい」
今の僕のレベルは21。
戦闘スキルはないけれど、流石にレベル16も差があれば圧倒的に有利だ。
でも、それを言うなら、ナギはもっと有利なはずだけど。
離れに移動している最中、ナギが僕に近づいて囁いた。
「気をつけて。お父さん、国体剣道の連覇経験者だから」
「えっ」
……レベルって、各種能力にブースト掛かるだけなんだよな。
50とか100も違えば絶対に勝負にならないけど、レベル1のオリンピック選手ならレベル20の一般人と渡り合えてもおかしくない。
全国レベルの剣道強者なら、確かにこれぐらいひっくり返せる……。
というか、レベル1でスキル持ってる時点で相当ヤバい相手だこれ。
でも、引く気はない。
僕はプロ探索者になる男だ。僕は本気だ。ナギも本気だ。
この気持ちを否定なんてさせない。
「ルールは?」
「実戦を想定する。訓練場の模擬武器だが、刃があるものと思って戦え」
「そういうことなら、少し時間をください」
畳の訓練場へ足を踏み入れる寸前で、僕は玄関へ引き返した。
色々と準備した後、鉄板入りの”ダンジョン靴”を履いて畳を踏みしめる。
畳が傷むだとかマナーだとかを気にして負けたら本末転倒だ。
「武器は好きなものを使え」
ナギの父は何も言ってこなかった。
意外なことに、訓練用武器の種別はかなり豊富だ。
ダンジョンで使われているタイプの武器はほとんど揃っている。
僕は盾と片手剣を選んだ。
移動中に嵩張るから使ってないけど、正面から戦う時は盾を使う派だ。
ナギと後輩たちが見守る中、僕は構えた。
ナギの父は木刀を正眼に構えている。
その瞬間、まるで逆風が吹いたかのように錯覚した。
……恐ろしい威圧感だ。
「始めるぞ」
「わかりました」
気合の声と共に、彼は訓練場を揺らしながら踏み込んでくる。
負けずに踏み込み、木刀を盾で受け止める。手がしびれた。
盾を壁にしながら、回り込むように片手剣の切っ先を当てにいく。
力のない剣はあっさりと払われた。
「小手ェッ!」
ガキンっ、と木刀が金属に当たる。
それでも綺麗な一撃だった。ナギの父は距離を取って残心している。
「……手甲か。だが、本物の日本刀ならば無事では済まないぞ」
「分かってますよ」
僕は懐からスキットルを取り出し、中に入れた回復薬を飲む。
一口で数千円分が飛んだ。痛い出費だ。
「でも、回復薬があれば傷は治る」
「いいだろう」
構え直す。当然だけど、剣の実力では負けている。
問題はない。これは腕比べじゃない。
僕たちが本気だとわかってもらえれば、それでいいんだ。
「はあっ!」
「ふっ!」
助走をつけて突進し、勢いのまま盾で殴りつける。
「甘い!」
「……っ!」
盾が命中すると同時に、木刀は僕の二の腕を”斬った”。
剣を持っている腕だ。実戦なら、こちらの腕は今ので落ちた。
それでも僕は止まらず、残心しているナギの父へと盾で殴り掛かる。
「無駄だ!」
「どうかな!」
盾で隠れた下半身を使い、鉄板入り”ダンジョン靴”での蹴りを放つ。
木刀が瞬き、その脚を斬った。
流石に勝ったと思ったのか、残心が緩む。
……僕は逆の脚一本で立ち、回転して盾での裏拳を放った。
「がっ!」
直撃。僕は盾を捨て、”短剣を抜いて首を切る”動きをやった。
実戦なら、これでトドメが入っている。僕の勝ちだ。
「……すでに終わっていたはずだ。手足を失えば、人間は重心のバランスを崩す。何より、猛烈な痛みがある。体の一部を失ったような状況で、まだ戦えるか?」
盾で殴られた肩を抑えながら、ナギの父が言った。
「戦いましたよ。体を食いちぎられながら、必死に。病院送りになりましたけど」
「!」
ナギの父が、わずかに目を見開いた。
「お父さん。本当だよ。私も見てたから」
「何?」
「私達がスタンピードに巻き込まれたのは、この前の海山大迷宮が初めてじゃない。一ヶ月ぐらいにも、別の事件があったんだよ」
「何故言わなかった」
「言ったら心配するでしょ、お父さん」
「当然だ!」
ナギの父が声を荒げた。
「……彼が体を食いちぎられながら戦う場面を、お前は見たのか?」
「見た。まだ頭にこびりついてる」
「それでもダンジョンに潜りたいのか」
「うん。許可を賭けて勝負して負けたのに、まだ潜らせてって言うなんて厚かましいかもしれないけど、でも……」
ナギは瞳を輝かせた。
「ダンジョンが、私を呼んでる」
ん?
なんか、ちょっと雰囲気が変な気がする。
何だろう?
「……私が思っていたよりも、ずっと本気なんだな。娘にしろ、君にしろ。ならば、仕方がないか」
僕とナギを見比べて、ナギ父がため息をついた。
ナギの変化に気づいた様子はない。
僕の気のせいだったかな?
