■#05 Day1 Monday Night ――1日目。月曜の深夜――

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とんでもない形でパーティが終わり、落ちこむアナスタシア。

いっぽうエスターは?


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 わたしのバカ、バカ、バカ! なんてことしたの!?

 寮の部屋で、アナスタシアは途方に暮れていた。

 バスルームの鏡の前でシンクに手をつき、がっくりとうなだれる。

“ああいうのは趣味じゃない”

 あの言葉を耳にしたとたん、目の前が真っ赤になった。ううん、真っ青? 真っ黒? もう何色でもいい。とにかく頭が沸いたみたいになって、気づいたら彼をひっぱたいていた。

 なんてことしたんだろう。

 もちろん彼はびっくりしてた。

 そりゃあびっくりするわよね、いきなり知らない女にひっぱたかれて。

 あのあと、なにもいわずに逃げて帰ってきてしまった。

 いったいなんなんだと思われたにちがいない。

 でも……でも……今日はすごくがんばったつもりだったのだ。

 スーツだって、メイクだって、髪だって……。

 これ、あこがれの髪だったのに……。

 アナスタシアの目にじわりと涙が浮かんだ。

 上を向いて、ふうーっと長く息を吐く。

 やってしまったことは取り返せない。学部がちがうから、エスターにそうそう会うこともなさそうなのがまだ救いだ。わざわざ謝りに行ってヘタないいわけをするより、なかったことにしてできるだけ会わないようにするのがいちばんいい。

 せっかくエスターと再会したのに……会わないほうがいいなんて……。 

 アナスタシアは肩を落としてベッドルームに戻るとパンプスを蹴り脱ぎ、スーツも汚さないように脱いだ。そしてまたバスルームに戻って顔を洗った。何度も洗った。メイクってなかなか落ちない。でもすっぴんに戻ったら、少し気持ちが落ち着いた。

 下着のままベッドに戻って、どさっと座る。

 エスター、元気そうだったな。ものすごくかっこよくなってた。むかしはかわいかったけど、いまはかっこいい。あいかわらずクレアがぴったりくっついていて、華やかなふたりはいまでもお似合いだ。わたしがいなくなってからも、彼らはずっといっしょにいたんだろう。

 ぽてん、とマットレスに背中から倒れて、ぼんやりと天井を見つめる。

 プライベートスクールでだって、わたしは彼らの仲間じゃなかった。わたしはいつも隅っこにいた。隅っこから彼らを見てた。いつも目の前に本を立てて、ぶ厚いメガネと本の縁越しに、彼らを見てた。とくにエスターを――。

 あのころはうちも裕福で、パパがいて、ママもいて、パパとママもまだそんなに仲が悪いわけでもなくて――そう――平穏だった――。

 明日の報告書を用意してから寝なくちゃ……そう思いながら、アナスタシアのまぶたはゆっくりと閉じていった。


   ***


 エスターは〈ザ・ハート・ホテル&リゾーツ エンジェルズ・ラグジュアリー〉の最上階、ミモザスイートにいた。本来、バンケットルームから専用の高速エレベーターで上がってくればすむ話だったが、クレアを送ってこなければならなかった。クレアは――もっといえばほかの女の子たちも――いっしょにここまで上がりたそうなそぶりを見せていたけど、悪いけど今夜は断った。もう午前0時をまわっていたし、そんな気分でもなかったからだ。

 ここはハート家が全米で経営するホテルのひとつ。ありがたいことに大学からも遠くない。その最上階の一室を、いつでも使えるようにしてくれている。父も、母も、ついでにいえば兄も姉も、エスターには甘かった。6人きょうだいの末っ子で、年がいってからの子どもだったということもあるだろう。そのうえ小さいころのエスターはめちゃくちゃかわいかったらしく、しかも体が弱かった。いまでこそすこぶる健康体で鍛えてもいるが、ぜんそくの持病があって外で遊ぶこともままならないほど病気がちだったのだ。

