第25話:沐浴
「で、これからどうするんだ?」
ヴォルフは訊いた。
「リプロスに渡る」
「メルダキアか?」
直近の港街の名だった。交易の拠点となっている大規模な港街。しかし、トラビスの答えは違った。
「ガルトゥース軍港」
「なるほど」
ガルトゥース軍港はメルダキアから五十キロほど南下した地点にある大規模な軍用港湾施設だった。しかし軍用施設でありながら民間の船舶も接岸できるエリアがあり、バビロニアでは単なる民間人でしか無い彼等も、リプロス島に渡ることができた。
「武装勢力の連中は反政府の地下組織だ、ガルトゥースまでは追って来れないだろうしな」
ヴォルフは口角を小さく上げて、ヒゲの隊長の横顔を見た。
「油断はできないがな、………」
トラビスは、しかし心配そうに西の空を見た。
**
「沐浴できる川がある」
朝になるとトラビスは全員に言った。
「そこで血を洗って、それからガルトゥース軍港を目指す」
多かれ少なかれ全員、返り血を浴びてしまっていた。ガルトゥース軍港に入るには、血の跡やにおいを落とし、洗濯まで済ませて置く必要があった。ガレスチナ自治政府軍が直轄する港湾施設である、血なまぐさい状態のまま立ち入れば、拘束される懸念があった。
そもそも何処かの宿でシャワーを使えばいい話だが、それとてアタマから血をかぶってしまっている状態では、やはり通報、然る後に拘束、という展開となると見るべきだった。
しかし元より砂漠地帯である。水場そのものが少なかった。これが水浴びまでできる場所となると、この地域の場合、探すのが想像以上に難しかった。水は、貴重な資源であることから、河川や湖沼などは各地域の武装勢力が銃を手に巡回監視していた。取水の割合や、その利権をめぐってのトラブルや殺し合いは、この地では、特にめずらしく無かった。
**
北に丘陵を臨むなだらかな斜面に、その川はあった。
群生した灌木や、岩場が所どころにあり、そこで人眼を避けて衣服の着脱をしたり、休憩を取ることができた。すでに何組か、沐浴をしている先客がいたが、構わず水に入った。誰もいなくなるまで、待っている訳にもいかない。地域の共同体に所属しない旅人が水浴びできる、数少ない場所なのだ。
「オイ、アイツはいつもああなのか?」
ヴォルフは笑いながらグリフに言った。
交代で川に入ることになり、ヴォルフとグリフは車で待つことになった。用心のため河原にまで車を乗り入れ、二人は流れる水面を眺めるふうを装い、周囲に視線を配った。外からは見えないように、しかしすぐに手に取れるように、狙撃銃と、短機関銃を、シートに寝かせてあった。
**
車から降りると川原の石の上に、
ブーツ、
靴下、
カーゴズボン、
ブラウス、
肌着のTシャツ、
ブラ、
そして下着のショーツまで、
歩きながら次々に脱ぎ捨てて、
水を蹴立て、
飛沫を上げて川に入ったのは、
もちろん、フランだ。
フランチェスカ・リアム・カートライト、
十三歳、そして女子、だ、いちおう、………
下流の少し離れたところで洗濯をしているトラビスがそんなフランに向かって何か怒鳴る。からだに何か巻けよ、巻くだろフツー、そう言っているように見える。丸出しじゃね-かよ、オンナだろいちおうは、そんなふうな。
そんな隊長に対してフランは、流れの中で立ち上がり、トラビスの方に向き直り、腰に両手を当て、胸を張って大笑いしている。それを見て、ヴォルフも、思わず笑ってしまったのだ。
スラリと細く高身長であるため、そんなフランチェスカの姿は、自然の景色の中にあって、少しばかり目立った。白い肌が、玉のように水滴を弾いて、真昼の陽光にきらきらと光っている。
距離をおいて、合せて十人ほどが水浴びをしていたが、そのうちの三、四人がフランの方を見た。しかしすぐに関心を失くし、視線を戻した。育ち盛りの男の子だと、思ったのかも知れなかった。流れに立つヒョロっと背の高いからだの、その胸はまだ平らだったし、上を向いたまるい尻も、小さくて肉付きも薄く、確かに少年のようではあった。尖った小さな顔も、十代はじめの男の子に見えた。
「オイ、アイツはいつもああなのか?」
「いえ、あの、はい、……… いつも、だいたい、あんな感じです」
ヴォルフの問いに対し、グリフは視線を反らしながらそう答えるしか無い。平静を装うはずの笑みが、恥ずかしさに引きつり、口元が震えてしまう。
一方、まぶしくきらめく川の流れの中、屈託のない笑顔で、フランはすぐ横にいるルナに話しかける。そして、そのフランの顔の向いたままに、ヴォルフも視線を滑らせて、そして、―――
そのまま、瞬きできなくなった。
なるほど、
ヴォルフは思った。
噂は本当だった、―――
**
ダインスレイヴという民族の子供には、性差がない。
