エスターと運命の1週間 ― Who’s that girl? - His seven crucial days in Los Angels ―
■#08 Day 2 Tuesday Morning ――2日目。火曜の朝――
■#08 Day 2 Tuesday Morning ――2日目。火曜の朝――
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大学が本格的にスタートする2日目。
アナスタシアは治験結果について、マクドネル教授に報告をするが――。
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新学年2日目も快晴。
レンジローバーで登校したエスターは、パーキングスペースに車を停めた。
校舎に向かって歩いていると、なんという偶然、あのキラキラした頭が視界に入った。
昨日の彼女だ。
思わず足が止まり、その姿を目で追う。30メートルは離れているだろうか。
Tシャツとジーンズにスニーカー。いかにも学生の平凡な服装だけど、脚の長さと細さがきわだっている。トートバッグを肩にかけ、胸にぶ厚いファイルケースを抱えて、スタスタとやたら速歩きだ。なんだか考えこんだような表情で、まわりをぜんぜん見ていない。
おろしたサラサラの長いプラチナブロンドが揺れて、まぶしい太陽を跳ね返して光っている。あれ? でも今日は……気のせいかな? サラサラヘアのまわりにふわふわの金色も見えるみたいだ。
エスターはアナスタシアの姿がほかの学生にまぎれて見えなくなるまで、ずっと見つめていた。
そんなエスターを、やっぱり30メートルくらい離れたところからクレアが見つめていた。
***
アナスタシアは焦っていた。
寝坊しちゃった。
報告書をきっちりそろえてから寝ようと思っていたのに、いつのまにか眠ってしまっていた。
きのうはやっぱり疲れたのかな……。
あわてて起きてシャワーを浴びたらもうギリギリの時間で、とにかくパソコンをバッグに入れて寮を飛び出した。
ああ、おなかがすいた……ゆうべからなにも食べていないのに、朝も食べられなかった。
教授への報告がすんだら、さすがになにかおなかに入れたい。お金はあまり持ってないけど……。
アナスタシアはファイルケースを胸に抱え、急ぎ足でスタスタ歩いていった。
「すみません、遅くなって!」医科学研究所の建物に入ると、マクドネル教授の研究室に飛びこんだ。
奥のデスクについていた教授がびっくりしたように顔を上げたが、だれが入ってきたのかわかってすぐ笑顔になった。
「おはよう、アナスタシア。そんなに遅れていないよ、だいじょうぶ」
「ありがとうございます、あの、申し訳ないんですが、教授にお見せする概要のプリントアウトをここで出させていただいてもいいでしょうか。データはいまメールでお送りしますので。ちょっと時間がなくて、できていなかったんです」
「かまわないよ。概要もデータでいい、わたしの画面で見るから」
「そうですか、すみません」アナスタシアはトートバッグからパソコンを取り出して、すぐに送信の操作をした。
しばらくのち、教授が概要に目を通したところで、アナスタシアは説明を始めた。
マクドネル教授はかすかに眉間にしわを寄せて真剣な面持ちになり、両手を組み合わせて画面に見入っている。
「ごらんのとおり、そしていまお話ししたとおり、今回の治験結果は残念なものになったといわざるをえません。疾病の治療だけでなく健康寿命を伸ばす研究にもつながる可能性、さらには美容目的にも応用できるかもしれない、すばらしい研究ですが、今回、治験に協力してもらった医療機関のデータからは、ここへ来てわずかながら発がん性の可能性が示唆されました。初期段階ではまったくそんな兆候は見られていなかったので、最終段階にきてどうしてそうなったのかはわかりません。さらに年数をかけて経過を見なければ……それでも現段階で無視することはできないと思います」
残念な結果を報告することほどつらいものはない。アナスタシアは申し訳なさそうに口を閉じた。
教授は唇を引き結んで顔を上げ、一度天井をあおいでから彼女に視線を戻した。くちびるが重たくなったとでもいうように、ゆっくりと教授の口がひらく。「だが、アナスタシア、まだ実際にがんが見つかった例はひとつも出ていない。あくまでも発がん性の可能性の示唆、だ」
「そのとおりです、でも――」
「しかも」教授はアナスタシアの言葉をさえぎった。「疾病の治療効果としては、所見の消失あるいは軽減が85%にもなっている。既存薬ではせいぜい40%だったのに、だぞ」
「はい、治療効果は大きいといえます。ですが――」
「現段階では、発がん性はゼロかもしれない可能性だってあるわけだね?」
「はい、もちろんです。でも――」
「であれば、治療効果のメリットのほうがはるかに大きいとは思わないか?」教授は射るようなまなざしで彼女を見すえた。
アナスタシアは目をみはった。これはメリットとデメリットの比較というような次元の話ではない。
「そ、それは――でも危険性が示唆された以上、それを無視するのは科学者として――いえ、医師であり人間として――」
「アナスタシア!」教授は両手でバン!とデスクをたたいて立ち上がった。「この研究はすでにほぼ完成段階に来ている。これまでの経過でおかしなところはまったくなかった。いまになってこんな数字が出てくるとは考えにくい。きみはほんとうに全データをきちんと正確に読み取ったのかね?」
「ええ、もちろんです、何度も精査を――」アナスタシアはいった。
「では、もう一度、しっかりと正確にやり直したまえ。大至急」教授は見たことのないような威圧感を漂わせていた。
「でも――でも――結果が変わるとは思え――」
「思いこみはやめたまえ。正確な判断ができないのであれば、きみをこの研究室に置いておくことはできないかもしれない」冷たく無表情な顔になって教授はいい放った。
アナスタシアが目を見開いて青ざめる。それは……クビということ? この研究室に……UCLAにいられなくなるということ?
「わかったね。きみには期待しているんだ、失望させないでくれ」教授は椅子にすわり、パソコンを操作しはじめた。
アナスタシアはぼう然としたままパソコンをバッグにしまい、無言で研究室を出た。軽いめまいを覚えながら、ふらふらと廊下を進んだ。
くそっ、なんということだ、いまになって。
ロナルド・マクドネルは手が白くなるほどこぶしを握りしめてパソコンの画面をにらんだ。
製薬会社との契約期限はもう迫っている。ここで研究の中断や延期、ましてや中止にでもなったりしたら、天文学的な利益がパアになる。すでにリベートも受け取っているんだぞ……。
こんなことなら、リンジーにやらせればよかったか?
いや、リンジーは小賢しい女だ。わたしに近づいて親密な仲になったのも、自分の野心のためだというのが見え見えだった。ほんとうはあのハート家の若造がほしいくせに……。
アナスタシアのほうが欲がなくて従順そうだった。3年も
こうなったらなんとしてでも、アナスタシアに“正確な”報告書を提出させなければならない。
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