エスターと運命の1週間 ― Who’s that girl? - His seven crucial days in Los Angels ―
■#06 The Past (1) ――むかしの話(1)――
■#06 The Past (1) ――むかしの話(1)――
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20年前、ハート家にエスターが誕生した。
天使のようにかわいらしかった彼だが、順風満帆な子ども時代とはいえなくて――。
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20年前
「エドワード、みんな、見て、かわいい赤ちゃんでしょう?」
エリザベスは枕元に寝かされた赤ん坊をいとおしそうに見やった。
マム、ママ、マミー……5人の子どもたちとエドワードがわらわらとベッドに集まってくる。
「ベス、お疲れさま。ほんとうによくがんばってくれたね、ありがとう」夫のエドがいたわりと感謝の言葉を口にした。
ついさっき、6度目の大仕事を終えたばかりのエリザベス。
6度目だというのにかなりハードなお産になってしまい、まる2日間の奮闘でクタクタだ。
それでも。無事に生まれてくれた。疲れよりも喜びで胸がいっぱいだった。
「うわあ~、ママ、すっごくかわいい!」いつも元気でおしゃまで美人さんの次女ステファニーがさっそく赤ん坊の頭をなで、かわいい、かわいいを連発する。まだ4つのアビーは父親に抱かれ、めずらしいものを見るような顔で高いところから小さな生き物をじっと見つめている。アンソニーとリアムの兄ふたりは、ステフの上から、横から、かぶさるようにキラキラした目で覗きこみ、「やったぁ~弟だあ!」とにこにこ顔だ。長女のキャスリンはさすがにお姉ちゃん、いまは弟や妹に先を譲っているが、あとで存分に赤ん坊を眺めるつもりなのだろう。
“かわいい赤ちゃん”というのは、たんなる決まり文句ではなかった。
うちの子どもたちはみんなほんとうにかわいくて、きれいで、かっこいい(わたしとエドの子どもたちだもの、当然!)けれど、この子はまたとびきりかわいい。まるで天使だわ。
生まれたばかりでもう目がぱっちりとして、ほっぺはマシュマロ、くちびるも完璧なさくらんぼ。
「ねえ、エド、この子の名前、エスターにしましょう」
「エスター?」
「ええ。ふつうは女の子の名前だけれど、音がきれいでとても気に入っているの。女の子だったらエスター、男の子だったら……考えていた名前もあったけれど、この子はこんなにかわいくてきれいなんだもの、エスターがいいわ」
「そうか、ベス。きみがそういうなら。エスター……いいじゃないか。男の子でもちっともおかしくない、いい名前だ」
「エスター! すてき、大賛成!」やっぱりステフがいちばんに声をあげた。
うん、いいね、いいわね……ほかの子どもたちも賛成してくれる。
エリザベスはにっこり笑って赤ん坊の小さな手をそっとにぎった。
「ハート家へようこそ、エスター」
***
12年後(エスター12歳)
これでいったい何度目になるだろう。
白い天井と板張りの壁に囲まれた豪華な部屋。
パパとママの経営するホテルの部屋みたい。
ここが病室でなくて自分も元気だったら、ホテルに泊まってるっていってもおかしくない。
この部屋には小さいころから何度もお世話になっていて、もう別荘なんじゃないかとすら思える。
ぼくは“ぜんそく”だったらしい。すぐに息が苦しくなって、死んじゃうんじゃないかって思ったこともたくさんあった。ひどくなると、ここに来た。数日のこともあったし、数週間つづいたこともある。
でも少しずつよくなって、パパとママが“ぜんそく”にいいってこと(たとえば水泳とか)もやってくれて、ずいぶん発作は起こらなくなってたんだ。
なのに、また急に苦しくなった。今度は胸もすごく痛くて、顔色が真っ青になってぜんぜん動けなくて、やっぱりここにやってきた。
腕には管がつながっている。その先には点滴の袋が3つ。これがけっこう時間がかかるんだ。毎日針を替えられるのも痛い。
コンコン。
小さなノックが聞こえ、スライドドアが小さな音をたててひらいた。
「エスター、起きてる? 気分はどう?」マリーナ先生が入ってきた。3年前から診てもらってる先生はやさしくて、明るくて、いつもにこにこしてる。サラサラの長い金髪をうしろで束ねてて、揺れる髪がすごくきれいだ。
「うん、だいじょうぶ」ちょっとかすれた声で、ぼくは小さく笑った。
「そう、いつも点滴をがんばっててえらいね。もうすぐ終わるからね」先生はとんとん、とやさしくぼくの手首をたたいた。
「今日はエスターにお友だちが会いにきてくれたわよ」
