第3話<<紺碧>>②



 現在の時刻は七時二二分。牧子まきこの言う事には何一つ嘘はなかった。という事は、春花はるかは妹にしてやられたのだ。普段ギリギリに起きて、ギリギリ校門を通る彼女に、ついに堪忍袋かんにんぶくろが切れたのだろう。わざと遅めの時間を言う事で、さっさと家を出させる作戦だったのだ。その頃妹はと言うと、上手くいきすぎて逆に驚いてはいるものの、家で確実にガッツポーズをしていた。

 ややあって、春花と牧子は自転車を押して登校する事にした。別に、自転車に乗って早く行ってはいけない訳ではない。朝の小テストの為の勉強をしている生徒や、部活の朝練だってある。その事は高校一年の時まで陸上部だった春花が一番分かっていた。このショートカットや健康体の象徴の様な黒い肌は、その時の名残なごりでもある。急がないのには、それ以外に理由があったのだ。


「今年は暑くてたまりませんわ」


 春花は舌を出しながらなげいた。

 避暑地ひしょちとして人気があるとは言うものの、連日の豪雨が明け、ジメッとした暑さをギラつく太陽がカラッと照り焼きに変えた今の時期は大変厳しい。

 特に今年は暑く、五月の始まりから26度を超えたり超えなかったりしている。住宅街からもう少し上に行けば涼しくはなるが、二人のくだる坂はまるで鉄板の様であった。この時期を乗り越え、梅雨つゆが完全に明ける七月頃に風が吹く様になればまた変わるのだが。


嗚呼ああ、都会に行きたい。都会に行けばこんなせみの鳴き声なんか聴こえなくても済むのに。なんなら、都会に行けたらもっとモテるのに」

「春ちゃん、それは夢見すぎだよ……。都会にだって蝉はいるんじゃないの?」


 実際、都会にはクマゼミなどの蝉が沢山いる。それにビルや建物だらけで風は通り抜けにくいし、コンクリートや太陽の熱によって、ここの五割は増して暑いだろう。そんな事情は知らず、適当にボヤくのが彼女らしさでもあるのだが。


「あ、そうだ。春ちゃん夢日記書いてるの?」

「夢日記?」

「この前書くって言ってなかった? 今日はどんな夢見たの?」


 牧子は春花と違ってどうでもいい事を覚えるのに長けていた。違って、とは言っても春花の場合は何も覚えようとしないのだが。そんな彼女は『夢』と言う言葉で思い出し、話題を変える為に喋りかけた。

 対して、春花はまだ察しがついていない様であった。キョトンとしながら、眉を八の字にし、目はななめに見上げて思い出そうとする。そう言えば、ベッドからずり落ちた時に一緒に何かが落ちたような。もっと詳しく言えば、ノートの様な。


「あ、忘れてた」


 春花は今日二度目の叫び声を上げた。

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