10ー7 儚い恋、禁断の愛

 そのまま舞台は進んでいき、物語は中盤へと入っていった。私は特に台詞を間違えたりすることもなく、着々と演技をこなしていた。観客も戸神さんが出てくれば歓声をあげるが、あとは集中して劇を見てくれていた。私はこのまま無事に劇が終わることを願いつつ、劇を続けた。


 物語も中盤。物語の一番の有名なシーンとも言える場所になった。戸神さんことジュリエットは模造のバルコニーに肘をかけていて、私ことロミオはキャピュレットの屋敷に潜り込んだ、というシーンだ。私が顔をあげようとすると、戸神さんことジュリエットが話し出す。


「ああ、ロミオ」


 戸神さんのため息混じりの澄んだ声が、舞台に響く。一気にみんなが戸神さんの方に引き寄せられた感覚を感じた。戸神さんは続ける。


「どうしてあなたはロミオなの。モンタギューなんていう名前は捨ててしまって。それが無理なら、私を愛すると言って。そうしたら、私はキャピュレットの名前を捨てるから」


 戸神さんの鈴のような美しい声と演技に、みんな惹き付けられている。


「本当に醜い名前」


 そこで戸神さんの声に力が入る。


「モンタギューだなんだか知らないけれど、ロミオはロミオじゃないの。薔薇がなんと呼ばれようが、薔薇なのと同じ。あの美しさ。あの甘い香りには変わらないでしょう?だからロミオもロミオ。どんな名前でも、尊いあの人」


 その時、戸神さんと目があった。


「だから、ロミオ。その名前を私のために捨てて」


 目があったまま、私は台詞を放った。


「君のためなら喜んで捨てるよ!」


 戸神さんは驚いたような素振りを見せる。


「誰?」


「僕だよ」


「名乗りなさい!」


「そういわれても、今捨ててしまったから名前はないけれど」


「......もしかして、ロミオ?」


 私は照明と共に、舞台の真ん中に出た。照明が私の一帯を照らす。


「君の嫌うその名は捨てた、と、今言っただろ?」


「どうやってここに?見つかったら殺されるじゃない!」


 戸神さんの白熱した演技に負けないように、私も声を大きくする。


「愛の翼で飛び越えたのさ。それに何十本の剣よりも、君の目のほうがずっと怖い。君に優しい眼差しを向けてもらえたら、もうなにも怖くないよ」


 戸神さんはすこし動揺したあと、また体を揺らして、前に出した。


「お願い、帰って。見つかっちゃう」


「君に愛してもらえないなら、見つかったほうがましさ。君を手にいれるためなら、どんな危険も冒すよ」


私は自分が練習より、この台詞に熱がこもっているのに気がついていた。ジュリエットに向けているはずなのに、何故か他人事に思えないのだ。


「君を愛しているんだ。こんな中途半端な気持ちのまま、帰れない」


 戸神さんが尋ねる。


「中途半端って?」


 私は戸神さんを見上げて言う。


 「君の愛を確かめたい」


 そういうと戸神さんの顔が火照った気がした。


「月に向かって言った私の言葉、聞いていたんでしょ?ああ、取り消したい」


「取り消したい?どうして」


「だって、ちゃんとあなたに向かって言いたかったから」


 その言葉に、ロミオは微笑む。


「それに、本当なら最初は釣れない演技をしなくちゃいけないし」


「そんなことしなくても、僕はもう君を愛してるよ。月に誓って」


 戸神さんは不安になったように首を振る。


「やめて。月なんてダメ。夜ごと姿を変えるんだもの。誓うなら、そうね、あなた自身に誓って」


「じゃあ、この心からの愛が…」


 戸神さんはもう一度首を振る。


「やっぱりそれもダメ!だいたいこんなの無鉄砲よ。今はもう帰って。明日になったら気持ちが変わってるかもしれないでしょ?」


 私は不安そうな戸神さんの声を掻き消すように、断言する。


「絶対に変わらないよ」


「仇の娘でも?」


「関係ない」


 戸神さんはしばらく私を見つめた。


「じゃあ、明日になっても同じ気持ちだったら、愛を誓い合うことにしましょう。そのときはわたし、どこまでもついていく」


 その時「お嬢様!」と舞台袖から呼ぶ声がする。


「今行く!」


 と、ジュリエットは返事をして、ロミオにささやく。


「大好きよ、ロミオ。明日の朝、使いのものをやるから返事をことづけて」


「わかった。じゃあ九時に使いを寄越して。僕の変わらぬ愛を伝えるよ」


 戸神さんは微笑して、でも嬉しそうにしながら、


「きっとね。おやすみなさい」


 と返事をした。私もそれに


「おやすみ」


 と、台詞を返す。そこで幕は閉じた。





 そこで10分の休憩が入った。私は衣装を一旦上着だけ脱いで、そこに座った。秋とはいえ、やはり舞台の上は暑い。私は手で風を扇ぎながら、すこし覚めるのを待った。すると、舞台の奥から光がやって来た。


「い~ろり~ん!」


「ああ、光」


「さっきのシーン、すごくよかったよ!照明してた子も、照明忘れそうになったっていってた!」


「うん、ありがとう。すこしでもよく見えたならよかったよ」


「今頃みんな、とがみんといろりんの話題で持ちきりでしょ~」


光はいつもより、大分興奮して話していた。私もさっきのシーンは練習よりよかったと思ってはいたので、単純に嬉しかった。


「じゃあ、ラストまで、頑張ってね!」


 そう言って光が照明に戻っていったあと、私はあることに思い至っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る