 その極めつけが、12歳のときの心臓疾患だ。


 ザ・ハートでの2次会は年齢層がずいぶんさがり、雰囲気もくだけた感じになってにぎやかだった。ほんとうならさらに3次会でクラブにでもくり出したいところだったが、いかんせん今日は月曜日。週末にはまたあちこちでパーティがひらかれるだろうから、少しの辛抱だ。

 エスターはスーツを脱いでワードローブにつるした。大理石のバスルームに入り、シャワーのコックをいっぱいにひねる。頭からあたたかい湯をたっぷりと浴びるうち、1次会でのことがよみがえってきた。

 やってしまった。

 クレアが誘導尋問みたいなことをするから、つい口がすべった。

“趣味じゃない”なんて、女性を相手にひどいいい方をした。彼女が怒ったのも無理はない。名前も知らない初対面の男にあんなことをいわれたら、怒るに決まってる。

 でも、ぼくはそんなに彼女を見ていたか?

 最初はあの髪に目を奪われて、むかしのことを思い出した。それはたしかだ。でもそのあとはべつに……それともクレアのいうとおり、無意識に見てしまってたんだろうか? むかしのことがそんなに尾を引いてたってことなのか?


 エスターはシャワーから出てバスローブをはおり、鏡の前に立った。タオルを取ってわしわしと髪をふき、タオルを洗面台に置く。

 鏡のなかから見返してくる男の胸の中央には、十数センチほどの傷があった。切り口のきれいな傷だということと、盛りあがった大胸筋と日焼けのおかげでわかりづらくなっているが、なかなかに大きな傷だ。

“かわいそう……”リンジーはそういって指先でなぞった。ほかの女の子たちもだいたいそんな反応だった。

 まあ、たしかに痛々しいかもな。

 リンジーは初めて、、、の相手だけど、なんとなく聡明な姉みたいで気がラクだった。実際に3つ年上だし。しつこく誘ってきたりしないし、今夜もとりとめのないおしゃべりをしただけだ。ステディな相手じゃない。それはほかの子たちも同じ。向こうから声をかけられて、そのときの1回きり。同じ相手と2度は寝ない主義、なんて粋がるつもりはないけど――。


 そこまで考えたとき、またひっぱたかれた彼女のことを思い出した。

 あのあと彼女はなにもいわずに走っていってしまった。

 でも、ひっぱたかれた瞬間の彼女の顔は目に焼きついている。

 目の縁が光っていた。アクアマリンの瞳がうるんでた。

 つまり、泣きそうになってたということだ。

 そんなつもりじゃなかったのに……。


 エスターは頭をがしがしかきまわすと、ドライヤーをつかんでスイッチを入れた。

 なんだか落ち着かない。このままホテルのスイートルームで眠れる気はしなかった。

 Tシャツとジーンズを身につけると、車のキーをつかんで部屋を出た。


   ***


 愛車のレンジローバーで走ること5分。

 パーティにはポルシェを使ったが、どちらかといえばレンジローバーのほうが乗る機会は多い。

 巨大な積み木を組み合わせたような白いコテージが見えてくる。

 2階建てで、上階にはガラス張りの部屋や、板を組み合わせて周囲からの視界をさえぎった広いバルコニーもある。板の囲いのすきまから緑が覗いているのは、バルコニーに植物があるせいだ。

 コテージ横のガレージエリアにレンジローバーを停めると、玄関までの通路と玄関に自動で照明がともった。車をおりて玄関ドアまで行き、カードキーをかざす。両開きの大きなガラスドアがスムーズにひらいた。エントランススペースに入ると、その先にドアがもう1枚。玄関ドアが閉まった直後、内ドアの認証画面に今度は手をかざした。2枚目のドアがウィーンとひらく。

 なかにはすでにライトがついていた。

 とん、と床を打つような鈍い音が、2つ、3つ。4つ目は――たぶん聞こえないままだ。

「ただいま。遅くなっちゃった――」

 エスターはおだやかな顔でリビングに入っていった。

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