■#20 Day 6 Saturday Morning ~ Evening ――6日目。土曜の朝~夕方――

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教授宅の地下室に監禁されてしまったアナスタシア。

絶体絶命の彼女の前にあらわれたのは――。


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「どうだ、アナスタシア、腹が減ったろう。だが、きのうの今日でまだ食べさせてやるわけにはいかないな。腹がふくれると人間はものを考えなくなる」

 マクドネル教授は深夜にも様子を見にきたが、ぐったりとバスルームにもたれているアナを見ただけで出ていった。時計がないので時間がわからないが、いまはきっと朝だろう。

「あまり意地を張らずに、賢くなったほうがいいぞ」

 アナは背中を起こしてすわりなおした。

「教授こそ、こんなばかなことはやめて、わたしをここから出してください」

 教授の目の色が変わった。

「強情だな! まだまだ時間が必要なようだ、ゆっくりとここで過ごしたまえ」荒々しくかかとを鳴らして教授は出ていった。

 ズルル、とずり落ちて、アナは床に横になった。

 疲れた……手が自由にならないので、かろうじて水を手のひらにくんで飲むのと、トイレで用を足すくらいしかできない。手錠も鎖も頑丈で、なんとかはずせないかと夜のうちにあれこれやってみたけど、手首が傷だらけになっただけだった。

 脚や腰も痛い。少し動いて、血流をよくしたほうがいいかもしれない。

 寝たまま脚を曲げたり、伸ばしたりしてみたが、おなかがすいてあまり力が入らない。

 何度かやっただけでため息をつき、まただらりと横になった。

 動かないで体力を温存したほうがいいのかも……。

 アナは目を閉じた。

 あとどれくらい、こんなことがつづくんだろう。

 エスターと子猫を迎えにいくはずだったのに……連絡もなしに約束を破って、怒ってるだろうな……。


 いつのまにか眠っていたらしい。

 ぼんやりと目を開けたアナは、目の端に動くものをとらえて跳ね起きた。ひじで体を支え、上半身を起こす。

 サッと壁ぎわに移動したそれ、、は、アナがじっとしているとまた戻ってきた。

 うそ……猫? こんなところに、なんで??

 まさしく、そこにいたのは猫だった。首輪もなにもしていない。全体的に薄汚れた感じは、野良猫なんだろうか。黒とグレーの2色だが、しましまというより渦巻きが崩れたような模様が胴体に入っている。

 猫はアナの腰のあたりに近づき、ジーンズのポケットから飛び出しているものを前足でチョイチョイとつついた。

「あ……」ジーンズのポケットから飛び出していたのは、エスターが返してくれた猫のふわふわしっぽのストラップだ。

「なに? 遊びたいの?」アナは手錠のかかった手でストラップを引っ張り出し、猫に差し出した。サッ、サッ、と動かすと、猫が飛びつく。まだ遊びたい盛りの若い猫なんだろう。なんとなくエアを思い出させた。

 ひとしきり遊び相手をつとめたとき、またコンクリートの階段をおりてくる足音が聞こえた。猫はすぐさま地下室のすみに逃げていき、なにかの物陰に隠れたのかまったく見えなくなった。気配もしない。ストラップはすぐに尻の下にしいて隠した。

「アナスタシア」重たい金属扉から教授が入ってきた。「そろそろどうだ、何度も手をわずらわせるな。このままだと、衰弱していくいっぽうだぞ?」

「何度聞かれても答えは同じです。あきらめてください。わたしをここから出して」

「黙れ!」かっとして、教授はアナを平手打ちした。「逆らうことは許さないぞ、この小娘が。せっかく目をかけてやったのに」

 アナは顔をあげて教授をにらんだ。「こういうときのために目をかけたんですか? 従わないなら用済みだと?」

「そのとおりだ。いうことをきかないなら、このままここから出られない。衰弱死してもだれにもわからない。ほとぼりがさめたころに山奥に埋めるか、湖にでも沈めるか……行方不明者などいくらでもいるんだからな」

 アナは血の気がひいた。本気だ……教授はやりかねない。わたしは家族から逃げている身だし、親しい友人知人もいない。

「もう少し時間をやろう。わたしは直接手をくだすような野蛮人ではない。ただ放っておくだけだ。どうぞ、楽しい週末を」

 教授はおぞましい笑みを浮かべ、ふたたび金属扉から出ていった。

 恐怖が押し寄せる。いやな汗が噴き出してくる。

 水だけで、どれくらい生きられる?

 ゆっくりと命が流れ出ていくあいだ、どう過ごせばいい? なにを考えればいい?

 こわい……いっそ、教授のいうとおりにすれば……。

 いいえ、だめよ! やっぱりだめ! なにを考えてるの、アナスタシア!

 なんだか頭がぼんやりしてきた。

 さっきの猫が、また暗がりから顔を出して近づいてきた。アナの手をぺろりとなめる。

「遊びたいの? さっきの、気に入ったのね」

 アナは尻の下にしいていたストラップを引っ張り出した。

「すごく大事なものなのよ」ふふふと笑いながら、猫の目の前でストラップを振ってやる。猫は爪で引っかけようとしたり、前足でつかまえようとしたり。

「あっ!」爪が引っかかった瞬間、猫はふわふわしっぽにぱくりと咬みついて引っ張った。軽くしか持っていなかったアナの指は、ストラップからはずれてしまった。

 猫は獲物を得たりとばかりに、くわえて暗がりに持っていく。

「待って! 行かないで! ああ……」

 なんの動きも音もなくなった地下室で、アナはとつぜん、孤独と恐怖にからめ取られるかのような錯覚に陥った。

 自然と涙があふれて、止まらなかった。

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