■#11 Day 2 Tuesday Night (2) ――2日目。火曜の夜(2)――

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熱を出したアナスタシアを前に、迷惑そうなそぶりもなく料理をするエスター。

8年ぶりに再会した彼は、すっかり自立していて――。


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 アナスタシアは部屋を見まわし、壁にかかった時計を見つけた。なんとすでに夜の10時をまわっていた。とんでもない迷惑をかけている。しかもエスターに。

「悪いけど、あと15分待って。しんどくない? つらかったら部屋でやすんでて。できたら持ってくから」

「いえ、だいじょうぶ……」やたら遠慮しても不毛なやりとりになるだけかと思い、いまは甘えることにしてアナスタシアはソファにもたれた。ベッドと同じくソファもものすごく上質だ。思わず目を閉じて体をゆだねていると――ひざになにかやわらかいものが当たった。

 ぱっと目を開けたら、ダークグレーの猫が前足をアナスタシアのひざからサッと引っ込めるところだった。

「あはは、ごめん。そいつエアっていうんだけど、まだ1歳で好奇心のかたまりなんだ。いろんなものに興味津々で」エスターは湯気の立った鍋に、切った野菜を次々に放りこんでいる。

「さっき部屋から出たとき、ドアを開けたらいたのもこの子かしら? ものすごいスピードで走っていったんだけど」

「ははは、ありそう! 知らないひとの気配を探りに行きたくてたまらなかったんだろうな」鍋に入れるものは入れ終わったのか、エスターはこちらを向いてカウンターにもたれた。

「ついでに説明しておくね。エアは1歳のオス、白猫のエルフも1歳のオス、茶色いのが茶白のリーフでオスの5歳、紅一点のホワイトシルバーのテラ2歳もいるんだけど、テラは2階からめったにおりてこなくて」振り返って鍋をかきまぜ、火を弱める。

「4匹もいるの? すごいのね」すでにエアだけでなくエルフもリーフも梁からおりてきて、アナスタシアとの距離を縮めつつあった。

「なんだか増えてっちゃうんだよね、猫って」ははっと笑いながら、エスターは小さな器を4つ出して、つぶつぶのスナックのようなものが入った容器からカラカラと音をたてて入れた。「こいつらもごはん」3つをカウンターに置き、1つを持って「ちょっと上に持ってってくる」と行ってしまった。

 3匹のオス猫たちはたちまちカウンターに飛びあがり、カリポリといい音をたてて食事をはじめた。

 すぐに戻ってきたエスターは、鍋の様子を見て火をとめた。「こっちもできた」

 ダイニングテーブルに鍋とスープ皿とパンの入ったかごを置き、ミネラルウォーターとグラス、カトラリーボックスも置く。ソファまで来て、「だいじょうぶ?」と立ち上がったアナスタシアの肩を軽く抱いて支えてくれた。

 手が大きくてあったかい……。

 アナスタシアはちがっためまいを起こしそうになりながら、ゆっくりとテーブルについた。

 スープはやさしい味で、ものすごくおいしかった。五臓六腑にしみわたるというのはこういうことをいうのだろう。パンもいろいろ種類があったが、もっちりしたフォカッチャをいただいた。

「こんな料理ができるなんてすごいわ。とってもおいしい」アナスタシアは心からほめたが、エスターはおどけた顔をした。

「大学の最初の1年でだいぶきたえられたんだよ。最初は毎日エイダが来てくれて――エイダっていうのはなじみの家政婦さんだけど――家事をやってくれるだけじゃなくて、教えていってくれてさ。とりあえず、健康に生きていけるくらいにね。でも、やってみたらけっこうおもしろくて、今年はいちおう自分でぜんぶやることにしたんだ。もちろん、忙しかったり具合の悪いときはいつでも来てくれる手はずなんだけど……」それに、とエスターがつけくわえる。

「技術の進歩にも甘えさせてもらってる。猫のトイレや水は自動だし、ほんとうはエサも自動にできるんだけど、コミュニケーション目的もあってぼくがあげてる。掃除はロボット掃除機があるし、定期的にプロにも入ってもらってて。恵まれてるよね」そういってエスターはウインクした。

 ああ、キュートでおおらかなところは変わってない。チャーミングなむかしのエスターのまま、こんなにかっこよく成長したんだ……。

「さあ、もうやすんだほうがいい。少しでも食べられてよかった。2階にゲストルームもあるけど階段をあがるのはきついと思うし、ほとんど使ってないから、悪いけどこのままぼくの部屋でいいかな。熱があるからシャワーはやめたほうがいいと思う」エスターはいいながら立ち上がった。

 彼はふらつくわたしに付き添い、部屋のベッドまで送ってくれた。

「じゃあね、おやすみ」

「おやすみなさい」

 いまにも爆発しそうな心臓の鼓動に耐えながらベッドに倒れこんだわたしは、天井がまわる感覚に翻弄されながらあっというまに眠りに落ちた。


 うーん、なんだかつらそうだなあ……。

 1時間後、エスターは自分のベッドで眠っているアナスタシアを見下ろしていた。

 間接照明だけがついた薄暗い部屋。だいじょうぶかなと様子を見にきたら、彼女は眉間にしわを寄せ、横向きで丸く小さくなっていた。まるで具合の悪い猫みたいだ。

 寒いんだろうか……コテージ内はどこも完全空調で、24時間快適な温度に保たれているけど……。

 彼女は肩をすくめ、顔の前で手を合わせたような格好だった。長いプラチナブロンドが枕に散り、だぶだぶのシャツからきゃしゃな首筋や腕が覗いている。白い肌が暗がりに浮かび上がるようで、どうしても目を引いた。

 きれいだな――思わず手が伸びる。

「ん……」彼女が小さく声をもらして、顔を少し上向けた。

 あわててエスターは手を引っこめた。いけない、いけない……。

 あおのいた顔と、すんなりした首。わずかにひらいたくちびる。

 ずっと見ていたいような、できればさわってみたいような、へんな気分だ。

 エスターはひとつ息をつき、上掛けを肩までそっと引っ張り上げて直してやると、静かに部屋を出た。

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