9-10 無力だけれど諦めない

雨が降りしきる帰り道を、2人手を繋いで帰った。髪も服も靴もびしょ濡れで、ただ、互いに繋いでいる手だけが、温かかった。僕はまっすぐ前を見ながら、彩葉に聞いた。


「ねぇ、彩葉」


返事は無い。


「彩葉、これから、どうしようか」


少し、彩葉が僕の手を握る力が強くなった。そうして少ししてから、彩葉は俯いた。


「…いい、です」


「ん?」


「お父さんの事、も、もう、いいです」


僕は思わず足を止めた。


「でも彩葉、それじゃ祐介さんとは……」


「いいんです。どうせ20歳になれば自由に会えるんだし」


僕が引っ張っていた手に、今度は僕が引っ張られる。彩葉は雨の降りしきる中を、ゆったりと歩いていく。僕はそれに置いていかれないように、手をひかれるがまま、真っ直ぐと歩を進めた。


「今はそれよりも、明日生きていくことだけを、考えましょう」


彩葉の言葉に、僕もこくりと頷いた。


「あの人たちのことですから、学院をやめさせることはしないと思います。なので、これからもいつも通り、干渉しないように生きていくしか、ないと思います」


そう話す彩葉の意見には、僕も賛成だった。もし僕達がここで逃げ出しても、僕達には行く先なんてない。お金も家も、何も無い。未来のことを考えれば、今は黙って従うしかないのだ。無力だけど、それしか出来ない。


「僕も、そう思うよ。………でも、彩葉はさ、大学、行かなくてもいいんだよ」


その言葉に、今度は彩葉が足を止めた。


「学院を卒業したら、そのままどこか遠くに逃げてもいいと思う。いや、そのチャンスは学院卒業の時しかない。だから、彩葉は……」


その時、彩葉が僕の前に立ち塞がった。上から見る彩葉の顔は、冷えて血色を無くしていた。


「戸神さんは、どうなるんですか」


彩葉は眉をひそめて、僕に尋ねた。


「僕は、あの家からは逃げられない。一人娘だからね。戸神家当主としての未来が確約されている。だから、彩葉だけでも、逃げて欲しいんだ」


すると彩葉は言葉を失ったように、「そんなことって……」と目を伏せた。僕はそんな彩葉の手をまた引いて、帰り道を急いだ。これ以上僕も彩葉も濡れる訳にはいかなかった。ぐいぐいと引っ張りながら歩く後ろで、彩葉が大きな声を出した。


「戸神さん!私は戸神家の娘です!戸神さんが1人で背負うことなんて……」


「駄目だ。これは僕の役目だから。彩葉には絶対に背負わせない」


「そんなのって、酷いじゃないですか!?勝手に戸神さんが1人で背負って、勝手に苦しんで。……私達、姉妹なんですよ?少しはその苦労を分けたって……」


瞬間、僕は彩葉の口を人差し指で閉じた。


雨の滴る音だけが、街を支配する。


僕と彩葉の視線が真っ直ぐに、ぶつかった。


「戸神家次期当主は僕だ。これだけは……譲らない。だから彩葉は、普通の人生を送ってくれ。頼むよ。……さぁ、帰ろう」


そう言い放った僕の胸の内には、熱い炎が炎炎えんえんと燃えていた。


(戸神家次期当主は僕だ。これだけは、この苦労だけは、彩葉にはさせてはいけない。僕が背負うべき苦労なんだ。だから、譲らない。だから彩葉は、普通の人生を送ってくれ。頼むよ。彩葉)


僕は彩葉に言えない願いを胸に抱えながら、水溜まりをいつくも超えて、家路を急いだ。これ以上、彩葉の体が冷えないように。






















日曜日。僕は彩葉も起きていない朝早くから、家を出た。家の前にはもう既に、黒塗りの外国車が止まっていた。後部座席に乗り込むと、運転席から明るい様子で声をかけられた。


「お嬢様、おはようございます!」


「……申し訳ないです。こんな朝早くから呼んでしまって」


「いいのですよ、旦那様となにかお話があるのでしょう?旦那様には昨日、お伝えしていますから。今頃朝食を取られているかと」


「……分かりました。車、出してください」




僕が実家に向かっているのには、ある目的があった。何を隠そう、祐介さんとの面会権を取り戻すことだ。彩葉の話も聞かないで勝手に決めるなんて、許されない。確かに昨日、僕らは両親を捨てた。期待することを、信じることをやめたのだ。でも、祐介さんとの件はまた別だ。僕が彩葉に出来ることがあるなら、少しでもしたい。その交渉だった。


家には呆気なく、すぐに着いた。僕は後部座席からすぐに降り、その足で真っ直ぐにお父様の部屋へ向かった。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「お帰りなさいませ、お嬢様」


「お父様はどこにいますか?」


「ただいまお部屋に帰られましたよ」


「ありがとう」


僕はそう言うと、すぐにお父様の部屋へ向かった。ノックなど、そんなかしこまった礼儀はしない。なんだって僕達は昨日、最大限の屈辱を受けたのだから。ドアノブに手をかけ、乱暴に開けると、そこには偉そうに椅子に座ったお父様がいた。


「お父様……」


お父様は顔色ひとつ変えずに、ニヤリ、と僕に笑って見せた。


「待っていたよ、私の可愛い娘よ」

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