「友だち?」だれだろう。学校にはあんまり行けてない。でももう6年も同じ学校に通ってるから、とりあえずみんなの顔は知っている。
「ええ、かわいい女の子」マリーナ先生がウインクして、ドアを開けに行った。
女の子――クレアかな。学校に行くと、なぜかぼくの世話をよく焼いてくれる子。
「どうぞ、入って。おうちのかたは今日はまだ見えてないけれど、エスターは起きてるわ」
花を抱えて入ってきたのは、やっぱりクレアだった。でもクレアの後ろからもうひとり入ってきて、ちょっとびっくりした。クレアより背が高くて、制服のプリーツスカートから伸びた脚がひょろひょろと細長くて、赤毛のくるくるした髪が爆発したみたいで、赤いバンド付きのぶ厚いメガネをかけてる子。
ええと――たしか――アナっていったっけ。そう、アナ・ゴールドだ。
ほとんど話したことはない。彼女はいつも教室の隅で本を読んでて、めちゃくちゃ成績はいいって聞いたけど。
「エスター!」クレアがベッドに駆け寄ってきた。「かわいそう、こんなに点滴いっぱい……だいじょうぶ? 痛くない? つらくない?」
「うん、もうだいぶ楽になったよ」ぼくは弱々しく笑った。
「あんまり長い時間はだめだけど、せっかくだから学校の話でも聞かせてあげて。少ししたら戻ってくるわね」マリーナ先生はそういって出ていった。先生の背中がドアの向こうに消えるまで、ぼくは無意識に視線で追いかけていた。
先生が出ていくのを同じように見ていたクレアとアナは、スライドドアがゆっくり閉まるとエスターに向き直った。
「エスター、これ、お花。空いてる花びんにいけておくね」
「うん、ありがと」
クレアはアナに向かって、はい、と花を差し出した。アナは面食らったようだったが、花を受け取ると棚にあった花びんを取り、備え付けのシンクに行った。すでに飾られているべつの花と花びんを見て、なんとか見よう見まねでいけることにしたらしい。でも、なんでアナがやってるんだろう。
アナがもたもたと花をいけてるあいだ、クレアは学校の配布物やイベントの写真を出して見せてくれて、授業のことやクラスメイトのことなんかをいろいろしゃべった。みんなが書いてくれたメッセージももらって、すごくうれしかった。
「ねえ、きみたちがいっしょってめずらしくない? なんでふたりで来ることになったの?」ぼくは好奇心を抑えられずにきいた。
「あー」考えを頭のなかでまとめてるみたいにクレアの目が泳いだ。「エスターのお見舞いなんて、わたしが行かないでだれが行くのって感じでしょ? わたしが来るのは当然なんだけど、アナはいちおうクラス委員をやってるから。配布物なんかを先生から受け取ったのは彼女だったし、先生がふたりで行ってきなさいって」
「へえ、そうなんだ」アナのほうを見ると、彼女は恥ずかしそうにちょっと目をそらした。いままで話したことがないから、どんな言葉をかけていいのかわからない。ぼくは人なつこくておおらかだってよくいわれるけど、さすがにそんな気のきいた会話術は持ってない。
「いつごろ退院できるとか、聞いてる?」クレアがきいた。
「ううん、まだ。よくわからないらしいんだ」
「そうなの……エスターがいないとつまらないわ。待ってるから、早く学校に来てね」
「うん、ありがと」さみしげな笑みで応えたエスターに、クレアは胸をきゅんとさせた。
「きみもありがとね、アナ」視線を移してアナにもお礼をいうと、彼女は目をまるくして首を振った。
「ううん、ぜんぜん。早く元気になって……」小さな声でぼそぼそと早口だった。
すかさずクレアがベッド脇の椅子から立ち上がり、ベッドの足元に立っていたアナの腕をつかんだ。
「さ、もう帰りましょ。エスターが疲れちゃう」
ちょうどそのときマリーナ先生が戻ってきた。
「さあさあ、話はできた? エスター、だいじょうぶかな?」先生がエスターの顔色と脈を確かめる。
「よかったわね、エスター、こんなかわいい子たちが来てくれて。モテモテじゃないの」ウインクしてエスターの頭をなでる先生に、彼は青白い頬をバラ色に染めてはにかんだように笑った。
ああ、エスターは先生が好きなんだ――唐突にアナは理解した。だって、わたしたちは彼のこんな笑顔を見たことがない。
あらためてマリーナ先生を見る。さっきは病院の先生としか思ってなかったけど、美人で、きっと頭がよくて、白衣に金髪のサラサラロングヘアがすごくすてきな大人の女性だ。明るくてやさしそうで、こういう人がエスターみたいな男の子にも好きになってもらえるんだろう。
クレアはなんとなく挑戦的な目をマリーナ先生に向けた。「今日はおじゃましました、先生。エスターのこと、よろしくお願いします!」
「はい、わかりました」先生は大人の対応で、にこやかに答えただけだった。
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