「好きにしろ。だが、絶対に無茶はするな。……私は大学生の時、個人戦でも大学の団体戦でも県対抗の団体戦でも勝利を重ねたが、それでも通算勝率は95%程度だ。実戦ならば、二十回も戦えば一度は負けて死ぬ計算になる」
「お父さん、そういう遠回しな自慢話はいいから」
「自慢ではない。気をつけろ、と言っているんだ。お前は脇が甘いからな」
「心配いらないって! 脱出鍵もあるんだし!」
「そういうところだ。……多摩梨くん、だったか? ナギはこういうやつだ。ストッパー役は任せたぞ」
「あー……」
素直に頷かない僕を、ナギの父が細目で睨んでいる。
でも、部活に復帰するよりムルンと潜る方が効率いいし……。
学校よりダンジョンを優先したいし……。
「お父さん、ヨウ君もネジ飛んでるタイプだよ? 向いてないって」
「いや、別に僕そんなことないけど」
「大怪我したのにもうダンジョン潜ってるじゃん」
ま、まあ。客観的に見れば、確かにそこはちょっとヤバいかも。
「……戦ってみた感触とも一致している。少し人間味が無いというか、変なところはあった。だからこそ見るべき所のある男なのは確かだが」
評価されてるんだかされてないんだか。
「では、後輩の君達に頼むしかないようだ。娘が暴走したら、殴ってでも止めるんだ。いいな」
だいぶ威圧的に凄まれて、磯山たちは首をカクカクしている。
「さあ、今日は帰りなさい。あまり遅くなっても親御さんに心配をかける」
とりあえず、ナギがダンジョン潜るのを禁止された件はこれで落着だ。
部活の皆でぞろぞろと門へ向かう。豪邸や怖そうなナギ父にビビっていた皆も、帰れる安心感から気が大きくなって、ひそひそと笑い合っている。
「皆、ありがとうね。私のために来てくれて」
門まで付いてきたナギが、深く頭を下げた。
「特にヨウ君! 勝負とか言い出すんだからびっくりしたよ、相変わらずフワっと地雷原に走ってくよね! ほんっと危ない男なんだからもう」
「本気じゃないって言われたら、黙ってるわけにもいかないしさ。じゃ」
さっさと帰ろうとした僕の背中を、ナギが掴んだ。
「……この流れなんだから、もちろん明日から学校には来るよね?」
「えっと、まあ、暇になったら」
「えー。私よりあのスライムの娘がいいの? ……って、ヤキモチ焼いてる恋人じゃないんだから!」
「自分で言って自分でツッコミするなよ。別にそういう対象じゃないし」
「ナギ先輩! あのスライムはかなり愛されていますよ! ちゃんと愛をもって飼っていない限り、ああもお肌ぷにぷにの美しいスライムにはならないっす!」
「確かに、あの娘は手触りよさそうだったな……負けても仕方がないか! たぶん世界のどこかには魔物と結婚できる国もあるだろうし! 合意の上でなら、私はぜんぜんそういうの良いと思うな!」
「違うっての! 磯山、お前それ誤解を招く表現すぎない!?」
「何が誤解ですか! 美しい物に愛を注いで何が恥ずかしいんすか!?」
「もう少し文脈とか空気とか読んでくれよ!」
「愛は空気に勝るっす!」
「僕の言ってることちゃんと伝わってる!?」
このスライムオタク、空気が読めない……!
「いやあ、学校の皆にも言うべきかなー! ヨウくんがスライムと熱愛してるって言っちゃおうかなー!」
「根も葉もない話を広めるなよ!? 卑怯だぞナギ!?」
「冗談だって、冗談。……冗談かなー?」
「ぐぐぐ……し、仕方ないな! 学校と部活には行ってやるから!」
「あ、ほんとに冗談だからね。嫌なら別にいいから」
少しやりすぎたと思ったのか、ナギがバツの悪そうな顔をした。
「なら行かない。じゃ、また」
「えっそこで塩対応するの? もー」
悪いけど、今は本当に優先するべき事がある。
ダンジョンコアを吸収できるんだし。勉強とかやってる場合じゃない。
思いっきりレベルを上げまくって強くなれる機会なんだ。活かさないと。
「まあ、学校よりダンジョンなのも仕方がないか。……私達の夢だもんね」
「ああ」
子供の頃からずっと、僕は一流の探索者になるのが夢だった。
ナギだって、それは同じだ。
僕たちは、”ダンジョン不況”の時代に生まれた。
迷宮が出現しはじめた初期の、スタンピードで魔物が地上に溢れてしまっていた混乱の時代ほどではないけれど、まだ世界の物流は止まっていて、経済も右肩下がり。
飢饉と不況と紛争の時代。ニュースは毎日暗い話題ばかり。
……まだ物心つく前だけど、それでもあの空気感は体に染み付いている。
その状況を変えたのは探索者たちだった。
災いの元でしかなかったダンジョンは”一般人でも立ち向かえるもの”になり、やがて”利益を生み出して経済を動かすもの”に変わっていった。
世界を覆っていた暗い雲を払い、明るい好景気の時代を作ったのは探索者だ。
僕は探索者になるのが夢だ。ナギも探索者になるのが夢だ。
みんな、多かれ少なかれ、心の底では探索者になることを夢見ている時代なんだ。
危険な仕事だけれど、今の平和と暮らしを作っているのは探索者だから。
「……よかった。本当に、よかった。諦めなきゃいけないのかなって……何でこんな馬鹿な勝負したんだろうって! 私、馬鹿だった! 間違っても、負けたらダンジョン禁止でもいい、なんて言うべきじゃなかった……!」
彼女の瞳が潤み、涙が夕焼けにきらめいた。
「ありがとう……ヨウくん! 君のおかげで、私はまだ夢を追える!」
ちょっとこそばゆいけれど、僕は頷いた。
「もっと強くなろう! 二人で!」
「お互い頑張ろう。今年の間に結果を出さなきゃ。さすがに、三年になってからダンジョン学園に編入するのは難しいだろうしね」
ダンジョン学園に編入できなくても、別にプロは目指せるけど。
ただのプロじゃなく一流を目指すんなら、やっぱり避けられない道だ。
……頑張らないとな。
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