海山大迷宮 一層
海山大迷宮は、その名の通り大規模な迷宮だ。
出入り口のダンジョンゲートも大型だし、入ってすぐの場所にはちょっとした店やトイレまで存在している。
普段は活気がある場所だけど、今はみんな避難しているから誰もいない。
ぴとぴと水っぽい足音を立てながら、ムルンが周囲を見回している。
明らかに警戒した様子だ。彼女の半透明でぷにぷにした髪がピンと立ち、扇風機みたいに左右へ首を振っている。
何となく動きが硬い。緊張してるみたいだ。
「大丈夫だよ、ムルン。一層には弱い魔物しかいないから」
「ぽ……」
今更スタンピードが始まったりしなければ、特に危険はないはずだ。
でなきゃさすがにイルティールも許可しないだろう。
「もしもし、ナギ? ダンジョンの入り口は何も異常がないみたいだ」
「わかった。私達が居たのは第一層だから、本来ならすぐの距離だよ」
電話が繋がっているのも、それを裏付けている。
もし単純に構造が変わっただけなら、すぐに合流できるはずだ。
「今からエントランスを抜けて一層に行く。待ってて、ナギ」
広い空間の先に、人工的な四角い通路があった。
このダンジョンはカクカクしている。何十年前の古いRPGみたいな雰囲気だ。
「あのさ、ヨウくん。さっき、ネットで情報を調べてたんだけど」
電話の情報に耳を傾けつつ、静かに進む。
「このスタンピードが起きる前に、変な耳の異世界人がダンジョンに潜ってたんだってさ。もしかしたら、やばい異世界人が関わってる可能性ってない?」
……この世界に来た異世界人は、皆ダンジョンに故郷を滅ぼされた人々だ。
大半は善良だけれど、ストレスで歪んだ異常者も少なくはない。
でも、ナギの言ってる相手って多分……。
「変な耳の異世界人? それイルティールじゃないか……?」
「誰? 変な過激派の人?」
「そうかもしれない」
「えっ何でそんな人と知り合ってるの?」
「この前の事故でさ……ほら、さっき話してた相手だよ」
これもイルティールが何かやった結果かも、って想像はできなくもない。
以前にもなんか迷宮を暴走させてスタンピードを起こしてたし。
「あ、ちょっと待って。ヘッドセットに変える」
スピーカーモードで通話して魔物に音を聞かれても困る。
僕は片耳に安物ヘッドセットを着けた。これなら電話の音は漏れない。
「よし、一層に入ったよ」
僕は入り口を振り返る。特に出口が消えたりはしていない。
ムルンと一緒にじわじわ通路を進み、角から先を覗いた。
狼っぽい魔物が群れていた。
落ち着いた様子で、スタンピードで凶暴化してる雰囲気はない。
「ムルン、一撃目は君に任せるよ。テイムの発動を防いでおきたい」
この前の狼少女みたいに、また魔物の少女が増えても困る。
今の所、そのへんの魔物が少女化したのは僕が一人で倒した時だけだ。
ムルンに一撃目を入れてもらえば、僕のテイムが発動する心配はない。
「ぽこ!」
ムルンが触手を伸ばし、群れをまとめて薙ぎ払った。
威力はあまりない。でも、これでテイムしてしまう心配はなくなった。
「さあ、この剣を試すぞ!」
ボスドロップの片手剣を抜き放つ。
しゃりん、と軽快な音がして、鋭い刃が露わになった。
見るからに質のいい剣だ。
「はっ!」
飛びかかってくる狼の魔物をかわしながら、鼻先へ一撃を叩き込む。
するり、と剣が魔物を抜ける。後には赤い筋が残っていた。
「……?」
手応えがない。魔物にダメージが入った様子もない。
でも、剣で”切った”ところが赤く輝いている。
「ぽ!」
ムルンが赤い筋をなぞるように触手攻撃を放つ。
バチンッ、と溜め込まれたエネルギーが弾けた。
魔物の体が大きく割れて、残骸がダンジョンに吸い込まれていく。
「そういうやつか!」
テイマー向けのレアドロップで、こういう武器があると聞いたことがある。
攻撃した箇所を”弱点”にして、ペットに攻撃させるタイプの武器だ。
僕は一気に踏み込み、最小限の動きで狼をかわしながら弱点を作っていく。
作ったそばからムルンが攻撃を入れてトドメを刺す。
あっという間に群れは全滅した。
「いい感じだったな!」
「ぽ!」
「……ヨウくんってさ、結構独り言激しいタイプだよね……」
ヘッドセットからナギの呟きが聞こえた。
「いいだろ別に」
「うん。敵の強さはどうだった?」
「普段と変わらなかったよ」
「やっぱり?」
「これ、スタンピードが起きてるわけじゃなさそうだよね」
「ねー」
じゃあ何が起きてるんだよ、って話だけど。
僕はダンジョン研究者じゃないし。
ドロップした小さな毛皮のパッチを鞄に入れて、更に進む。
「あ、そうだ。ナギ、なにかメモれるもの持ってる?」
「学校のノートならあるよ」
「僕の道順を伝えるから、メモしておいて。それが帰り道になる」
「はいはーい」
無数に連なる角を曲がり、魔物を倒し、進む。
特に普段のダンジョン探索と変わらない。
ただ、やっぱり一層の構造は変わってるみたいだ。
元から複雑だったし、これじゃナギたちが迷うのも仕方がない。
「ん。ムルン、ストップ」
「……ぽこ?」
行く手の暗闇に、ぼんやりと赤く輝く何かが見えた。
近づいてくる。僕は逃げる道を確認してから、剣を構えて待ち構える。
徐々に人型のシルエットが浮かび上がってきた。
「む」
「ぽこ? ぽ!」
赤く輝く剣を握っていたのは、狼耳のついた少女だった。
……いや……待てよ?
