■#07 The Past (2) ――むかしの話(2)――

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病弱だったエスターが12歳のときに受けた試練とは――。


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 クレアとアナのふたりが帰ったあと、しばらくして点滴も終わってバスルームに行った。戻るとき、ベッドの下になにか小さなものが落ちているのを見つけた。

 なんだろう。

 かがんで拾ったら、ふわふわした細長いものがついたストラップだった。

 これ、猫のしっぽ……かな?

 ボールチェーンが切れている。たぶん、さっきのふたりのどちらかがカバンにでもつけていて、チェーンが切れて落っこちたんだろう。クレアがこういうのをつけてるのは見たことがないから、たぶんアナのほう。

 グレーと黒のしましまの、ふわふわしっぽ。

 なんだこれ、かわいいな……エスターは、へへっと笑った。

 また学校に行ったときに返すのでもいいかな。


 ところが翌日の午前中、パパとママがいるときに、マリーナ先生と院長先生、それにもうひとり男の先生と、ベテランの看護師さんが病室にやってきた。

「ミスター・ハート、ミセス・ハート、今日は検査結果と今後のことについて、エスターくんも交えてお話ししたいと思います」院長先生が深刻そうな顔で言った。

 どうしてそんな顔してるの? マリーナ先生もなんだか神妙な顔つきだ。ぼくは体がこわばるのを感じた。

「ご存じのとおり、エスターくんは赤ちゃんのころに心房中隔欠損があることが判明していました。右心房と左心房のあいだの壁に穴が開いている病気です。成長とともに穴がふさがることも多いのですが、エスターくんの場合、残念ながらふさがっておらず、それとはべつの問題も出てきていて……」


 そのあとの話はむずかしくて、途中でよくわからなくなった。ママは泣くし、パパはそんなママをなぐさめなきゃならないし。そんな話を最初から子どもに聞かせるのもどうかと思うけど、病院とのつきあいは長かったぼくだから、先生は本人にも話そうと判断したんだろう。12歳は、それくらいには大人ということかもしれない。

 結局、ぼくには心臓の大手術が必要だった。成功率は50%以下。えらいおおごとだ。でも手術をしなければ、元気にはなれないし、長くも生きられないってことだった。“手術しない”って選択肢はないに等しかった。でも、もしかしたら手術中に人生がプツッと終わるかもしれないんだから、大きな決断だ……。

 そんなの、こわいよ……。

 ともかく、院長先生から“当院の総力を結集して全力を尽くす”ことを約束され、ぼくらは手術にふみきった。マリーナ先生をふくめ、複数の先生が手術にあたってくれた。

 ありがたいことに手術は大成功、ぼくは2カ月後に退院することになる。

 でも。手術のあと、ぼくの心臓の一部は死んだ。

 見ちゃったからだ。

 マリーナ先生と、院長先生が抱き合ってるところを。

 院長先生って、だいぶ年上だよね? たしか、奥さんと子どももいたよね?

 マリーナ先生は木の陰にいたぼくに気づいた。

 もちろん、ぼくは騒いだりせず静かにそこを離れたけど、ぼくに見られたことをマリーナ先生は見ていた。

 もう少しで退院する、というころだった。

 ぼくの顔からは笑顔が消えた。

 病室を出ていくマリーナ先生の背中は――サラサラの金髪が揺れる背中は――いつも少し後ろめたそうで、哀しそうなものになった。

 退院の前日。いつもの回診で病室に来た先生に、ぼくは勇気をふりしぼっていった。

「マリーナ先生、ぼくと結婚しなよ」

 先生はびっくりした顔で目をまんまるにした。

「手術が成功してぼくはこれから元気になる。まだ子どもだけど、すぐに大きくなるよ」

 先生は眉をへにょっとさせた。「バカね、わたしがいくつだと思ってるの。ものすごい年の差よ」

「院長先生だってものすごい年の差じゃないか。男女が逆転するだけだ」

 マリーナ先生はいまにも泣きそうな顔をしていた。くしゃくしゃだった。「ありがとう、エスター。あなたはほんとにすてきな男の子ね。元気になって、しあわせになるのよ」最後にぎゅっとしてくれた。最後のハグ。

 ぼくは、手術のせいじゃない胸の痛みも知ったんだ。


 しばらく自宅療養して、久しぶりに登校した。ずいぶん休んでしまったけど、学校のはからいと家庭教師のおかげで初等部を卒業し、中等部に進めることになった。

 でも、そこにアナ・ゴールドの顔はなかった。

 ぼくのお見舞いに来てくれたあと、少しして転校したのだという。

 ふわふわしっぽのストラップは帰る場所をなくし、ぼくの机の引き出しに収まった。


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