まことしやかに囁かれる、地域に伝わる噂である。北欧に出自を持ち、肌が白くすらりとした体つきであるため、女性と、子供の、その容貌の美しさは地域では定評があった。特に少年が美しいとされ、ゆえにダインスレイヴの子供は、十一歳で性徴を迎えるまで性差が現れない、だから少年の容貌が少女のように可憐なのだ、と一部で噂され、実際にそう信じている人達もいた。
もちろん、ただの噂だ。
ルナの見た目があんまり女の子っぽいので、トラビスに訊いたら「そんな訳ないだろ」と笑われた。しかし「そんなハズはないが、まったくの事実無根、という訳でもない」とも言った。
「千人だか、二千人だかに一人、性差が逆転する子供がいるんだ。それまで男の子だったのに、色気付きだす年頃になると身体に変化が現れて、三年くらいで女になっちまう。逆も然りだ。それまで女の子だったのに、生理が始まるくらいの年頃になると身体に変化が起きて、やっぱり三年くらいで男になる。そんなに多くはないが、俺の知ってる奴らの中にも、他に、たぶん二人くらいいる、まあ、世の中を渡って生きているとたまに出喰わす、それくらいの頻度だ。でも、たぶん、他の民族だと、もっと、めずしいんだろう?」
「めずらしい、どころじゃない。一人もいないし、あったこともない、聞いたことすら無い」
「じゃあ、お前にとってはルナが、初めて会った『なりかわり』という事になる」
「成り変わり、か、………」
「そうだ、女の子が、年頃になって、男性に、成り変わっちまう、なりかわり、だ」
「半陰陽とかって、あーっと、何て言えば、その、……… 両方付いてる、というのとは違うのか?」
「それは分からん、そんなこと本人には訊けないしな」
「子供をつくる事は可能なのか?」
「なりかわりの子、というのは聞いたことないな、実際につくれるかつくれないか、という以前に、家庭を持つこと自体が難しいんじゃないかな?」トラビスはそう言った。
ヴォルフは、そのまま黙ってしまった。――― 差別、……… そういう事は、きっとあるに違いない。
「なりちがい、とか、なりそこない、と呼んで、怖れたり、毛嫌いしたりする連中もいる」トラビスは補足した。
**
ヴォルフは思った。――― なるほど、美しい。
流れる川の、その輝く水面に立つルナの裸体は、確かに「子供に性差がない」という俗信を生むに足りる、まるで妖精のような可憐さだった。子供の持つ、無垢な可愛らしさと、女性の、異性を惹き着けて止まない性的な魅力と、その両方を兼ね備える美しさだった。
それは二律背反的な、不思議な魅力だった。
こども?
おとな?
おとこのこ?
おんなのこ?
ルナの一糸まとわぬ産まれたままの姿は、
ちょうど、その境界線上に位置していた。
細くて華奢なんだけど、
丸みを帯びた、そのからだの
ミルク色の肌に落ちる、
やわらかそうな、淡い色彩の陰影。
子供のような小さなお尻のフォルムは、
想像していたよりも量感があり、
恥ずかしさのためか少しだけ血色が差して、
思わず触れて、その温度を確かめてみたくなる。
ルナが、何かを言おうとして、
後ろを振り向いてフランを見上げたときに、
濡れて揺らめく二本の
まだ小さなそれが白く跳ねるのが見えて、
ああ、やっぱりオトコなんだな、と少し安心する。
心配だったのだ。自信がなかった。もしルナが女の子だったら、やはり興味を抱いてしまったろうと思ったのだ。うまく言えない。……… でも良かった、オトコで。
戦災孤児で、浮浪児であった自身が、
拉致・売買されたのは十一歳の時だった。
その後の、地獄の三年間、―――
そんな過去を持つヴォルフではあったが、それでも見惚れてしまうほどにルナは、やはり可愛らしく、あまりに未完成で、そして魅力的だった。
グリフはまだ若いのに、ルナやフランチェスカが裸でいる事に、あまり関心は無いようだった。周囲に目を配りながら、自身が水浴びをする準備をしている。やはり彼も、優美な容貌で知られるダインスレイヴの、それも十七歳という、まだ少年とも呼べる年頃であり、二人の裸体などに、それほど特別な魅力は感じないのかも知れなかった。
まあ、実際のところルナは男の子な訳だし、フランだって、まあ、オトコみたいなもんだ。
しかし、ヴォルフは、(ここは危険かも知れない)そう感じ始めていた。それは、自身が少年時代に、人買いに攫われた経験によるものだった。
子供や、時に若い女性が、衣服を脱いで水浴びをこの場所は、人身売買を生業とする連中にとって、商品を調達するために時々立ち寄っては「獲物」を探すための、重要なポイントとなっているのでは?と感じたのだ。
ルナは、やはり目立ったし、性的な意味合いでの人の売り買いにおいて、見た目の美しい少年は、その希少性において、若くてきれいな女性よりも高額で取り引きされることを、ヴォルフは知っていた。ましてや「ダインスレイヴの少年」という事になると、………
そんなヴォルフの心配をよそに、ルナとフランは、楽しそうに何か言い合いながら、のんきに川を泳いでいた。
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