「君、この前の!?」
「ああ。君か。感謝するぞ、君のおかげでこの世界を楽しめている」
「ぽこぽこ」
倒したあと女の子になったけれど、仲間入りを断ったらどこかに行った狼だ。
消えたりしたわけではなく、普通にまだ生きていたらしい。
……ほんっとわけわかんないスキルだなこれ……。
「えっと、色々と聞きたいことが……」
「それは群れの誘いか? 残念だが、仕えるべき主は別に見つけた」
「ぽこ……」
「そ、そうなんだ? まあ、良かったね……?」
ムルンと違い、彼女は喋れるみたいだ。
なら、このスキルの秘密も分かるかもしれない。
「教えてほしいんだけどさ、僕のスキルでテイムされる以前のこととかって覚えてたりする?」
「そういう話はするなと主から言われている」
「主って、誰?」
「だから、私は口止めされていて……でも、あなたは恩人だ。困ったぞ」
彼女は眉を八の字に曲げた。
「……主って、イルティールだったりする?」
「何故それを!? そ、そういう話はできないんだ」
「うん。分かった。ありがとう」
イルティールだこれ。
街をさまよってる所を保護でもされたんだろうか。
「はっ!? 今のはまさか、言葉巧みに私から情報を引き出したのか!?」
「言葉巧み……?」
「こ、困るぞ! ご主人におやつといい感じの棒を抜かれてしまう!」
「いい感じの棒……?」
「ぽこ……?」
犬かよ。犬だったわ。
まあ、おやつとか貰えるんなら、悪い暮らしはしてないんだろう。
今の僕が二人も養うのは難しいし。お互いにこれでよかったのかも。
「こ、これ以上は何も話さないぞ! 私の正体が神獣だったりするのも秘密だからな!」
「うん?」
「ハッ! 恐るべき……恐るべき話術だ……!」
「うん……」
「ぽこ……」
ムルンの口元にできた泡が、呆れたように弾ける。
神獣って。なんかすごそうな単語出てきたけど。
いや、僕がテイムしたのってそのへんの魔物だよな?
ま、どうせ異世界じゃ”魔物”のことを”神獣”って呼んでた、とかそういうヤツなんだろうな。気にするほどの事でもなさそうだ。
「こ、こんな危ない所に居られるか! 私は帰るぞ!」
「イルティールに怪しい事するなって伝えておいて。じゃ、また」
「ぽこ~」
「帰る! さらば、ぐえっ!?」
彼女は逃げ出した拍子に足を滑らせてすっ転んだ。
赤い剣がダンジョンに突き刺さっている。
「つ、次は負けないからな……!」
謎の負け惜しみを吐いて剣を抜き、彼女は今度こそ逃げていった。
……よく分からないけれど、僕が勝ったらしい。
どちらかといえば、あの娘が勝手に負けたというか……。
「何だったの? さっきの娘をテイムしたってどういうこと? 犯罪の隠語?」
電話先のナギが興味津々だ。
「なわけないだろ。後で話すよ」
「えー。今すぐ聞きたいんだけど! 気になるんだけど!」
「こっちはダンジョン探索中なんだぞ」
「私だって探索中だよ!」
ナギの声がだぶって聞こえた。
近い。僕はライトを取り出して、道の奥へと向ける。
部活の一年生を引き連れたナギが居た。
「あっ。はろー!」
彼女は手を振って、電話を切った。
……とりあえず、救出は完了だ。
構造変化に巻き込まれて迷ってたみたいだけど、僕の道順を辿れば帰れる。
「なんか食べ物持ってない? お腹減ったー」
「まだ夕食の時間でもないぞ? 我慢しなよ」
「えー」
不安そうな部活の一年たちと違って、ナギはすっかり安心している。
彼女は僕の鞄を勝手に漁って、ラムネの駄菓子を勝手に食べだした。
「ブドウ糖が脳に染みる! 皆も食べときなよ、脳のエネルギー補給だよ!」
僕のラムネが無断で後輩に配給されている……。
まあ、いいけどさ……。
「わっ」
間抜け顔でラムネを頬張っていたナギが、地面の段差に躓いた。
ん? このダンジョンに段差なんてあったか?
僕は地面にライトを当ててみた。
さっき狼の娘が転んだとき、剣が突き刺さって出来た傷だ。
……あれっ!? 傷!?
「ヨウくん、これって!?」
「そういえば……どうしてダンジョンに剣が刺さったんだ……!?」
普通、ダンジョンには傷をつけることができない。
でなければ、”狭小ダンジョン”なんか力技で破壊されて攻略されている。
ダンジョンは壊れない。傷がつくはずもない。
「ナギ、ちょっと床を攻撃してみてくれ!」
「分かった! えいっ!」
彼女は大きな薙刀を振るった。
武道仕込みの美しい一撃が、派手に床を削る。
「ダンジョンが……壊れた!? どうなってるのヨウくん!?」
「僕に聞くなよ!」
……どういうわけか、このダンジョンには大きな変化が起きたみたいだ。
「この変化のせいでスタンピード警報システムが誤作動したのか……?」
「ほら、それっぽい答えが出てきた。聞いて正解ー」
「答えでも何でもないけど」
犯人が居るとするなら、まあ……。
「どうせイルティールの仕業だろうな……」
「ヨウくんの知り合い、こんな事できるような異世界人なの? 学校来てない間にずいぶん大物と知り合ってたんだねー」
「知り合いっていうか、加害者と被害者っていうか」
とにかく、帰ったら問い詰めないとな。
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